(廉朴)



懐かしい…夢をみた。

あれは確か、中学2年目の冬の出来事だ。



「ふぇっくし!」

休み時間。
窓際の自分の席でうとうとと居眠りをしていると、急に冷たい風が吹いてきて、盛大なくしゃみが出た。鼻を啜りながら顔を上げると、クラスメイトの女子2人がすぐ近くで窓を開けていた。夢の中の2人の顔は、靄が架かったようになっていてよく見えない。名前すら思い出せない2人だったが、それが自分のクラスメイトだということは何となしに覚えていた。


「あ、志摩くん寒かった?ごめんな!ちょっとの間だけ換気させてや」

一人はそう言いながら、全ての窓を開けていく。何事かと思い、どないしたん?と聞けば、もう一人が小さな小ビンをプラプラと振って廉造に見せてきた。

「マニキュア塗ってたら部屋ん中、臭なってしもてん」

「…マニキュア?」

ああ、そういや家の女兄弟がよく使っていたな…と思い起こす。あれは確かに臭いがキツい。嗅ぐと気分が悪くなる程。だけど…

「…別に、なんも臭わんよ?」

廉造はそう言って、首を傾げた。二人に気を使って言ったのではなく、本当に何の臭いもしなかった。彼女達は一瞬静止した後、

「え?志摩くん何いうてはんの?」

「そんなわけないやん。部屋中に臭い充満してるやんか。かなりキツイやろ?」

と口々に否定してきた。

「せや言うたかて、ホンマになんも臭わへんねやけど‥」

苦笑いしながら言った言葉に二人は『ええっ!?』と素っ頓狂な声を上げてから笑い出した。

「志摩くん大丈夫!?耳鼻科行かはった方がええよ」

「せやで!アンタの鼻ん中、絶対なんか詰まってるわ〜」

「はぁ…は、ははは‥」

(なんかって、なんやの…)

箸を転がしても笑える歳とはよく言ったもので、このくらいの歳の子はよく笑う。もう何を言っても笑い話にされてしまいそうだ。廉造は顔を引き攣らせながら苦笑いをした。
楽しそうなのは結構だ。だが、本当に何も臭わない。いつもの様に全力で突っ込みたかったが、廉造はその時は力無い苦笑いしか出せなかった。

「見て!息が白なるなぁ」

「ホンマや。今朝、霜降りてたもんなァ」

「昨日の夜も寒かったし」

『寒い』『寒い』と言いつつも、彼女たちは寒さを感じさせない程、楽しそうに騒いでいる。


「はっくし!っぶぇくし!!‥ちょっ、二人!頼むから早う閉めてんか」

「え、でもいま開けたばっかやし‥」

「志摩さん少しは我慢しはったらどないなん?」

廉造は本気だったのだが、彼女たちは笑いながら冗談交じりに言っていて、窓を閉めてくれそうになかった。

「いやいや‥冗談抜きに寒いねんて…これで僕が寝込んだらどっちか看病してもらおかなー、なんて‥」

「げっ!志摩を看病とかホンマないわ〜」

「ウチも志摩くんは有り得んわ〜勝呂くんやったら喜んで看病するけどなぁ‥」

「あ、わかる!ウチも勝呂くん看病したい〜」

二人は廉造の女子好きに慣れきっていて、軽口をいつも同じ様な反応で流している。隣で、密かに傷ついた廉造が「坊、モテはるんや…」と呟いてもお構いなしだった。

「だいたいなぁ、志摩はバカやで風邪ひかんし心配いらん」

「志摩くんお馬鹿さんやもんなァ」

「ええ!?ひど過ぎや〜!大体ソレて迷信ですやん!」


そんなくだらない話をしていると、不意に片方の女子が時計を見上げた。

「あ、もうすぐ次の授業始まるわ。ほな、席着こか」

「せやね〜」

次は国語やなぁと言いながら着席する二人から離れて、廉造はのろのろとドアを目指す。ドア付近の別のクラスメイト達が、『あれ?志摩、何処いくん』と言ってくるが、『ん〜‥ないしょですわ』と告げて、うやむやにした。

「サボり?志摩がサボりとか珍しいやん」

「ていうか、サボったらアカンで!はよ戻ってきいや〜」

ちゃんと帰って来るんやでー。
後ろで言っているのに手をひらひらと振り、適当にやり過ごして廉造はひとり教室を出た。

生徒が教室へ戻った後の廊下は静かだった。
身震いをして、くしゃみを2、3度くり返す。

(誰か…)

よろついて手摺りに手を着きながら、縺れる脚をどうにか動かして人の居ない場所を目指した。

(‥いや、誰も)

誰ひとり、気付かなかった。誰ひとり、廉造が授業をサボるよりも自分の席で寝ている方が珍しいことに気付かない。そして、本当に体調を崩して高熱を出していたことにも、気付かなかった。

また身震いがきて、廉造は不快感に顔をしかめた。

長い渡り廊下を通り抜ける。階段横の資料室が少し開いていることに気付いた。素早く滑り込み、内側から鍵を閉める。丁度、予鈴が鳴りはじめた。

(誰か…誰か‥、)



誰か、見つけて…

誰も、見つけんといて。


独りにせんといて…

嘘や。薄っぺらい関係なんかはいらん…



寒い、寂しい…



―――



「っ、ぶぇくし!」


自分のくしゃみの音で目を覚ました。急に現実に引き上げられた身体は重く、心臓はドクドクと早鐘のように脈打っている。
ゾクリ‥悪寒がして全身が震えた。
廉造は心音と荒い呼吸の中で茫然と天井を見る。毎日見るよく知った天井ではない。寝ていたベッドもいつもと居心地が違った。何時も寝ている寮のベッドでもない。もっと状況を把握しようと視線だけで辺りを見渡すと、ベッドを囲むカーテンが見えた。

(…あ。)

見たことのあるカーテンの色と、小さく刺繍されたエンブレム。
察するに、どうやら正十字学園の保健室に居るようだ。

(さっきのは…夢か。中学2年の時の…随分とまた、懐かしい夢やったな‥)

体はゾクゾクと悪寒が走っているが、先程よりは幾分マシになったと思う。布団の中に居るからか、はたまた、横腹に温かい重みを感じるからか。

(…、重み?)

そこまで考えてから廉造は、横たわったままの状態で、顔を少し動かした。


「、え…」

(ぱ、朴さん!?)

そこには、廉造と同じ正十字学園に通う元祓魔塾生徒の朴朔子が、廉造の横腹に頭を預けるように乗せて眠っていた。

(なんで…?)

頭に疑問符を浮かべながら、スヤスヤと気持ち良さそうに眠る朔子を起こさないようにそっと体をずらす。

(そうっと…そうっと‥あっ、)

気をつけたはずなのに大きく振動を与えてしまい、「…んん、」と朔子が唸った。廉造は慌てて距離をとる。


「ん……志摩…くん?」

「お、おはよぉ朴さん」

起こしてごめんなー‥、とどぎまぎしなから廉造は早口に謝る。朔子は暫くぼんやりした目で廉造を見てから、むくりと上半身を起こした。

「志摩くん」

「は、はい…おはようございますっ」

「うん、おはよう。身体の調子はどう?まだしんどい?」

「…、はぁ」

いつも通りの朔子に困惑しながら、廉造は頷いた。

「…調子は、随分と良ぉなりました」

「本当?」

「…まぁ」

一応、と言うと、朔子は『よかった!』と嬉しそうに微笑み、どれどれ‥と言いながら顔を近付けてきた。

「、朴さんっ!?」

何する気ですの!?という廉造の悲鳴も虚しくあれよあれよといううちにおでこ同士がくっつき、そして離れた。

「うーん‥まだ熱があるね…」

至極真面目な顔をしている朔子に、廉造は両手で顔を押さえながら『朴さんのせいです〜っ』と心の内で叫ぶ。
悶えている廉造を見て、朔子は

「志摩くん…しんどそうだね」

と心配そうに眉を寄せた。

(天然さんや…)

廉造は困ったように頬を掻いた後、周りをゆるりと見渡した。

「そーいや…朴さん何でここに?」

「私、保健の委員会に入っているから用事で来たんだけど、来る途中に志摩くんを見つけたから拾ってきたの。ここの向かい側にある給湯室の中で倒れてたんだよ」

「…僕が、給湯室?」

「そう。給湯室のドアが開いたままだったから覗いてみたら志摩くんがすごく苦しそうにしてて、呼んでも起きなかったから驚いたなぁ…」

「…せやったんですか」

数年前とまた同じことを繰り返していたらしい。あの時は資料室で、今回は給湯室。同じような行動をしたから、あんな夢を見たんだなと廉造は一人納得した。

「朴さんが見つけてくれはったんやね。おおきに」

礼を言うと、朔子は嬉しそうに微笑んだ。

「どう致しまして。私が今日、志摩くんを見つける為に一日行動をしてきたのなら、今日はとっても大事な一日をすごしたことになるなぁ」

「…?」

廉造が首を傾げて見上げていると、朔子は『あ、そうだ。志摩くん』と何かを思い出した様に声を上げた。

「保健室の先生、今日は出張で学校出なくちゃいけないらしいよ。」

「…え?」

「だから保健室閉めて、体調の優れない子は早退させてあげてって」

「‥はぁ。早退…」

「志摩くん熱高いし…どうしよう?私が鍵預かってるから、まだ休んでいたかったら寝ててもいいけど…」

どうしたい?
おっとりと聞いてくる朔子を見てから俯き、考えた。
正直、動けない程ひどくはない。だけどこのまま帰って、寮で一人になると思うと、それは…。
廉造が唸りながら悩んでいると、ふいに朔子が『志摩くん』と呼んだ。見上げると、朔子が『風邪の時くらい、甘えていいんだよ』と言った。

「はぁ…朴さんに看病してもらえるんやったら、甘えさしてもらおかな」

廉造は笑って、女の子に看病してもらえるなんて、貴重やし。と、いつもの様におちゃらけて言った。すると、朔子は急に真面目な顔をして、少し悲しそうに眉を下げた。

「志摩くんは、人に本音を知られるのは‥嫌?」

「…へ?」

「どうして、寂しいのに隠すんだろう。志摩くんはホントは凄く淋しがり屋なのに」

「朴さん…?ちょ、ちょっと待って…、何言うてはんの…」

「志摩くんね‥寂しいって、ずっとうなされてたよ。あれはただの悪夢じゃないでしょう?あれが志摩くんの本音じゃないの?」

ドキリ。
大きく波打つ。
隠し事が見付かったような感覚に、言葉がでなくなった。

「志摩くんは‥しんどくなると、独りになろうとするタイプなのかな。身体が弱ったときは、独りって余計に辛いのにね」

朔子が悲しそうに見ている。それすら苦しくて、泣きそうになる。

(気付いて、くれたん…?)


「ねぇ、志摩くん。辛かったね。次に目が覚めるまで、私がここに居るから、寂しがらずにゆっくり休んでいいんだよ」

そう言うと、朔子が廉造の胸元をポンポンと軽くたたき始めた。

「っ、ちょっと‥泣きそうやで見やんで下さい」

「ううん、見てる。よしよし、辛かったね」

「朴さん…なんや、オカンみたいや」

「それは、褒め言葉として受け取ってもいい?」

「おん。…せやけど、うちのオカンとはちゃいますよ。もっと優しいて、なんか暖かいわ‥」

「ふふ、ありがとう」

「いや、礼言うんは‥僕の方…」

言いながら、廉造はうとうととし始めた。

「眠たそうだね。寝ていいよ?」

「そうさせて貰います‥」

「次に起きた時、熱が下がってたらいいね」

「…ありがとぉ‥」

優しい笑顔に見守られて瞼を綴じると、不思議と身体が楽になったように感じた。

廉造の耳に柔らかい歌声が聞こえ始める。小さな子供に歌うような、眠りを誘う優しい子守唄。

(ホンマ、あったかぃなァ…)

傍に人の存在を感じながら眠りにおちて行くことのなんと気持ち良いことか。
廉造は満たされたなにかが漂う、あたたかくて心地好いまどろみの中へと、ゆっくり、静かに沈んでいったのだった。



(大丈夫。もう、寂しくないよ。)

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