「ほら、早く入りましょうエースくん。」
「……。」
「早く早く!」
勢いに押され、来てしまった。学ランに袖を通したのも朝に外に出たのも……学校に来たのも、一ヶ月──実に入学式ぶりだった。そんなおれは現在、教室の前で苗字と押し問答を繰り返している。
「……やっぱ帰る。」
「だっ駄目です、ここまで来てー!」
着いたもののやはり億劫になり踵を返、そうにも苗字がおれの腕を掴んでいて不可能のうちに終わった。
……まァ家に帰っても母さんがいるだろうし追い出されるか。苗字の腕を軽く振り払うと、知らず出た溜息と共に足を踏み出す。
「あっエースくんの席、私の隣ですよ。」
「……げ。」
だからこいつは今朝いきなりやってきたりしたのだろうか。担任にでも何か言われたか?だとしたらいくら幼馴染みといえどもお人好しすぎだ。それかアホ。今だって手ェ振りほどかれたってのにバカみたいにニコニコ笑っていやがる。
しかもその席とやらは廊下側の列の、前から2番目という最悪の場所。その右側の席が苗字の席らしい。
「(何でこんなことに……。)」
どうしたって苛々が治まらなくて机にどかりと足を乗せて椅子に凭れ掛かる。そのうちにチャイムが鳴って、先公が入ってきた。どうやらHRが始まるらしい。ちなみに担任の顔は入学式で一瞬見た程度だから覚えてねェ。
「(あいつか……。)」
入ってきたのは、ぼさぼさの赤髪野郎。おれが言うのもなんだが、そいつは何処かちゃらけた雰囲気を纏っている。こんな奴が担任で大丈夫なのかよ。と、じっと見ているとそいつはおれの存在に気が付き即座にこちらに向かってきた。
結局、先公なんざどいつも一緒だ。こいつだって入学早々ひと月もサボっていたおれを窘めるか何かするんだろう。あるいは嫌味か、はたまた面倒事を避けてのゴマすりか。そう考えて自分の前に立つ相手にガンをとばす。
「──いやぁ、よく来たなぁエース!お前一ヶ月も来ねェんだもんよ。どうすっかなァと思ってたけどまぁ来る気になったなら良かった!はっはっは!」
そうあっけらかんと言い放ったかと思えば、乱暴におれの頭を撫でて、奴は笑いながらまた教壇へと戻っていく。おれはと言えばその背に呆然と視線を向けたまま、二度目の「予想外」に口を開けるしかなかった。
「よォーし!エースの脱・引きこもりを祝って、今日の一時間目のおれの授業は自習だ!」
連絡事項を言い終えた担任──どうやらシャンクスというらしい──が軽やかな口調で言えば、クラス内が騒然となりクラスの連中がにわかに浮かれ出した。自習の理由が自分だなんて冗談じゃない、悪目立ちも良いところだ。思わずがたん、と席を立つ。
「だっ誰が引きこもりだ!大体テメェ、教師がそんなんで、」
「え、エースくんエースくんっ。」
「あァ?!」
言いかけたところで小声で名前を呼んできた苗字に、自分でもわかるほど不機嫌MAXな声が出る。しかし苗字はそれに怯える風もなく笑って、こう言った。
「よかったね。」
「…………、はァ。」
何だか解らないが毒気が抜けて、席に座り直す。苗字はもうそいつを手懐けたのか!なんて笑っている赤髪に憤りを覚えることさえ、もはや馬鹿らしく思えるほど。
学校に来たことも自習になったことも、別におれにはどうでもよくて一体何が良いんだと悪態をつきたい気持ちも無いわけではなかったが、あまりに苗字が、自分のことのように嬉しそうに笑うから。昔にさんざ見慣れた泣き顔よりは遥かにマシだ、だとか。
ほんの少しだけ。
悪くないな、なんて思ってしまった。
ほら、まだまだ世界は捨てたもんじゃない
(貴方を受け入れてくれる人はたくさんいるんですよ)