03

私は久々に重いスクールバッグを抱えて、市内の図書館に来ていた。

先日、英語の抜き打ちテストで酷い点数を取った事を肉倉君に見事言い当てられてしまった私は昨日の夜、彼から「明日の放課後、図書館に来い」というメッセージを頂いた。記念すべき肉倉君からの初メッセージが脅迫文とは。

だけど、彼のお誘いは渡りに船でもあった。実は、そのテストで赤点を取った事によって、大量の課題を出されていたのだ。肉倉君が私を図書館に呼び出したのは、勉強をさせるために違いない。ならば、ついでにこれを片付けるのを手伝ってもらおう、という魂胆である。そのために、普段は学校に置きっぱなしの英和辞書も持って帰ってきたのだ。友達に珍しがられたのは言うまでもない。

図書館内にある自習ルームに入ると、肉倉君の姿はすぐに見つける事ができた。ここは娯楽施設では無いし、寧ろ学生が進んで利用すべき場所だ。だから肉倉君は、あの目立つ制帽を堂々と机の上に置いていた。彼はあの制帽をとても誇りにしているようだが、室内では流石に被らないようだ。

肉倉君は、私が入ってきた事に気付くと、自分の隣にあるパイプ椅子を引いた。ここに座れという意味らしい。私はスクールバッグを机の上に置いた。


「……お疲れ様でーす……」
「始める前から疲弊してどうする」
「カバンが重かったんだもん……」
「それは貴様の怠慢が呼んだに過ぎん。して、教科書の類は持って来たのであろうな」


周りに配慮してお互いに小声で話しているが、肉倉君はさっきから機嫌が良いみたいだ。実は、こうしてテスト前後に2人で勉強会を開くのは、中学時代の恒例行事みたいなものだった。もちろん私が肉倉君に教わるばかりなんだけど、そう言えば彼はその頃から、私に勉強を教える事を楽しんでいた気がする。


「肉倉君って、もしかしてS?」
「……貴様の発言の意図は理解しかねるが、そのような事を聞く暇があるなら迅速に教科書を開くべきである」


私の質問をピシャリと撥ね付けた肉倉君に小さく返事をして、私は課題のプリントと教科書、辞書をバッグから取り出した。大事なところにアンダーラインが引いてあったり、付箋が貼ってあったりする教科書を見て肉倉君は意外そうな顔をしたが(失礼な)、少し目を通した後、私に言った。


「名字……貴様は、勉強の仕方が悪いところも進歩していないようだな」
「“も”って何」
「文法や単語を覚えるにも順序がある。貴様の遣り方は効率が悪すぎるんだよ」


私の至極真っ当なツッコミをスルーした肉倉君は、私の目の前に戻した教科書のページを指でコツコツ叩いた。まさに、私がテストで間違えまくった文法のところだ。

「貴様にはやはり、私が解法を示してやらねばいけないようだな、名字?」と言ってニヤリと笑う肉倉君を見て、なんとなく、彼が私に勉強を教えるのが好きな理由が分かった気がした。




終始機嫌のいい肉倉君の指導は2時間続いた。学校の授業より遥かに長いそれに耐え切った私を誰か褒めてほしい。今、左から小突かれたら、右の耳から英単語がこぼれ落ちそうだ。そう思うぐらい、肉倉君主催の勉強会は、1年の時を経てパワーアップしていた。

プリントの解答欄を埋め切ると同時に限界を訴えた私を見てようやく気付いたのか、肉倉君は館内の時計を見て、「もうこんな時間か」と平気そうな顔をしながら言った。恨み言のひとつでも言ってやりたいところだけど、肉倉君無しに課題を終えていた自信も無かったので、渋々口をつぐむ。

その顔が面白かったのか、時計から私に視線を移した肉倉君が小さく笑い声を漏らして(つくづく失礼な)、私に勉強道具を片付けるように促す。そして、もたもたと手を動かす私を横目に、「外で待っている」と言い残して先に自習ルームを出て行った。ちょっと待っててくれてもいいじゃないかとも思うが、肉倉君は昔からせっかちなところがあるので仕方が無い。

私もすぐに机の上を片付け終えて、自習ルームを出る。肉倉君は、図書館の外にある自動販売機の前にいた。そして、持っていた缶のミルクティーを、無言のまま私に差し出す。


「よく覚えてるね、私の好きなやつ」
「あれだけ奢らされれば嫌でも記憶に残る」


それは、私達が中学生の頃、金欠になった時よく肉倉君にねだって買ってもらった銘柄だった。その度に肉倉君は「嗜好品ぐらい我慢しろ」と小言を言ってきたが、最終的にはいつも買ってくれるのだ。


「再試験はあるのか」
「ある。明日の放課後」
「結果が出たら報告しろ」
「うん……」


前のテストが散々だっただけに、正直自信がない。缶に口をつけたまま歯切れ悪く返事をすると、肉倉君はまた右手を伸ばしてきた。


そして、私の頭の上に、右手を乗せた。


……これは、いわゆる「頭ポンポン」というやつなのではないか。まあ、肉倉君はそのまま手を動かさないけど、手のひらの温かさがじんわりと伝わってくる。私は、その熱が、自分に伝染しないようにするので精一杯だった。こんな事は、中学時代にもされた事がない。


「私が直々に指導したのだ。満点でも採ってもらわねば、私、引いては士傑の尊厳に関わるというもの」
「いや、満点はちょっと……」
「そのぐらいの気概で臨めという意味だ」


そう言うと、肉倉君は私の頭から手を退かした。最後に髪を撫でるように動かした気がして、缶を握る指先に力が入る。肉倉君は何とも思っていないのか、と思ったけど、彼は制帽を深く被り直しただけだった。


「帰るぞ」
「あ、うん」


いつの間にかカラカラに渇いていた喉にミルクティーを流し込んでゴミ箱に捨てると、背を向けて歩き出した肉倉君の長い影を追いかけた。

肉倉君と偶然再会した日を含めて、こうして2人で会うのは3回目だ。その度に中学時代を思い出しては「肉倉君は変わらないな」と思っていた。だけど本当は、この1年で変わった部分がたくさんあるのかもしれない。その変化が、私達の関係にどういう影響をもたらすのかは、今の私には分からないけど。


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