Change my world (14)

十一月も後半に差し掛かり、ダブリン郊外にあるこの小さな町でも、外壁や庭先をクリスマスイルミネーションで飾る民家が多く目に付いた。
どの家の窓辺にも、その家庭ならではのクリスマスデコレーションが覗いている。
天使が連なったペーパーオーナメント、サンタクロースの入ったスノードーム、赤や緑の鮮やかな色をしたキャンドル。
子供の頃は毎年、父さんが買ってきたもみの木に、母さんの手作りオーナメントを皆で飾った。
大きくなるにつれ、オーナメントを飾る位置に口煩くなったエイミー。
面倒くせえ、そう言いながらも、そんな妹に必ず付き合っていたライル。
見知らぬ家の庭先を見入っていたことに気付いて再び歩き始めると、もみの木を積んだピックアップトラックが、すぐ横を追い抜いていった。
目に映る素朴な風景が酷く懐かしい。
背の高い優しげな面持ちの青年は、古い街並みを歩いて行く。
住宅街を抜けた街路の先には広場があり、中央には、鉄柵で囲まれた古いハイクロスが立っていた。
その隣には沢山のイルミネーションが灯った大きなクリスマスツリーが飾られていて、小さな田舎町ながらも広場には多くの人が行き交っている。
皆、表情が明るい。
その足並みも、どことなく浮かれているように見える。
近くには教会もあるのだろう、少し離れた場所に背の高い三角屋根の建物が見えた。
青年はハイクロスへと近付いて行く。
それは遠目で見るよりも大きなものだった。
環の掛かる十字架には複雑なケルティック模様、ほかには聖書中のエピソードが彫られているらしい。

『この世に、神はいない』

敬虔なカトリックばかりのこの国で、青年は昔の仲間が呟いた言葉を思い出した。
お前の言うとおりだよ、刹那。
それでも人は、心の中で何かを祈る。
陽が傾きかけた冬の空を見上げながら、青年は目を眇めた。
少し湿った風が吹いて、額から鼻先に掛かる長めの前髪を静かに揺らしていく。
もし、この国でハロに逢えたなら、俺達は目に見えない何かで繋がっていたのではないか。
そのあまりにも彼らしくない非現実な考えに、青年は思わず微苦笑を浮かべる。
況して彼女は、彼の故郷を知る由も無い。
ダブリン郊外のこの場所に、ハロらしき人物が居ると青年の元に情報が入ったのは三日前のことだった。
今までに得てきた情報は、全て空振りに終わっている。
おそらく今回も同じ結果に終わるだろう。
七年前、アメリカに帰ることになっていたハロは、突然モラリアから姿を消した。
今ここでハロに逢えたとしても、過去を捨てた彼女は、既に新しい人生を歩んでいる。
ただ彼は、心から愛した唯一の人が、生きてこの世界に存在していることを確かめたかった。
一目でも、その姿を見たいと思った。



あの日、宇宙の闇に投げ出されたニール・ディランディは死を受け入れていた。
一挙手一投足に刺すような痛みがつきまとう中、サーシェスの駆るスローネツヴァイからの砲撃に奇跡的にほぼ無傷の状態を保っていたGNキャノンの砲台を見つけ、愛機のコックピットから外した精密射撃用のライフル型コントローラーを繋いだ。
砲台から放った粒子の柱がツヴァイの赤い機体を貫く瞬間を、彼の左目が確かに見届けていた。
それがコックピットの位置からほんの僅かずれていたとしても、サーシェスが今も無事でいるとは思えない。
仇は取ったのだろうか。
確信は持てない。
マイスターの使命を逸脱しても、自分の過去にけりを付けたかった。
復讐を果たしたところで、何も変わることなど無いとしても。
幾つもの命を奪ってきた咎を受ける時がきた……そう思えば、後悔は無かった。

『どうか生きて』

砲台から跳ね上げられながらハロの名を呼ぶとニールの口からは血が溢れた。
既にヘルメットの下半分は真っ赤に染まっていた。
どこまでも広がった暗闇の中、鮮明に光り輝いた青い地球が、血と汗で汚れたバイザー越しに映る。
あまりにも遠くなってしまった無数の命。
しかし、彼の両親と妹はもう何処にも居ない。
それでもあの星の何処かには、双子の弟が居る。
そして、ハロが生きている。
もう一度、逢いたい。

『どうか生きて。ニール』

ごめんな。
そう呟いて、広大な宇宙に浮かんだ母星に腕を伸ばしたまま、ニールは眩んだ爆風に呑み込まれていった。
彼が次に目を覚ました場所は医療施設のベッドの上だった。
その後、再生治療に数ヶ月、失った身体の部位を機械化するのに二年、それらを思い通り動かせるようになるまで更に二年が掛かった。
最先端医療を受け、今では何の不自由もなく以前と同じように動くこの身体も、宇宙で助け出された時はかなり深刻な状況だったらしい。
頭部と心臓の致命的なダメージを回避できたことは奇跡としか言いようが無い、そうドクターに言われた。
右目の視力は元には戻らなかった。
ニールがソレスタルビーイングを離れ、ハロを探し始めて、もう四年が経つ。



ハイクロスを囲んでいる柵の向こう側を、一人の少年が通り過ぎて行った。
青年が何気なく目を向けた先に見えた小さな背中、少しくせのある柔らかそうな黒髪。
七、八歳くらいだろうか、その後ろ姿には確かに見覚えがあったが、青年はすぐには思い出すことが出来ない。
無意識に歩き出して声を掛けていた。

「よう」

突然、少年が駆け出した。
明らかに声を掛けた主から逃げようとしている。
見知らぬ男に声を掛けられ、警戒しての行動だろう。

「おい、ちょっと待ってくれ」

少年は振り返るどころか返事もせずに、上手く人の間をすり抜けながら石畳の広場を走り抜けていく。
青年も思わずむきになり、その後ろ姿を追いかけて行った。
広場を抜けて狭い路地に入り込んだ先で追い着き、革の手袋を着けた大きな手のひらが後ろから小さな肩を掴んだ。

「待てって!」
「何すんだよっ!」

漸く走ることを止めた少年が、抗議の声を上げながら掴まれた長い腕を振り払うように、勢いを付けて振り返る。
振り向いたその瞬間、青年は愕然と目を瞠った。

―― 俺 だ

それはまるで……頭の中の記憶から抜け出したような。
目も、鼻も、口も。
顔全体のバランス、頬や顎の輪郭さえ。
違っているのは髪の色だけだった。
その“小さな俺”が、碧色の瞳の間に深く皺を寄せながら、言葉を失ったように自分を見つめる怪しい男を見上げている。
まさか、この少年は……。
停止した青年の思考が動き出すと、心臓の音が大きく胸を叩き、ある思いが脳裏をよぎっていく。

「何の用だよ、おっさん!」

どうやらこいつは俺ではない。
“小さな弟”の方だ……。
次第に動揺から高揚へと変わっていく自分の感情が分かる。
心の中で、彼は強く祈っていた。

「ひとつだけ訊かせてくれ。お前の母さんは日本人か?」
「お前っ! 母さんに何の用だ!?」

自分と同じ色をした双眸が、敵意剥き出しの眼差しを向けてくる。
間違いない、ハロの子供だ。
そして……俺の。
身体の奥深くから込み上がる感情を落ち着かせ、その場に腰を下ろして正面の瞳に目線を合わせながら、青年はゆっくりと口を開いた。

「会いにきたんだ。ハロに、お前の母さんに」
「もしかして……あんた“ニール”?」
「!? 何でお前……」
「だって、俺と全く同じ目の色してるからさ。母さんはおれの目が大好きなんだ。ニールと同じですごく綺麗だって、いっつも言ってる」

想いが抑え切れなくなりそうだった。
それでも、何も言葉にはなりそうにない。
顔をまじまじと見つめられて、不思議な感覚が湧き出てくる。 
黒い髪の天辺に、そっと手のひらを乗せた。

「そうだ。俺がニールだよ。お前の父親だ」
「母さんは、ニールは死んだって言ってた。何してたんだよ、今まで」
「そうか。まあ半分は当たってるようなもんだ」

まだ半信半疑なのか、眉を顰めながらそう訊かれたニール・ディランディは、着ているシャツをたくし上げて小さな手を取り、自分の脇腹に強く押し付けた。

「この身体、機械なのか?」
「ああ半分な。まあ俺も色々あって、来るのが遅くなっちまった。悪かったな」
「そっか……じゃあ許してやるよ」

一瞬心配そうに曇らせた目の前の顔が、初めての笑顔を見せる。
その瞬間、今までに感じたこともない暖かく柔らかな空気に、ニールは全身を包まれたような気がした。
ほんの少し前に触れた我が子の髪の感触を思い出す。
もっともっと、触れてみたくなる。
ハロ……お前は俺を、許してくれるだろうか。

「なあ、ハロは許してくれると思うか?」

咄嗟に訊いてしまうと、その顔に、まるで天使のような無邪気な笑顔が浮かんだ。

「大丈夫だよ。母さんは毎日おれの目を見つめて『愛してる』って言いながら、おでこにキスするんだ。嬉しいんだけど、何だかニールに言ってるみたいでちょっとだけ気に食わなかったんだよ」    

ニールは目の前の小さな身体に腕を伸ばして、強く抱き締めていた。
自分と同じように少しくせのある黒髪に、唇を押し当てながら。

「あんたもそのうち、おれの髪の色が一番好きだとか言い出しそう……」
「あ?」
「何でもない。それより、早く母さんのことも抱き締めたいんだろ?」

全く。
やっぱり俺の息子は、双子の弟にそっくりだ。
そんな大人顔負けの台詞に苦笑いしながら、心を和ませてくれた我が子にニールは目を細めた。

「よく分かってんじゃねえか」

笑いながら立ち上がると、先の台詞は照れ隠しだったのか、見下ろしたその頬には少しだけ赤みが差している。

「早く案内してくれ。ハロの居る場所に」
「まだ教会にいると思う」
「そんじゃ二人で迎えに行こうぜ」
「うん!」

二人は手を繋いで歩き出した。
手のひらから伝わってくる小さな温もりにハロの面影を重ねれば、たまらない愛しさでニールの胸は苦しくなる。
らしくないが、彼の心臓は今、切ないほどに弾んでいる。
手のひらの中の温もりに気付かれないよう、静かに深呼吸した。
僅かに白くなった吐息が、アイルランドの冷たい空気に溶けていく。
少しだけ、ニールは握った手のひらに力を込めた。

「ところでお前さん、何て名前だ?」
「訊くの遅いってば。おれの名前は……」




俺は世界を変えたかった。
この歪んだ世界を変えたかった。
大切な者たちを奪われ、奪い、暴力は連鎖を繰り返していく。
争いでは何も変れられない。
失くしたものは元には戻らない。
俺は、変えられなかった。
それでも……今は思う。
未来を生きていくことで、変えられる世界がある。
少なくとも、俺の世界は変わっていた。
ハロが変えてくれた。
小さな世界が変われば、いつか大きな世界が変わっていく。


お前ら、満足か。
こんな世界で。
俺は…………。



【END】
【 2009.03.26 】
【 2020.07.31 加筆修正 】





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