気まぐれ王子@
昼食をとろうと大広間に入ると、女の子がきゃっきゃと騒ぐ声が聞こえてきた。そちらを見やれば、その中心にいる背の高い男の子が教科書を開いて勉強を教えている様子。
彼はスリザリンのトム・マールヴォロ・リドル。
容姿端麗な上に勉強も1番、監督生として周りの信頼も厚い。
彼に憧れない女の子は殆どいないだろう。学年も寮も違う何の接点も無いわたしでさえ、目の保養にさせて頂いている。近づくなんてとんでもない。遠くから見ているくらいが丁度良いくらいの輝きっぷりだ。
今日も横目でチラリと拝んで、友人の隣に座る。わりかし真面目なわたしたちは1週間後に迫る試験についての対策を話し合った。彼女と協力して勉強に取り組んでいるお陰で、わたしは成績を上の下くらいにキープし続けている。
しかし時には1人での勉強も大切であることはお互いわかっているので、今日は昼食の後に別れを告げ、それぞれの勉強場所へ向かった。
土曜日。授業は無い。
よし、図書館に引きこもろう。
適当に席を確保して、暫く魔法薬学の復習に励んだ。これは大体暗記できている。そして、闇の魔術に対する防衛術――そういえば教科書の参考文献を読みたいんだった。
立ち上がって、暫くウロウロ探して、黒い革表紙にお目当てのタイトルが金で彫られているのを発見。
自分より少し高いところに収められていた、その本を引き抜く。
「あ」
後ろから声が聞こえたので、振り返ると。
憧れのトム・リドルがわたしの手元を覗き込んでいた。
「…………」
開いた口が塞がらないまま、背の高い彼を見上げる。
こんなに近くで見たのは初めてだ。
本に向けられていた黒い瞳がわたしの瞳を捉えて、ドクンと心臓が跳ねる。
「……あー、その本。いつ読み終わる?」
残念そうな声色で尋ねられて、瞬時に理解した。
どうやら彼もこの本を読みたいらしい。
「よ、よかったらお先にどうぞ」
わたしは目を逸らして本をリドルへ差し出した。
そりゃ読みたいっちゃ読みたいけど、それよりもこんなハンサムとこんな至近距離で会話を続ける方がわたしにとっては都合が悪かった。
何故なら男の子に免疫が無いから。うぅ。
「それは悪いよ」
「いいの!」
申し訳なさそうな声につむじを向けたまま応え、無我夢中に本をリドルの手に押し付けて、わたしは逃げるようにその場を去った。というか、逃げた。
数日後。
朝食を食べていると、目の前にいた友人が口を半開きにしたまま何かを訴えるようにこちらを見ている。
「どうしたの?」
お腹でも痛いのだろうか。残念ながら薬は手元に無い。あれ、部屋のどこにやったっけ。
と考えを巡らせていると、肩をトントンと指で優しくつつかれたので、後ろを振り返る。
こちらが座っていたこともあり、まず胸元の緑のネクタイが目に入った。確かスリザリンに知り合いはいない。
不思議に思いながら首を上げる。
「やあ」
トム・リドルだった。
わたしは手にしていたパンをスープの中に落っことした。
スープが音を立てて撥ね、ローブに大きな染みを作る。
「あ、わ、」
「大丈夫?」
リドルは杖を取り出すとあっという間に染みを消してしまった。
「ありがとう……」
「礼には及ばないよ。――むしろ、僕がお礼を言いたかったんだ。本を譲ってくれてありがとう」
「ぃ、いえ、」
「読み終わったから君に渡したい。放課後、図書館に来れるかな?」
しばしフリーズしてしまったが、無言で3回くらい頷くと、リドルはニコッと微笑んで去っていった。
大広間の出口に向かう彼の背中を見えなくなるところまでぼけーっと見送る。前を向くと、友人はまだおんなじ顔をしていた。
放課後が来てしまった。
恐る恐る図書館に入り、軽く中を探す。
リドルはまだ来ていないようだった。
荷物を置いて席をとり、来たついでにと、読んでいた本の下巻を探しに行く。
戻ってくると前の席にリドルが座っていた。
「ナナシ」
突然下の名前で呼ばれて、とってきた本を落としそうになる。
リドルは机に置いておいた教科書の名前を指差して、微笑んだ。
「っていうんだね。ごめん、馴れ馴れしかった?」
ブンブンと横に首を振る。
そんなわたしに彼は優しく目を細めた。死にそう。
「僕は、トム・マールヴォロ・リドル」
名乗りながら、リドルは例の本を取り出した。
「はい。これ」
「……ありがとう」
律儀な人だなぁと感心する。
こんなの図書館に返しておいてくれれば勝手に借りるのに。
用件は終わった筈なのに、リドルは席から離れなかった。なぜ。手に変な汗かいてきた。
「ナナシはよく、図書館にいるの?」
「え……えっと、本を借りに週に何度か。居座るのはテスト前のお休みくらい……」
「ふうん。今まで見かけなかったから」
そう言うと、リドルは鞄から別の本を出し、読み始めた。
えっ。帰らないの?
正直リドルが眩しすぎて一刻も早くこの状況から逃げ出し寮に駆け込んで友人に報告したいところだったが、ここで立ち去るのはなんだか失礼な気がして、わたしもリドルが渡してくれた本を開いた。
「ナナシ」
20分程経った頃、呼びかけられて顔を上げる。
「全然ページが進んでないようだけど」
そうなのだ。
憧れのリドルが目の前にいることに緊張してしまい、文章がまったく頭に入ってこなくて、この20分で3ページ程しか読めていない。その3ページでさえちゃんと理解できていない。
「もしかして、僕がいるから緊張してる?」
心を見透かしたように問いかけるから、わたしの顔は真っ赤になった。
突如、リドルが立ち上がる。
あ、もしかして悪い風に捉えられちゃったのかな。決して邪魔というわけではない。
否定しようと立ち上がると、彼はわたしの真横に座った。
行動が不可解すぎて固まっていると、リドルがローブをくいっと下に引くものだから、そのまま従って再び席に着く。
近い。
さっきは机が物理的距離をとってくれていたのだが、今は。
真横。
しかも運の悪いことにわたしのもう片方の隣は壁だ。逃げ場なし。リドルがどかない限り、ここから動けない。
リドルは体をこちらに向け、首を傾けてわたしの顔を覗き込んだ。もちろんわたしは目を合わせることができないまま目の前の本の『狼人間』の文字を必死に見つめる。
「よく固まったり言葉を詰まらせたりしてるけど……もしかして僕だから?」
この状況でいっぱいいっぱいなのに、囁くような声色を使うものだから、心臓がどくどくと喚いて耳にまで届いた。
リドルにも聞こえてしまってるんじゃないだろうか。
彼は楽しそうにクス、と笑んだ。
「今キスなんてしたら、心臓止まっちゃうかな?」
き、きす?
何言ってんのこの王子様。だれかたすけて。
からかわれているのはわかっているが、あまりの発言にわたしの顔は燃えるように熱くなり、目が潤んだ。おそらく耳まで真っ赤だろう。恥ずかしい。
もう勘弁して、と訴えようと、こちらを覗き込むリドルを勇気を出して見返す。
彼の顔から微笑みは消えていた。
真剣な顔で、わたしを見つめていた。
「駄目だ。そんな顔したら、」
きゅっと両腕を掴まれて。
彼の顔がぐっと、目と鼻の先まで近づいた。
呼吸ができない。
「本当にしたくなっちゃうだろ……」
まって。
目の前がリドルでいっぱいになって、彼の瞳に赤が見えたような気がした、そのとき。
バタン!
と音がして、ガヤガヤと数人の男女が図書館に入ってきた。
リドルの動きが止まる。
彼らの足音はこちらに近付いているようだ。
「いけない人たちだな。注意しないと」
リドルはわたしから体を離し、すくっと立ち上がった。
た……助かった。
心臓に手を当て呼吸を整える。
そんなわたしの髪をふわりと撫で、リドルは問いかけた。
「ねぇナナシ。明日の放課後も、ここの席、とっておいてくれる?」
わたしが頷いたり返事をする前に、リドルは荷物をまとめて男女の方へ向かっていった。
注意する声をBGMに混乱した頭を整理しようとしたが、無理だった。
さっきの何。
明日っていつ。
その夜、試験勉強に身が入らなかったのは言うまでもない。
[目次]