居残りA

明後日の19時。

2日と無い。持てる時間は僅かだ。
でも、でも、できるようにならないと。

今も尚あの甘い囁き声が耳に纏わりついている。

あんな居残り授業、もう1度受けるなんて無理だ。だってこんな感覚は知らない。他人に、こんな風に心臓の中を掻き回されたことはない。

ない、筈なのに。
……知っているような気がする。

動揺を紛らわすように廊下を走った。そして大広間に駆け込むや否や我がグリフィンドールのテーブルを見回す。目的の人物は食事を終え、立ち上がろうとするところだった。
すかさずその後ろに駆け寄り、背中から抱き着く。

「ミネルバ!!!」
「ひっ……!」

ミネルバ・マクゴナガルは浮かそうとした腰を尻餅をつくように椅子へ落とし込む羽目になった。ごめん。

「ナナシ!! 何なの一体」
「ミネルバしかいないの、あなたの時間を下さ、」
「嫌」
「ミネルバあ」

周りのグリフィンドール生はまたかといった顔で見てくる。わたしが彼女に頼る光景は我が寮お決まりのコントの様になっているのだ。

……ミネルバはなんだかんだお願いに弱い。

「何をするというの?」

優しい彼女は溜め息まじりにこちらへ振り返る。それに甘えるようにわたしは眉を寄せた。

「武装解除術を教えてほしいの」

そう。いつも勉強を教えてくれて心臓を掻き回すことのない同性のミネルバに教わるのが1番だと、わたしは考えた。事実、今日の授業で彼女はなんなく武装解除の呪文をやってのけたし(むしろもっと難易度の高い呪文に成功していた)、人に教えることが上手だ。
彼女ならわたしに術を習得させてくれる筈。

ミネルバはきょとんとした顔をした。

「あなた、今日リドル先生に居残り授業を付けられていた筈よね」
「うっ……そうだよ」
「習得できなかったの?」

無言で頷くと、ミネルバが立ち上がろうとしたので抱き着く腕に力を籠める。彼女は至極面倒そうに体の力を抜いた。

「リドル先生で駄目だというなら私に何ができるというのよ」
「お願い! このままだと明後日も居残りなの!」
「あら。いいじゃない、また教えてもらえば」
「い、いや、」
「どうして?」

どうしてってそんなの。

思い起こされる。鮮明に。
なんせ、ついさっきのことだ。

重なった手。耳に触れた先生の吐息。首元に埋められた顔。先生の髪が頬を擽って。体を、押し付けられた。

あんなの、むり。

顔が火照っていく。
揶揄うような笑顔も、あんな行動で乱されてしまう自分の幼さも、何もかもが悔しい。

まさか、関わらないようにと接触を避けてきたリドル先生にあんなことをされるなんて……。

……言ってしまえば?

監督生のミネルバにでも、寮監のダンブルドア先生にでも、リドル先生の行動を言ってしまおうか。
そうすれば教師としてあるまじき行為を行った彼を追い詰めてしまえる。わたしは居残りから解放される。

でも。

そうしたら、先生は、

「ナナシ?」

ミネルバの声に呼び戻され、はっとして、でも何と言っていいかわからない。それを誤魔化すように大袈裟に彼女に縋りつく。

「お願いお願いお願い」
「っ……!! 分かりました、分かりましたから」
「だいすき!!!」

……流石はミネルバ・マクゴナガルだった。
みっちりと叩き込まれた結果、1日目に発音や杖の動き、頭の中に浮かべるイメージのコツを掴み、2日目の夜には3回に1回は成功するようになった。彼女は教師に向いていると思う。

そして居残りを言い与えられた当日。

その教室からは授業が終わったのか下級生が溢れ出てくる。流れが落ち着いてきたので出入口の横の壁に背中を貼りつけ、そうっと中を覗くと。質問のため残った生徒の対応をする敵……リドル先生を捉えた。相変わらず爽やかで、暗い緑と紺のアーガイル柄のカーディガンが似合っていた。

頭を引っ込め、最後の生徒が出てくるのを待つ。緊張で高まってきた心音を深呼吸で無理やりに落ち着ける。

暫くして最後の生徒が教室から出て、わたしがいる方とは逆の廊下へ駆けていった。横を通り過ぎたが壁に貼りついていたのでわたしには気が付いていない。

よし、行かなきゃ。

……でも、もう1回深呼吸してから――。

「お待たせ」
「!」

う、わ。

恐る恐る声の方へ顔を上げると教室の出入口に寄りかかるようにして、リドル先生がこちらを見下ろしていた。

わたしと視線が合うと、目を細める。

その表情にまたも心臓が掻き回された。

「どうしたの?」

声を掛けられたことで距離が近いことに気づき慌てて離れる。それを見てクスリと笑う先生に憤りが湧いてきたことにより、心臓を落ち着かせることができた。

「武装解除術、見て欲しいんです」
「19時って言っておいたと思うけど?」
「はい。でも今できれば居残りしなくてもいいですよね」

わたしの挑発的な発言に先生は目を眇めた。そして訪れる沈黙に緊張が募る。明らかに雰囲気が変わった。

お、怒った……?

「いいよ。見せてごらん」

先生はくるりと後ろを向くと、わたしを招くように手を揺らしながら教室の奥へ歩いて行った。

それに着いて行きながらも、術をかけるのに程良い距離をとる。先生がくるりと振り返り杖を構えたのを確認し、彼の杖に意識を集中させた。

「エクスペリアームス!」

杖先からスカーレットの閃光が、鋭く先生の杖に目掛けて放たれる。

今までで最高の出来だった。

のに。

「……!」

呪文を撥ね返されるように、こちらに向けて風圧がかかる。
杖を弾かれないようギュッと杖手に力を込め直し後ずさったわたしに対し、先生は立ち姿も乱れぬまましっかりと杖を握っていた。

「……いま……」

できなかったんじゃない。
確かな、排斥された感覚。

無言呪文で撥ね返したんだ。

「では19時に」

リドル先生は杖を一振りして教室を整えてから、颯爽と出て行ってしまった。

どうして?

できるようになったら居残りなんてしなくていいじゃない。
どうして呪文を潰したの?

先生は、何を考えてるの?



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