08

肉倉君との気まずい別れからしばらくして、私達の学校はお互いに夏休みに入った。とはいえ、二人で遊びに行ったりする事はない。士傑は、仮免取得に向けた訓練がほとんど毎日あるらしい。

しかし、こうして顔を合わせる回数が激減したにも関わらず、私の頭の片隅には肉倉君が住み着いている。家で宿題をしていれば「肉倉君に教えてもらいたいなあ」と思ったり、友達と遊びに行けば「今度は肉倉君と来たいなあ」と思ったり……。もはや病気だ。

友達ではなく、異性として、肉倉君の事が好き。あのコンビニ襲撃事件ではっきり自覚してしまった私の恋心は、彼と会えない間も少しずつ肥大している。「どちらの意味にするか、選ばせてやろうか」。肉倉君のあの言葉が、頭から離れてくれない。

だけど、肉倉君に想いを馳せる事はあっても、彼に直接会いに行く事はしなかった。ヒーローを目指す彼にとって、今が大事な時期だ。それを私の事で邪魔をする訳にはいかない。

やがて夏休みも終わり、二学期になって一ヶ月経とうかという頃。ある日の昼休み、完全に連絡を取るタイミングを見失っていた私のもとに、肉倉君からメッセージが来た。


『落ちた』と。


たった三文字のメッセージだった。何に“落ちた”かなんて、分かりきっている。自分の事でもないのに、冷たい手で心臓を鷲掴みにされたような心地がした。午後の授業を受けている間の記憶も無い。放課後のホームルームが終わると、私は一目散に学校を後にした。


そして私は今、士傑高校の校門の前にいる。肉倉君に直接会わないといけない、と直感したからだ。メッセージの返信はしていないし、完全にノープランだったから、もしかしたらどこかですれ違っているかもしれない。せめて「校門で待ってて」と連絡するべきだったのかもしれないけど、あの肉倉君の事だ、「同情は無用」とか言って逃げ帰るに違いない。だから、私は賭けの行動に出たのだ。

校門から出てくる士傑生の視線が痛い。それもそうだ、見慣れない制服のJKが校内の様子を覗き込もうとしていたら、ヒーローの卵じゃなくても不審がるに違いない。先生とか呼ばれたらどうしよう。

それにしても、さすが「西の士傑」というだけあって、優秀そうな生徒がたくさんいる。あの毛むくじゃらの人なんて、見た目からして強そうじゃないか。……そんな事を考えていたからか、まさにその毛むくじゃらの人が、私目掛けて歩いてきている事に、しばらく気が付かなかった。


「……君、士傑に何か用かな?」
「あ、いえ……」


一つ目だし、いかにも雪男のような外見だけど、口調は思いのほか穏やかな人だった。体中の毛という毛をギチギチに詰め込んだ制服姿、そして何より肉倉君と同じ制帽が、彼を士傑生だと物語っている。用があるのは肉倉君なので思わず否定から入ってしまったけど、移動する気配のない私に彼は首を傾げる。しかし、すぐに何か思い出したのか「ああ」と声をあげた。


「君、もしかして、名字名前さん?」
「……えっ、なんで名前……」


初対面の相手に急に名前を呼ばれたので驚いたけど、目の前の人は平然としている様子だ。くそ、毛が邪魔で、笑っているのか怒っているのかわからない。


「肉倉に会いに来たんだろ?俺は毛原長昌。肉倉のクラスメイトだよ」


毛むくじゃらの人……毛原さんは、そう自己紹介をして「よろしくね」と言った。どうやら怒ってはいないようだ。それどころか、友好的なものを感じる。というか、なぜ私が肉倉君の知り合いだと知っているんだろう?


「あいつはまだ校内にいるけど、しばらく出て来ないんじゃないかな」
「そうですか……」
「待つつもりなら、近くに喫茶店がある。ついでに同席させてもらえると嬉しいけど」
「えっ?」
「肉倉の事を聞きたいんだ。噂の“彼女さん”からね」
「…………」


どうやら、私の預かり知らないところで、大変な事態になっていたようだ。






私と肉倉君の、中学時代から今に至るまでの経緯を聞いた毛原さんは、なぜか驚いた様子だった。

どうやら、肉倉君の事を知っている後輩が、私達が手をつないで商店街を歩いているところを見ていたらしい(士傑生にも見られてたんかい!)。その後輩というのが史上稀に見るレベルの天然さんらしく、人通りの多い学校の廊下で「肉倉先輩って彼女いるんスか!?」と大声で聞いてしまったそうだ。それから噂は瞬く間に広がってしまい、今では学校中の人が知っているらしい。


「じゃあ、君達は付き合ってる訳じゃないのか?」
「はい。そうです」


毛原さんの言葉に、頷いて答える。心臓が萎んで小さく悲鳴をあげたけど、私はそれを無視した。友達として一緒にいるか、あるいは別の関係になるか。その選択肢をもらった私だけど、今ここで後者を選ぶほど馬鹿じゃない。


「そうだったのか……変な事を言ってすまなかったね」
「いえ、分かってもらえて良かったです」
「しかし、そうなら肉倉も反論してくれればいいものを……一度“彼女さんの写真を見せてくれ”って頼んだ事もあるんだよ」


……今、毛原さんの言葉に、ものすごく聞き捨てならない単語があった。


「“彼女”の写真を見せろ、と……言ったんですか?」
「ああ。ご丁寧に、中学の卒業アルバムを携帯で撮ってきて見せてくれたよ。その時に名前も知ったんだ」


成る程それで私の顔を見て名前を言い当てる事ができたのか、と納得する私と、いや名前を知ってた理由とか今どうでもいいです、と頭を抱える私。相反する二つの感情のせいで、私は半笑いを浮かべる事しかできなかった。

肉倉君は私の事を“彼女”と呼ばれて、否定せずにそのまま写真を見せた。それがどういう意味を持っているのか、何度想像してみても、私にとって嬉しい結論になってしまう。肉倉君の冗談という可能性もあるが、それにしては捨て身すぎる。


「……というか、肉倉君、士傑にも友達いるんですね。ちょっと安心しました」


まあ良い、少なくとも毛原さんの誤解は解けたんだ。話題を逸らすためにそんな事を言ってみると、毛原さんは小さく首を横に振った。


「友達というか……本当に、ただのクラスメイトなんだ。肉倉はプライベートな話をしたがらないから、趣味嗜好もよくわからないし。だから彼女さんに、あいつの人となりを聞こうと思ったんだけど」
「なんかすみません……」
「いや、こちらこそ申し訳なかった。でも、中学時代の話は面白かったよ。特に仲良くなるきっかけがね。君がそんな事をするような人には見えないから」


そう言って、毛原さんは一つ目を細めて笑った。対する私は、恥ずかしさに声を詰まらせる。肉倉君と私が恋人同士でないと弁明した時、私は出会いの瞬間から事細かに語ってしまったのだ。

別に黒歴史という訳ではないけれど、あの時私が取った行動は、普通の人ならドン引きしていたかもしれない。それが肉倉君だったから、なぜか仲良くなれた。つくづく彼は不思議な男だ。

そんな事を考えていたから、私は喫茶店の窓の外から、一人の男がこちらを凝視している事に気付けなかった。


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