(メフィしえ)
ポカポカと暖かい陽射しの中。
洗濯物を干していたしえみは、広い庭の端っこに丁度いい陽だまりを見つけた。
嬉しそうに目を輝かせると急いで洗濯物を干し終わらせ、家から折り畳み式の椅子を持ち出して陽だまりに置いた。そして凭れ掛かって気持ちよさそうに目を綴じ、うとうとと居眠り始めた。
一部始終を眺めていたメフィストは、そんなしえみの後ろに音も無く降り立ち、眠っている彼女の耳元で突然声をかけた。
「こんにちは、杜山しえみ」
「わあっ!」
しえみは驚いて跳び上がり、椅子からずり落ちかける。それを予めわかっていたかのように、メフィストが片手で素早く支えて元の位置に戻した。
「‥びび、ビックリした…」
「おやおや、驚かせてしまい申し訳ない」
「えっ?あ、いえっ!」
しえみはバクバクと落ち着かない胸を押さえて首を振り「大丈夫です!」と言いながら慌てて椅子に腰掛け直した。
「わ‥私こそビックリしてごめんなさい」
「いえ、とんでもない」
「こんにちは、メフィストさん」
「はい。こんにちは」
ニンマリと薄く笑いながら見詰めてくるメフィストを見上げ、しえみは気を取り直してニッコリと微笑んだ。
「今日はまた、いい天気ですな」
「そうですね」
椅子の横に並んだメフィストと二人、庭の景色を眺める。小鳥の囀りと緩やかな風が心地好い。二人の間をゆったりとした空気が流れ出した時、不意にしえみが呟いた。
「私…メフィストさんの登場にいつも驚いてしまって‥何時まで経っても慣れませんね」
「‥そうですか?」
「はい。毎回大きな声出してしまって、恥ずかしい‥」
うるさくてスミマセン、しえみは恥ずかしそうにはにかんだ。
「私は構いませんよ。大きい声でもない」
「‥え?そ、そうですか‥?」
困ったようにへにゃりと笑うしえみに、メフィストは「モチロン」と頷いてから歯を見せて笑った。
「それに」
「…それに?」
「…」
不思議そうに見上げたしえみを、メフィストは黙ったまま少し見詰める。
「メフィストさん?」
向かい合って彼女を見下ろし、自らの影の中に納めた。
「私は貴女の驚いた様子を見るのが、非常に好きでしてね」
「‥えっ?」
僅かだが空気変わったことに気付き、しえみは首を傾げる。
「あの‥メフィスト、さん?」
どうかしたんですか?と尋ねるしえみの頭に、メフィストは右手を翳してぱちんと指を鳴らした。その瞬間『ポンッ』という破裂音がして、しえみの頭上に真っ白な鳩があらわれる。
「きゃっ、」
爆風にしえみは小さく悲鳴を上げた。彼女の頭にちょこんと居座った鳩を、メフィストはよしよしと撫でている。
「メ、メフィストさん!?」
「はい。なんですかな?」
「わわ、私の頭に何かっ乗ってませんか!?」
彼女自身からは見えない為、頭にいったい何が乗っているかしえみ自身はわからない。下手に頭を動かすことも、ましてや確認の為に触ることもできず、プルプルと小刻みに震えながら耐えているしえみを愉しそうに眺めながら、メフィストは彼女に悟られないように口を片手で覆い隠し口角を上げた。
「…悪魔ですな」
「へ!?」
「しかも随分と獰猛なヤツだ。貴女を食べようと狙っています。このままでは食べられてしまうかもしれませんな。」
「ええっ!?」
メフィストが『食べられる』と言った瞬間、しえみの肩が大きく跳ねた。あわあわと両手を意味も無く動かしながら半泣き状態で叫び、メフィストの胸元へと詰め寄る。
「めめ、メフィストさん!!」
「はい。なんでしょう」
「とっ、とと取って貰えませんか!?」
「何故です?しえみを捕まえようと頑張っている所なのに。」
「へぇえっ!?悪魔さんやめてぇっ」
「取って、取って」と繰り返しながら縋り付くしえみの腰に、メフィストはそっと腕を回しニヤリと笑った。
「捕まえました」
その瞬間、再びぱちんと指を鳴らす音がしてしえみの頭上から鳩が消えた。
「‥え?」
重みが急に無くなる。感触も体温も感じなくなり、しえみは動きをぴたりと止めて瞬きを繰り返した。キョロキョロと辺りを見渡し、「あれ‥?あれ…?」と、わけがわからない様子で周囲を見回す。そんな彼女の後ろ髪を、メフィストは片手の指先でくるくると弄りながら「どうしかましたか?」といつものニンマリ顔で言った。
「メフィストさん…?」
「はい。なんですかな?」
「あれ?…いっ、いなくなりました‥?」
キョトンとした顔で首を傾げたしえみに合わせて、メフィストも首を傾けてみせた。
「なにがです?」
「わ、私を食べようとしてる‥」
「悪魔ですか?まだいますよ」
「え!?何処に‥っ!?」
「モチロン、此処です。」
「ここ!?」
あたふたと焦るしえみを見詰めて、
「貴女の目の前に居るではないですか。いつも貴女を食べようと狙っている悪魔が。」
メフィストはペろりと舌なめずりをしてみせた。しえみはたじろぎ腰を引こうとするが、メフィストは既に回していた腕に力を入れて彼女の体を更に引き寄せた。
「貴女は困った顔も可愛らしい。そして最高に美味しそうだ。」
「きゃ、」と小さく悲鳴を上げたしえみの唇に、メフィストは悲鳴ごと『がぶり』と食べるようにキスをした。
(しえみ。好きな子は虐めたくなるものらしいですよ。悪魔の私は、尚更。)