終焉のひとひら

組合との戦いが終わり、鏡花ちゃんの入社祝いを兼ねた招宴(パーティ)を開いた日の、深夜。電子手紙(メエル)で呼び出された私は、ヨコハマのとある教会へと来ていた。蔦が巻き付き、背丈を軽々超える草の生えたそこは、何十年も昔に捨て置かれ、其のまま朽ちていくだけの残骸なのだろう。まるで私達の愛を表しているようで、此処を指定した彼の真意を勘繰ってしまいそうだった。恐らくは、単に人目の付かない場所を選択しただけの事なのだろうけれど。
錆び付いた扉を押せば、ギィ、と不快な音を立てつつも、案外すんなりと開いた。外観から、なかなか開かないかもしれないと思っていたのに。
中は、案外綺麗なようだった。と云っても、天井を彩っている筈のステンドグラスは割れて床に散乱しているし、そこら中に染みがあり、よく見ると雑草さえ生えている箇所もある。それでも、外観に比べれば残骸の中にも神聖さが漂っている気がした。それは、イエス・キリストの像が、未だ健在であるからかもしれない。
立ち止まっていた足を動かし、先頭の席まで歩く。そこに彼が座っている事は、入口から完全に見えていた。真白いウシャンカが、暗闇の中に浮かび上がって。

「こんばんは。そして、お久しぶりです」

私が先頭に辿り着くのと同時に、彼は立ち上がり、口を開いた。あの、半年間と何ら変わらない、美しい微笑みと共に。

「……ええ、久しぶりね」

対して、私の声は震えていたかもしれない。決して寒い訳ではないというのに、足が震えていた。愛しい彼。此の想いはまだ褪せる事なく、私の中に色濃く残っている。それでも、彼は敵であり、だから、怖かったのかもしれない。何を云われるのかと。
一歩、近付いた彼は、あっという間に私を腕の中へ閉じ込めた。会いたかった、囁かれた言葉に、ぎゅっと目を閉じ体を預ける。私だって、会いたかった。けれども、叶えられてはいけないのだ。本当は、此の逢瀬さえいけない事なのだから。
ほんの少しだけ距離を開けた彼は、何時かのように私の頬へ指を這わした。そうして、口を開く。

「日和さん。私は貴女の事が好きです。愛しています。彼の時は、貴女と離れて月日が経てば何れ消え去るような、所詮は一時的なものだと、思っていました。けれど、そうではなかった。寧ろ、日を追う毎に、愛しさが募って仕方がないのです」
「っ……」
「ねえ、日和さん。それは、貴女も同じではありませんか?だからこそ、今日此の場に来て下さった」

彼の言葉は、何時だって私の心を揺さぶる。

「……確かに、私も貴方の事が好き。今でも愛してる。でも、私は……」

私は、事務員とはいえ武装探偵社の一員で。彼は、露西亜の地下組織、盗賊団死の家の鼠の頭目で。決して交わってはいけなかったのだ。

「私が今日、此の場に来たのは、これを貴方に渡すためよ」

彼から一歩離れ、後ろ手に持っていた花束を押し付けるようにして渡す。

「これは……夕顔、ですか」
「そうよ」

彼は、悲しそうに、寂しそうに、儚げに笑んだ。

「夜の思い出、儚い恋、罪……嗚呼、どうしてでしょう。何故、貴女だったのでしょう」

油断すると、涙が零れ落ちてしまいそうだった。ぐっと堪える。今はまだ、泣くべきではない。泣いてはいけない。此の恋は、始めからこうなるべきだった。こうなる他、なかった。

「さようなら。フェージャ、いえ……ドストエフスキー」

ぐっと痛いくらいに拳を握り締め、背を向ける。背後で、彼が崩れ落ちたのが分かった。小さな嗚咽が響いて、それは果たして彼が発しているのか私が発しているのか、私には終ぞ分からなかった。
ギィ、と不快な音を立てて扉は開く。外は何処までも静寂が広がり、暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる満月が、彼のいる教会と私を見下ろしていた。頬を涙が伝うものだから、そっと手巾(ハンケチ)で拭う。歩き出した私の足元、三毛猫がじゃれるように頭を擦り付け、其のまま通り過ぎて行った。

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