ゲルダ (櫂アイ)
2015/01/11 17:06

繋がれた手は冷たかった。
台風が過ぎた途端に気温は下がり、秋の気配も遠退いてしまった。手のひらを温めるように擦りつけているのは無意識だろうか。彼は口に出さないけれど、態度で表すようになった。
並木道の紅葉は赤く、頬も赤い。それは彼が隣にいるからで、それだけで心臓は高鳴った。
少し前までーー黒い輪が崩れる落ちるまでーー僕は彼の背中を追いかけていた。走っても走っても追いつけない背中を。そうであったのに、今では隣に並んでいる。
彼の隣には何人立てるのだろう。もしかすると誰でも可能なのかもしれない。ただ、彼は気付かなかったのだ。静かに炎の柵で囲って、喪失から守るために孤独になっていたのだ。ゼロからは何ものも奪うことはできない。
僕はずっと彼のことを強い人間だと思っていた。他の人とは異なると、神格化していた。
でも、彼は僕と変わらぬ人の子で、心もある人間だったのだ。だからと言って憧れが消えるわけではないけれど。

ゆっくりと動いていた景色が、止まった。もう別れ道なのだろう。ただ彼はじっと僕を見つめて、訴えていた。

「櫂くん、何か温かい飲み物でも飲もうか」

ほんの少しだけれど、彼が微笑んだ。滅多に見せてくれなかった表情に安心する。奥深く刺さった冷たい何かが抜けたのだろう。赤い模様と一緒に。

喫茶店で案内された席はよくある向かい合うタイプの二人席だった。名残惜しそうに彼は手を離して、上座に座るよう促した。年功序列から考えれば僕には下座が相応しいと思うのだけれど、抵抗する理由もなかったのでそのまま座る。ワイン色の布が張られた椅子は柔らかかった。
クラシックが流れる空間は静かでどこか緊張した。身体を巡る血がすっと冷たくなったようだった。
彼は珈琲を、僕はココアを注文した。それから暫く会話もなく互いの顔を眺める。
翠の澄んだ瞳。幼い頃よりも目が鋭くなった。厳しい表情をすることが多いけれど、最近は柔らかな表情が増えた気がする。
ゆっくりと、何か秘めていたものをそっと打ち明けるように、彼の口が開いた。

「誰も、俺の傍にはいないのだと思った」

彼は何もかもを一人で完結する人だった。一人で考え、一人で行動し、一人で結果をかみ締める。だから僕は結果の一部しか知らない。ここにいるという事実だけで、経過なんて全く。三和くんなら少しは把握していると思うけれど。
傍、というのは物理的な距離だけではないだろう。安心を与えてくれる、心で繋がる糸のようなもの。ブラスターブレードのように。

「だが本当はずっと前からいたんだ。アイチ、お前が」

優しく微笑む彼。元々はこういう性質だったのだ。そしてこれからもそうやっていれば、僕だけでなく様々な人が彼に手を差し伸べるのだと思う。

届けられたココアを両手で持つ。たっぷりと乗った生クリームがまるで雪山のようだ。そっと口に流し込むと、温かな甘さが広がった。
今は美味しいと知っているからココアを注文するようになったけれど、エミに教えてもらうまでは一切選択肢に入らなかった。美味しいものを見つけるには挑戦も必要なのよアイチ。得意に笑う妹が目に浮かぶ。

「櫂くんの傍には僕以外にもいっぱいいるよ。今まで見えなかったのかもしれない。でもこれから段々気付いていくと思うんだ」

三和くんやレンさん。Q4だって。一緒にいる時間は短いかもしれない。それでも大切には変わりない。

「だが、俺には、アイチだけだ」

両手をぎゅうと握られた。コーヒーで温められただけではない、彼の炎が伝わってくる。
泣きそうになるほど嬉しかった。目が熱くなった。うんと頷ければ、どんなにいいだろう。

「ありがとう、櫂くん」

ごめんなさい櫂くん。



一人での帰り道、満月の空を見上げる。どうか彼がゲルダにならぬように。雪の女王はいないのだから。




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