09

名字名前は激怒した。


「入学早々クラスメイトいじめてんじゃねーよ!!」


そう怒鳴りながら放った渾身のケンカキックは、見知らぬ男子生徒の脇腹に刺さった。どうやらモロに入ったらしくその場に崩れ落ちた男子を見下ろしながら、私は肩で息をする。人を蹴るなどという慣れない事をしたせいか、それとも一時的に激昂した事による興奮なのか。心地の悪い疲労感を味わっていると、席についている男子生徒が、じっと私を見つめている事に気が付いた。

左目は茄子紺の髪で隠れ、唯一こちらから見えている右目はナイフで切り裂かれたように鋭い。そこにある小さな黒目が、私の姿を捉えていた。今は足元でうずくまっている男子に「“個性”が気持ち悪い」だの何だのと、真正面から喧嘩を売られていたとは思えない冷静ぶりである。しかも、突然割って入ってきて相手にキックを浴びせた女――私に対して、特にリアクションが無い。もしかしたらコイツは、一種のコミュ障なのかもしれない。

それ以来、私は彼を気にかけて何かと話しかけるようになり、彼もまた、私とだけは親しく会話をするようになった。

それが、中学一年の私と肉倉君の、出会いと始まりである。




それから4年と少し経ち、初めて出会った頃より背が伸びて目に迫力が増した肉倉君は今、窓の外から私と毛原さんをめちゃくちゃ睨んでいる。いや、正確には「睨んでいるように見える」。多分、付き合いの短い人には、いつも通りの肉倉君に見えていると思う。現に毛原さんは「あ、肉倉」とのんびり言って、毛むくじゃらの手を小さく振っている。私がそれをやったら、間違いなく後でゲンコツである。

そして、毛原さんの小さなお手振りは、いつの間にか手招きに変わっていたらしい。店内に入って来ようとする肉倉君に戸惑いを隠せずにいると、毛原さんが私のほうを見て言った。


「すまないけど、この後用事があるんだ。名字さんの分は俺が払っておくから、肉倉とゆっくりしていって」


そう言って、私に有無を言わせぬまま立ち上がる。そして、すれ違いざまに肉倉君の肩にもふもふの手をポン、と置き、さっさとお会計を済ませて帰ってしまった。

さて、一難去ってまた一難、とはこの事である。


「…………」
「…………」


初対面同士のお見合いでも、もう少し会話が弾むと思う。とにかくこの、私の目の前に座ったはいいが一言も喋ろうとしない、史上最大レベルに機嫌が悪い(ついでに目つきも悪い)肉倉君をなんとかしなければならない。というか、何にこんなに怒っているんだ、この男は。肉倉君に新しい水を注ぎに来たウェイトレスさんも、さすがに只ならぬ雰囲気を察したのか、「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください〜」とかなんとか言って引っ込んでしまった。お願いします誰でもいいから傍にいてください。

肉倉君はメニューも開かず、何も言わず、表情筋の一つも動かさず、私のほうをじっと見ている。しばらくは、突き刺さる視線をかわすので精一杯だった。もしかしたら肉倉君は、私がいきなり士傑まで押しかけたのが気に食わなかったのかもしれない。そう思って、顔は背けたまま、そっと目線だけを彼のほうに向ける。すると、目を逸らしていても感じるほど刺さっていた肉倉君の視線が、凄い勢いで窓の外を向いた。

外に何かあるのか、と思ったが、特に目立つものは何もない。ただ、今度は頑なにこちらのほうを見なくなってしまった。どうかしたのか、と私が声を掛けようとすると、肉倉君が、低く唸るような声で言った。


「……毛原と懇意になったのか」
「え?」
「毛原長昌と懇意になったのかと聞いている」


私は少し驚いてしまって、肉倉君をじっと見つめた。4年と少しの付き合いの中で、彼が私の交友関係について聞いてきた事は、一度もなかった。中学生のときは、数少ない(肉倉君にとっては唯一の)友人として、お互いの行動範囲をある程度は把握できていたから、確認する必要がなかったのだ。確かに、自分のクラスメイトと、中学の同級生が友達になるって、変な感じするよね。分かる分かる。


「いや、友達にはなってないけど。まだ」
「止めておけ。貴様と毛原では話が合わん」
「そんなことないよ。さっきだって、肉倉君の話で盛り上がったし」
「……何?」


あ、と思って口を噤んだけれど、時すでに遅し。肉倉君の視線が、私を鋭く射抜いた。完全に振り出しに戻っている。でも、今度は目が雄弁に訴えていた。「何の話をしていたんだ」と……。

結局、毛原さんに話した事を、もう一度肉倉君に話す羽目になってしまった。「彼女」の件は伏せたけれど、肉倉君の事だ。私にバレてしまっている事は、なんとなく勘付いているかもしれない。その代わり、私は「毛原さんは肉倉君と友達になりたがっていると思う」という事を、よくよく言って聞かせた。だけど、肉倉君はまったく嬉しそうにしなかった。


「……余計な真似を」
「ちょっと、その言い方はないんじゃない」
「名字ではない。毛原の事だ」
「同じだよ。私以外にも友達作りなよ」
「馴れ合いなど不要」


まったく関心がない様子の肉倉君に、私はカチンときてしまった。肉倉君の不躾な物言いは今に始まった事ではない。それに、私も特別友情に厚いという訳でもないけれど、腹が立ってしまったのは、これが毛原さんに対する気遣いとか、それだけの問題ではないからだろう。


「私のしてきた事、全部無駄になるじゃん!」


私が息を詰まらせるのと、肉倉君の無感情な瞳が向けられるのは、ほとんど同時だった。あーあ、今日は失言が多いなあ……。


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