気まぐれ王子D

今日はいつもより2時間早く、朝食の支度を整えた。もう人肌程に冷めたコーヒーを手に、ソファで少しまどろんでいると、優しく肩を揺すられる。

「朝食ありがとう。美味しかったよ」
「あ、リドルくん、出る時間?」
「ナナシ」

嗜めるように名前を呼ばれる。

「君も、リドルだろう?」

そう言われて、顔に血液が集中し、寝惚けていた頭が冴えた。

「そう、だね」
「……」
「と、トム……いってらっしゃい」

よくできました、と言って満足そうに笑むと、彼はわたしの頬にキスを落とす。そして名残惜しそうにハグをしてから、姿くらましで職場へ向かって行った。

ホグワーツを卒業して3年。わたしはトム・マールヴォロ・リドルと結婚した。
籍を入れてから1ヶ月も経ってないし、まだ式も挙げてないので実感が湧かず、ついつい今までの癖でファミリーネームで呼んでしまうことがある。その度に彼は正して、わたしの赤い顔を楽しむのだ。

今日はトムが早く出なければならなかったので、新妻らしく一緒に早起きしてみた――が、自分の出勤時間まではあと1時間は眠れる。
最近、なんだか異様に眠い。

クッションに1時間後に震える魔法をかけ、それを抱きしめて再び眠りについた。

無事に起きることができたわたしは、いつも通り職場のカウンターに腰掛けていた。
ホグワーツ卒業後は小さな魔法薬のお店に勤めている。注文に従って薬を調合したり、店番をしたり。魔法薬の科目が肌に合っていて、必要の部屋で調合の練習もしていたわたしにはピッタリの仕事だった。

しかしなんだか今日は薬草の匂いが鼻に来る。もともと良い匂いではないし気のせいだろうと無視していたら、ガンガン頭が痛くなってきた。店主のマダムに一言添えて、気分治しにトイレに向かう。
――なんと、吐いてしまった。

「ナナシ、顔色が悪いわ。真っ白じゃない」

戻ってきたわたしにマダムは眉を寄せて心配すると、肩にブランケットをかけてくれる。そして、暫くしても顔色が戻らないわたしに早く帰ることを許してくれた。

店を出て通りを歩いている間、周りのものを何も見ず、音を聞くこともなく、わたしは1つの心当たりに胸を騒めかせていた。

足の向きをくるりと変えて、ある場所へと向かう。

1時間後、清潔な白い部屋で、柔らかな灰色の髪に金の丸眼鏡のおばあさん癒者と向き合っていた。

「おめでとうございます。妊娠されていらっしゃいますよ」

ぽかんと口を開けるわたしに、おばあさん癒者が微笑む。そしてたくさんのアドバイスをくれた。相槌を打ちながらも、ありがたいお言葉が頭の中をゴーストのように抜けていった。

家に帰ってもわたしの放心状態は覚めなかった。ソファでクッションを抱き、ぼんやりと宙を見る。
なので、バチンと姿現しをしてトムが帰ってきたときは、驚いて15cmほど飛び跳ねてしまった。

おかえりなさい、と言いながら少し慌ててトムに近寄り、ジャケットを預かる。
トムはくすくす笑いながら、朝と同様、わたしの頬にただいまのキスをした。またもぼうっとしていた頭に効果抜群で、夢心地から引き戻される。

「考え事でもしてたの?ふふ、ウサギみたいだった」
「むしろ、何も考えられなくなっちゃって……あの……トム?」
「何だい?」
「……聞いてほしいの。座ってくれる?」

わたしが真剣な話を持ち出すことは殆ど無い。不思議そうな顔をして、彼はソファに腰掛けた。その横に座り、軽く深呼吸する。

いざ、となると心臓がばくばくと別の生き物かのようにわたしの胸の中を暴れ回った。その動きが言葉をせき止めている。口を開くと少し苦しい。

ああ、でも伝えなきゃ。
心臓の辺りを押さえながら、すう、と音を立てて息を吸い、わたしは早口で簡潔にトムに伝えた。

「妊娠したみたいなの」

トムが固まった。

数秒経っても動かない。
間違って石化呪文でもかけたかな。

こんなことは初めてで、わたしの顔を見ている筈なのに透かしてその先を見ているような視線に手を振る。

瞳の焦点を治すと、トムはわたしの両肩に手を添えた。壊れ物を扱うかのような優しい手つき。ゆっくりと引き寄せられて、トムの胸の中におさまる。

「トム」

彼の体が僅かに緊張しているような気がして、気遣うように名前を呼んだ。強張りをほぐすように彼の背中に手を回せば、彼の腕の力が強まった。

「信じられない。僕が親になるなんて」

声が掠れていて。
心音も、いつもより少し速い。

「僕の両親の話をしたよね?」

抱きしめ合っているので、頷けばその振動が彼に伝わった。

魔法使いのお母さんを捨てたマグルのお父さん。トムがお腹に居るのに。
トムのお父さんのことを思い出すと、悲しみと憎しみで胸が苦しくなる。わたしでさえこんな気持ちになるのに、トムは一体どんな思いだったことだろう。

「今でも父を恨んでる。実は……同じ名前なんだ。父と同じ名前が嫌で嫌で仕方なかった」

ぎゅっと、彼を抱き締める手に力を籠める。これから伝える言葉が心からのものであると訴えるように。

「あなたとお父さんは違うよ」

父になったと分かって、トムはお父さんと自分を重ねてしまっているのだろうか。

「……君ならそう言うと思ってた」

ふ、と緊張を抜くようにトムは笑った。

「君に呼ばれる度に、名前への嫌悪感が薄らいでいくんだ。ホグワーツに居るときもそうだった。君が傍にいると、すっかり浄化されてしまう」

少し体を離して、トムはわたしの瞳を見つめる。真剣な眼差しの中に、影が揺れているように見えた。

「……言ってないことが幾つかある。学生時代、僕は、闇に堕ちていた。君と出会ったときには既に」

は、と驚きを落ち着かせるように息を呑む。

そんなの、全く気がつかなかった。
二面性があるとは思っていたけど……闇に手を染めていたなんて。

「そんな僕が、親になっていいのか?」

「この手で子供を抱いていいのか?」

問いかけてくるトムの瞳から目が離せない。
こんなことは初めてだった。

いつもわたしを揶揄って、リードして、余裕たっぷりに楽しんでいる。それがトムだ。

そんな彼が迷っていて。
それをわたしに晒してくれている。
大変な過去を、秘密を、打ち明けてくれている。そんなことが漏れたら今の立場を失うかもしれないのに。わたしに目を合わせて告白している。

怖いなんて、思わなかった。

信じてくれていることが嬉しかった。

「いいに決まってるじゃない」

いつもより白く見える彼の顔を両手で包んで、微笑みかける。トムは少し目を見開いた。

「昔がどうであろうと関係ない……トムはわたしの大好きな人」

ついさっきまで、彼が帰ってくるまで、頭が真っ白でぼうっとしていたけど。
素直な言葉が先に出て、気持ちの整理がついていく。

「すごく嬉しいの。大好きな人との子どもがお腹にいる。この子のお父さんがトムで、わたし、とっても幸せ」

これがわたしの本心。

「トムの全部を、わたし、受け容れるよ」

そう言って、わたしは彼の唇に触れるようなキスをした。

こんなこと、いつもだったらとても出来ないけど。今はとにかく溢れる気持ちが止まらなくなって、思い切ってしまった。

この男の人が愛しい。
全部、だいすき。

もう一度キスしようとすると、わたしがトムにしているのと同じように、トムがわたしの頬を両手で包み込んで、やんわりと止めた。

そして、トムからわたしの唇にキスをした。
先程のキスに返事をするかのように、同じような触れるだけのキス。

唇から甘い電流が流れていく。

「ああ、ナナシ……」

猫なで声で名前を呼ばれ、うっとりとした瞳に見つめられて、顔に熱が集中した。

「君を愛してる」

紡がれた囁きはわたしの中に染み込んで、心を幸福感で満たしていく。

頬を包み合う姿は滑稽だったかもしれないけど、わたしたちは暫くそのまま、お互いの存在に感謝を捧げていた。

――それから、数年後。

わたしは愛しい我が子の寝顔を見つめて、それはもうにやけていた。

ただの天使!
トムによく似た人形のような美しさは芸術品。目元の雰囲気や瞳の色はわたしのものを引き継いだらしく、それもまた嬉しい。

我慢できずにおでこにキスしてみるが、身じろぎ1つしない。すっかり夢の世界に入ってしまったようだ。

しかし、ここまで長かった。
本が大好きで、毎晩寝る前に読まされ、しかもだんだん体力がついて一筋縄で寝なくなってきている。あれもこれもと2〜3冊読む夜もしばしば。

今夜も2冊の本を読み上げるという任務を果たし、子供部屋からリビングに戻る。

「メローピーったらやっと眠ったみたい」

娘の名前はメローピー。トムのお母さんの名前だ。
自分を産んでくれた感謝。愛されなかったお母さんの代わりに愛を受ける存在になってほしい。
そういう思いを込めて、トムが名付けた。
親と同じ名前を嫌っていた彼にとっては簡単なことではなかっただろう。相当な決断だった筈で、聞かされたときは涙を抑えることができなかった。

わたしが声を掛けると、ソファで子と同じく読書を楽しんでいた様子のトムが口を開く。

「君にべったりだな」
「最近特にね。今日もずっと抱っこしてってくっつくから、ごはん作るの大変だったよ」

にやにやと可愛い娘のエピソードを語ると、「……ふうん」と返された。その声色は少し不服そうだ。可愛い。

「ふふ、パパったら妬いてるの? お仕事休んでるから、わたしの方が一緒にいる時間が長いだけだよ」

すすっとトムの隣に腰掛けて、側にあったクッションを抱きしめ、ちらっと顔を覗き込む。間違いなく妬いてるときの顔だ。
可愛い! 口角が緩んでしまう。

すると、彼は読んでいた本をパタンと閉じた。

「……違う」

テーブルに本を置いて、こちらに体を向ける。そしてわたしからクッションを奪って床に放り投げる。

「へ、トム?」

ゆっくりと押し倒されて、無表情の怖い顔で見つめられて。あれ、そんなに怒る?と戸惑っていると。

トムの顔がわたしの首筋に埋められた。
……そして、色を含んだ囁きが肌を撫でる。

「僕は、メローピーに妬いてるんだ……」

その吐息に、ぞわぞわと背中が粟だった。

そのまま唇は鎖骨の上の辺りに降りる。

「ん……っ」

ちりっと痛みが走って、キスマークを付けられたのだと分かった。

途端に身体中が熱を発し始める。
彼の手が服の中に侵入してきて、擽ったさにわたしは身を捩った。

「と、トム……!」
「ナナシは大変だね。メローピーのお世話が終わったら、僕の相手をしなくちゃいけないんだから」

相変わらず訪れるキスマークの痛み、肌を這う手の感触に、あっという間に溺れてしまう。

ああ……子どもに妬くなんて。
トムの独占欲には脱帽だ。

この人の気まぐれに、わたしはどれだけ翻弄されたことか。
どれだけ、ときめいたことか。

きっとこれからも、わたしとトムの関係は変わらない。
わたしもそれを望んでしまっている。

喜んで、永遠の忠誠を捧げよう。

わたしの愛しい王子様に。



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