ふたりぶん

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ある日の午後──

米国・茂野邸のリビングでは、まだ膨らみの少ないお腹を大切そうに撫でる薫の姿があった。
彼女は妊娠14週、いわゆる4ヶ月の身重のからだである。

テーブルの上には、洋風な作りの部屋には似つかわしい山盛りのせんべい。
隣には、それを次から次へと口に運ぶ吾郎の姿。

ようやくつわりも治まり、食欲も戻つつある今日この頃。薫は、日本の食材を取り揃えているショップで吾郎が購入してきたこのせんべいに手を伸ばそうかどうかを考えながら、ふとある事を思い出して突然声を張り上げた。


「そうだ! 日本に行った時、ちゃんとお礼参りしなきゃ!」

「は? お礼参りって何だよ。ヤキ入れとか仕返しとかか? こえーな、いきなり何言い出すんだよ」


俗に言うお礼参りの意味は、吾郎の言う通りである。ひとことで言うと報復だ。
中学・高校で習ったはずの英語はどこへいったやら。本場でスラングから覚えたという吾郎の性格を考えると、本来の意味を知らなくても致し方ないのかもしれなかった。

「もう! ……そっちの意味じゃないよっ」

相変わらずの勘違いぶりに薫は呆れ顔になり、いつものように言い返しそうになる。が、思い出したようにもう一度自分の腹部を撫でると、ひと呼吸置いて吾郎に説明を始めた。
その口調は驚くほどおだやかであった。


「神社とかお寺でお願い事をするでしょ。それが叶ったらね、ありがとうって気持ちを込めてまた同じ所にお参りに行くの。それをお礼参りって言うんだって。私もお父さんから聞いたから受け売りなんだけどね」

「へー。知らんかった」


吾郎は感心したようにウンウンと頷く。薫と一緒になってからの吾郎には、こうした新たな発見が多かった。
自分の無知さをイヤミなく帳消しにしてくれる。そんな薫のありがたさを感じながら、吾郎は再び質問を続けた。
それもそのはず。吾郎は今ひとつ話の内容を呑み込めていなかったのだ。


「で? なんでお礼参りしなきゃ、なんだよ」
「ほら、オフで日本に帰ってた時……初詣に行ってお願い事したでしょ? その時のお願い事が叶ったから、お礼を言いに行かなきゃな〜って……」

言いながら、自分の腹部を撫でる薫。鈍めな吾郎にも何となくその意味がわかる行動であった。

「ああ、そういや神社行ったなぁ。……て事は? じゃあ“ガンガン子作りしたい”って、やらしーお願いしたんだな?」
「んなわけあるか! 違うっての!」
「冗談だよ冗談。わかってんよ、子供が欲しい、ってお願いしたんだろ?」

欲しい答えがもらえたことに、薫は少し照れくさそうにほほ笑み返す。
幸せなそうな笑顔。
見ているこちらまで幸せな気分にさせてくれる笑顔だった。

「えへへ。こんなに早く叶うとは思わなかったよ。すごいご利益があるんだねあの神社」


(そりゃあ、2人分の願い事だからだろ)


実は自分自身も同じ願い事をしていたことを思い出し、吾郎はひとり、笑みを零した。

あの日、あの時、あの神社で、同じ事を考えていたのだ。
そう思うだけでゆるみがちになる頬を、慌てて引き締める。


「なに、どしたの?」

「いーや、何でもない。ほらほら、せんべい食わねーのかよ。全部食っちまうぞ」

「あ、食べる食べる……て、もう無いじゃん!」


あと1袋あるから持ってきてやるよ、と、吾郎はリビングを後にした。


次に日本へ行く機会はいつだろう。年末だろうか。
年末なら家族が増えているな……そういや、赤ん坊って飛行機乗れるんだっけか?
日本行ったらおとさんとおかさんの所に挨拶して、神社も行かないと。
吾郎の幸せな悩みは尽きなかった。


斜めから入り込む日差しが、リビング全体を明るく染め上げる。
今日はこれといって予定もない。
たまには薫とまったり過ごすのも良いかもしれない、と思い始めていた休養日の出来事であった。


Fin.

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