逃げなければならない。男は走り続ける。手に握り締めたままの赤いざらざらとした半個体化した液体がそう耳元で囁きかける。逃げなければ捕まってしまう。息がヒューヒュー切れるのも構わず、男は走り続ける。

ほんの脅しのつもりだった。周りの奴等だってやれ非人間だ悪魔だなんだと散々に愚痴を零して居たし、大して可愛くもないブタ鼻の一人娘を膝に乗せ、快適な工場長生活を営める二階の工場長室で、一本幾らするか分からない高級そうな葉巻をくわえてにやにやと笑っている様な、一言で言い表すならば外道と呼ぶに相応しい男だった。男は走り続ける。
酒の勢いで談判して来る、なんて宣言して、おうやれやれなんて周りの馬鹿げた声援も背中を押して、走り出した足は止まる所を知らず、町の外れにある工場までの道のりは、まるで雲の上を歩いている様に容易かった。

男は走り続ける。まさか本気で抵抗されるなんて思わなかったのだ。恐怖に歪んだコレステロールたっぷりの形相はまるで悪鬼の様に罵詈雑言を吐き捨て、壁に掛けてあるヴィンテージの猟銃を捕る。そこから先は…あまり覚えて居ない。

気付いた時には部屋は生っぽい金臭さと猟銃の微かな硝煙が漂って居て、持っていた小さなナイフが彼の胸に突き刺さり、銃弾が貫通した窓硝子からは新鮮な空気が入って来ていた。
男は走り続ける。早く逃げなければ。
早く何処か遠くへ、逃げなければ。

男は走り続ける。赤くざらざらとした罪を何処かで拭き取る事すら叶わずに。
男は、ただひたすら走り続ける。




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