(幸くの)*死ネタ



ねぇ、幸村様。私が最後に貴方に伝えたかったことは、貴方を愛してるということでした。

ねぇ、幸村様。独りにならないで下さい。貴方は一人になると、毎晩決まって哀しそうな、苦しそうな顔をして溜め息ばかり吐くから。

ねぇねぇ、幸村様。こんなにも伝えようとしているのに、どうしてこの声は人の言葉を話せないのでしょうか。



『ニャア』


幸村はあの日から毎日、陽が沈むと決まって人払いをして部屋に引きこもった。部屋で執務に励むでもなく、酒を嗜むでもなく、ただただ独りボンヤリと物思いに耽る。
極端に人を寄せ付けないその時に唯一側に置くのは、真っ白の艶やかな毛並みをした美しい猫だった。



「はぁ…」

幸村は、陽が沈んでからもう何度目かわからない程繰り返している、重い溜め息を吐き出した。
縁側から見上げる夜空には、無数の星がキラキラと輝いている。その大小さまざまな美しい星の中で、一層明るく輝いている星に右手を伸ばした。何かを掴むように掌を握る動作をした後、空を切った自らの手を見詰めて自嘲気味に笑った。脳裏にはよく笑う、栗色の髪の少女が思い出されている。当たり前のように側に居た彼女は、戦場で儚い命を散らせた。自分が意識を取り戻し、その事実を知らされたのは、戦が終わった10日も後のことだった。
死体は見付からず、もしや逃げたのではと噂している者も居たが、幸村は、それは絶対に有り得ないと思っていた。彼女は死ぬまで幸村を護ると言っていたし、何より決めたことは絶対にやり通す人間だったから。例え、満身創痍になりながらでも護ると言ったその信念を守り、貫き通す芯の強さがあった。そして、彼女は貫き通したのだと幸村は確信していた。現に自分は今、彼女に護られた為にこうしてのうのうと生きている。結果的に彼女の命を奪った流れ弾は本来、幸村に当たる筈のものだったのだ。どれだけ探しても彼女の骸が見つからないのは、それだけ彼女が優秀な忍であったという証拠だ。彼女が最期の最後まで忍として生き、仕事を全うしたその証だった。


幸村は、再び溜め息をついて、星を見上げた。
星空を見ていると、戦前夜のことを思い出す。
あの晩、共に星空を見上げていた幸村にくのいちは、『もしあたしが死んだら、星になります。星になって空から幸村様を見守ってます』と空を指差しながら言った。「冗談でも死ぬとは言わないでくれ」と悲しそうに顔を歪めた幸村に、くのいちは『でも、そんな形でも幸村様を見守れるなら、あたしはそうしたいです』と言って笑った。その笑顔が脳裏に焼き付いて忘れられない。お伽話のような話は、幸村の胸にずっと残り続けた。

意識が戻り目覚めた日の夜。幸村は、くのいちがいなくなった地上で初めて空を見上げた。彼女は星になり、空に輝けたのだろうか。大きな星が流れるのを認めて、幸村は思わず手を伸ばした。

「受け止めるから、落ちてきてくれないか?くのいち…」

そっと瞼を綴じて力無く壁にもたれ掛かった。くのいちを失った幸村の心は、順調に回復をみせる肉体とは反対に益々疲弊していった。



『ニャア』

猫の甘えるような鳴き声に気付き、幸村はハッと我に還った。一体どれだけの間、こうして昔を振り返っていただろう。既に夜も耽り、虫の音も止んでいた。長く肘をついていた為に腕を伸ばすと痺れが走り、その鈍痛に眉を潜める。

「…ねこ、」

幸村は真っ白な猫に呼び掛ける。艶やかに輝くその姿は、闇夜に浮かび上がる満月のように今宵も静かに美しさを主張していた。首には朱い紐に通された鈴が付いている。その鈴には見覚えがあった。
流れ星を見た日の明くる日から、突然、幸村の前に姿を見せはじめた純白の猫に、まだ名前はない。幸村が悩みに悩んで決めたどの名で呼んでも、猫は一度たりとも反応してくれなかったからだ。

名前のない猫を見つめながら、幸村は重ねて彼の少女の姿を見ていた。
『くのいち』としか名乗らなかったから、ずっと『くのいち』と呼んでいた。結局、一度も本当の名前を教えてくれないまま死んでしまった。



「…私なんかに付き合わず、もう寝なさい」

生前彼女へいつも言っていたのと同じ言葉を、無意識のうちに猫にもかける。
だが猫は、幸村の元へ擦り寄ると、ここから動かないとでもいうように膝の上で丸くなってしまった。

「私を一人にするのは嫌…か?」

そう呼び掛けてからハッとした。猫に、人の言葉など理解できるはずもないのに。一体何をしているのだろう。どんな返事を求めているのだろうか。

(いつからこんなに弱くなったのか…、)

「すまない。私は情けない人間だな…」

幸村は悲しげに微笑して、膝の上の柔らかい毛並みを撫でた。静かに静かに涙を流しながらもう一度、星に手を透かしてみて力無く握り締めた。
ポトリポトリ。
幸村から雫が流れ落ち、猫の背や自らの膝に染みをつくっていく。

「…届かないよ…、くのいち」

ぽつりと呟く。と、まるで反応するかのように猫は『ニャア、』と鳴き、幸村に擦り寄った。

「慰めてくれるのか?ありがとう…くのいちも、」

そう言いかけた瞬間、再び猫が鳴いた。

「…?」

幸村は不思議に思いながらも、

「私が落ち込んでいる時、決して一人にはさせてくれなかったよ」

と続けてから猫を撫でた。猫は、ペロリペロリと幸村から落ちた涙を綺麗に舐めて、また膝の上で丸まった。咽を鳴らして甘えてくる猫を見ていると、気持ちが落ち着いた。いつの間にか涙も止まっていて、頬を擦り寄せて甘え続ける猫に幸村はクスリと笑った。笑わせてくれるところも、慰めてくれるところも本当によく似ている。

「‥そなたはやはり、くのいちのようだ‥」

『ニャア』

「…姿形は、美しい白猫なのだがな」

『…』

「…‥ねこ、」

『…』

幸村はまじまじと猫を見た。

「何故…」

『…』

「…、くのいち」

『ニャア』

偶然だろうか…?
そうに決まっている。
きっと、偶然ではないと思いたい気持ちが、自分の思い込みを酷くさせているのだろう。幸村はそう考えようとしたが、心の何処かで妙に引っ掛かった。
くのいちが死んでから現れた猫。流れ星が流れた夜に姿を見せはじめた。いつも幸村の側にいて、落ち込んだ時は一層擦り寄ってきた。言葉を理解しているかのように反応して、鳴くのは『くのいち』と呼んだ時だけ。
そして、幸村が以前、日頃の礼だと理由付けてくのいちに贈った鈴を身につけている。


「…くのいち、なのか」

『ニャア』

幸村はそっと猫を抱き寄せた。

瞼を綴じると目に溜まった涙が溢れ出て、次々と落ちていく。
違ってもいい。ただの猫でも構わない。だけど今は。
朽ちてしまいそうな幸村の心を支えてくれるこの美しい猫の後ろに、確かにくのいちが見えていた。
乗り越えるから、それまでは信じさせてくれないか?
そう面白いを込めて、頬を寄せた。

「空は遠くて手を伸ばしても届かない。夜は冷たくて寒くて、そなたがいないと眠れないんだ。そんな脆い私を、ずっと‥側で見守っていてくれたのか…くのいち」

『ニャア』

猫は、語りかける幸村に返事をするように鳴き、優しく頭を撫でると嬉しそうに目を細めた。



その晩、幸村は不思議な夢をみた。

死んだはずのくのいちが、腰に手を当てながら幸村の枕元で『幸村様、気付くの遅い!』と怒っている。


『あたしこのまま猫になっちゃうのかと思いましたよ!』

頭に流れ込んでくる久しぶりの声に、不思議と違和感は感じなかった。もう生きていないと知っている死人を前にしても、幸村は、怖さを感じないどころか寧ろ喜びを感じている。そんな自分に苦笑いしながら、

「すまなかった。遅くなったな」

生前彼女にいつもしていたように、優しく頭を撫でた。

『…ま、いいですけど。幸村様の様子を近くで拝見できましたし‥』

撫でるとそっぽを向き、口を尖らせつつも嬉しそうに頬を染める。そんな彼女の可愛らしさに、幸村は眩しそうに目を細めた。
普通に。彼女が生きていた時と同じように、ごく当たり前に。彼女と向き合っている。その幸せを噛み締めながら、直ぐに終わりが来るであろうこの逢瀬が、永遠に続けばいいのに…と、無理を承知で祈った。


『‥げっ、幸村様…泣かないでくださいよ』

「…すまない」

も〜、と文句を言いながらも幸村の涙を拭う手は優しい。


『はい!もののふが簡単に泣いちゃダメですよ!拭いてあげられるの、これで最後なんですからね』

「最後…なのか」

『…そーですよ。幸村様はあたしが護ってあげなくても、しっかり生きて行かなくちゃなんないんですから』

「…そうか。そうだな…弱気になって私らしくない」

『ホント。そんなんでこれからどーすんですか』

「まったくだ…こんな調子では、そなたがせっかく救ってくれた命を無駄にしてしまいそうだ」

眉を八の字にして悲しそうに笑う幸村に、くのいちは『げぇっ』と唸った。

『勘弁して下さいよ。私、無駄死にになっちゃいますって〜』

明るく言いながらもくのいちは幸村同様に眉尻を下げて、悲しそうに笑った。

『絶対に御自分の命を大切にすると約束して下さい。簡単に死なない。生き続けるって』

「…ああ、約束するよ」

少し透けている彼女の小さな小指に、幸村も包み込むように小指を絡める。こんなに細い指で、小さな手で、護り続けてくれたことに今更ながら胸が熱くなった。
永い永い最後の指切りをして、幸村は名残惜しげにそっと小指を離した。そして二人は見つめ合い、どちらともなく躯を寄せて抱き合った。


「くのいち…私達はもう、逢えなくなるのだろうか…」

彼女の透けた躯に、熱は感じられない。また、じわりと目尻が熱くなった。

「生まれ変わってもまたそなたに逢いたいと言ったら、迷惑だろうか…。今更、そなたを慕っていたと言う私を、許してくれないか」

吐息を零すように「好きだ」と言う幸村に、くのいちは『…迷惑なワケないじゃないですか』と微笑んだ。

『私も貴方のことを、ずっと慕っていましたもん』

「くのいち…」

『ねぇ幸村様。私達はこんな…愛しい人に愛しいとも言えない戦だらけの時代で出会ったけれど、立場云々に関係なく今こうして想い合うことができたんですよ?もう怖いものナシだと思いませんか』

「…ああ、本当だ」

『でしょ?だからいつか生まれ変われた時は、また巡り逢って、どんな障害も吹き飛ばしてきっと結ばれますよ』

だから、ほら。泣かないで下さい。
困った風に笑うくのいちに言われて、幸村は自分がまた泣いていることに気付いた。
袖でぐっと拭って、「もう泣かない。約束する。そなたといつか結ばれることも…約束だ」誓うように言った幸村を見て、くのいちは『はい。約束です』と満足そうに微笑んだ。
そして、幸村の手に小さな鈴を握らせた。



次の日、幸村が目覚めるとくのいちは姿を消していた。
全て夢だったのだろうかと思ったが、いつの間にか握っていた小さな鈴が、夢ではないことを教えてくれた。

その日から猫もパッタリと見なくなった。同時に、独りで篭ることもなくなっていき、溜め息をついたり物思いに耽る回数も減った。

やがて時は流れ、大阪の陣を迎える。

幸村は、その命を戦場に散らす最期の瞬間まで、少し褪せた朱い紐とそれに付いた鈴を大事そうに身につけ、決して離すことがなかったという。



(…随分と、待たせてしまったな)

(いいえ。約束、守ってくれましたね。)

(そなたも…ずっと、見守ってくれたのだな)

(はい…見てましたよ。幸村様、ホント頑張ったね)



おつかれさま、



…少しだけ眠ろうか。


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