愛を、あなただけに
(三くの)
*色々捏造。
押し潰されそうな胸の苦しさで目が覚めた。
上半身を起こし、余りの苦しさに肩で息を繰り返す。汗が額を伝い、ポトリと落ちてきた。
次いで伝ってきた汗を手の甲で拭い、荒く乱れた呼吸を調えようと深く息を吸う。だが、それは叶わず咳込んだ。
ゴホゴホと肺の奥から異変を訴える咳の音は、いつの頃からか濁りを増してきている。
嫌な音をたてたかと思うと、咥内に鉄臭い味が広がった。慌てて手で押さえようとするが、虚しくも布団に吐き出されて散らばってしまう。付着するそれを薄暗闇で朧げに眺めてから、虚に揺れる瞳をそっと瞼で覆った。
コホッ、
篭った小さな音は誰にも気付かれることもなく、静かな薄暗闇に溶けていった。
朝が苦手なのは幼い時から変わらない。貧血による目眩もよくあることだ。だが、慣れていたはずのそれが、最近ではひとしお辛く感じるようになった。
「三成さん」
まばゆい光に目を開けると、大きな瞳が三成を覗き込んでいた。
「おはようございます」
「…寝る」
「なに言ってんですか、執務溜まってんのに。」
くのいちは、布団に頭まで潜った三成を揺さぶった。
「サボったら左近さんに怒られちゃいますよー」
「構わん」
「構わなくないですって」
「‥俺はまだ眠いのだ」
「我が儘〜」
『しっかりしてくださいよ〜』と呆れたようにため息を吐き出した彼女は、三成の親友である真田幸村の忍だ。3日前からこの佐和山城に来て、三成直属の忍として働いている。そうするように命じたのは幸村なのだが、それはつまり彼が、三成の懸想している相手に気付いていることを意味していた。
3日前に彼女が幸村からの文を片手に突然『ふつつか者ですがよろしくお願いします』と言って現れたときは流石の三成もたまげてしまった。
『俺は頼んでいない』と断る三成に、『あたしは幸村様から頼まれたんで。返品不可です』と言い放ったくのいちは、結局それから佐和山城に居すわっている。
三成は布団から顔だけ出すと、不機嫌そうに出来るだけ声を低くして呟いた。
「城に居ることは許可したが、俺の世話までは許可していない」
「お世話する為の許可なんて、別に要りませんよ」
「誰が決めたのだ」
「自己判断であたしが決めました。お城に居させてくれるっていうのは、お世話していいってことになるんです」
当たり前だというように平然と言ってのけ、『判断力のある優秀な忍っしょ?』とまで付けた彼女に、三成は開いた口が塞がらなかった。
「女狐‥」
「何ですか?」
「いや…何でもない」
やがて三成は観念したかのように溜め息を溢した。
「極力、俺に近付かないようにしてくれ。自分の世話は自分でできる。」
「もしかして、恥ずかしいんですか?」
「…違う。」
「話し相手くらいにはなりますよ」
「いらん。邪魔だ」
「んー…じゃあ、黙って側に居ますね」
「必要ない。俺は独りが好きなのだ」
眉間にシワを寄せた三成をまじまじと見ながら、くのいちは首を傾け、つまらなそうに腕を組んだ。
「あたしが来た意味ないじゃないですか」
不貞腐れたように呟いたくのいちから目を反らして、三成はゆっくりと瞼を閉じた。
「そう思うのならば、いま直ぐにでも幸村の元へ帰れ。そもそも頼んでもいないのに勝手に来たのはそっちだろう。来た意味を俺に課せようとするな」
「三成さんは、あたしに帰ってほしいと思ってんですか?」
「‥お前の自由だ。自分で決めるがいい」
言ってから深く呼吸をして、三成はこのまま眠ってしまおうと思った。
「わかりました。」
返ってきた声に反応するように、薄く目を開けて何の変鉄もない畳を見る。
(キツ目に言った言葉が効いてくれればいいが‥)
三成はぼんやりと、このまま彼女がすんなり帰ってくれることを祈った。
だが。
「このまま此処に居ます。」
彼女は三成の願いに応えるつもりは更々ないらしい。
三成は眉間のシワを濃くしてごろりと寝返りをうつと、睨むようにくのいちを見上げた。
「ここにいて、お前に何の得があるというのだ」
「得があるかないかを関係させるかも、あたしの自由なんでしょう?三成さんさっき言いましたよね?」
「…確かに言ったが、俺に付き人は要らないとも言った。その時点でお前はお役御免だ。こんな所で時間を潰す必要はない。好いた男の…幸村の側に居ればいいではないか」
「あたし、幸村さまのこと好きですけど、三成さんのことも好きですから」
「な!?貴様、なにを言って‥」
ガバリと身体を起こしてうろたえる三成に、くのいちは顔を歪めて溜め息を吐き出した。
「はぁ…面倒臭い。こんな茶番劇いつまで演じ続ける気なんだか」
「茶番だと?」
「茶番ですよ。じゃなかったら本気であたしが知らないとでも思ってんですか?忍ですよ、しかも優秀な」
「何のことだ?」
「惚けないで下さいよ。こんな鉄くさい部屋で、何もなかったとは言わせませんから」
「っ、」
みるみるうちに青くなる三成を見て、くのいちは声を潜めた。
「肺ですよね」
突き刺すようにいい放つ彼女の目は鋭く、核心を突かれた三成は思わずたじろいだ。それを見て、くのいちは眉を下げる。
「あとどれくらいなんですか?」
「…」
「言いたくなかったらいいです。調べりゃすぐ解ることなんで」
「…二月だ」
「そう、ですか」
目を伏せる三成を一瞥してから、くのいちも目を伏せた。
「あの鈍い幸村様がいつ気付いたのかはあたしもわかりませんけど…何の病ということも‥」
「十中八九気付いているな。お前を送ってきたのもそういうことだろう‥アイツはそういう所が妙に鋭い」
「ですよね」
「…」
しん…と重苦しい沈黙が訪れる。先に沈黙を破ったのは三成だった。
「すまない」
瞠目したくのいちが見れば、三成は悲痛に満ちた表情を浮かべて目を伏せた。
「らしくないですね」
「なんとでも言ってくれ。罵倒してくれて構わない」
「げ。止めてくださいよ、そっちの趣味があるんじゃないかって勘違いしますよ〜」
ケラケラと無理にふざけてみせたくのいちの気苦労は、しかし無駄に終わる。
「俺を、許さないで欲しいのだ。」
真摯に見詰めてくる三成を、くのいちは黙って見つめ返す。
やがてやれやれと溜め息をついた。
「なんだってんですか」
「…すまない」
「止めてくださいって。で、どうしちゃったんですか?本当にらしくない」
「お前にうつしてしまうかもしれない」
「…は?」
「うつる可能性を考えれば、お前は何がなんでも幸村の元へ帰すべきなのだ。知ってるのに…幸村の、お前の優しさにすがりたいと思ってしまう‥」
「…」
「俺を、許さないでくれ」
「三成さん…」
「すまない」
辛そうに身を屈める三成の肩に、くのいちはそっと手を伸ばした。
「あたし、好きでここに来たんですよ」
「…だが、」
「好きでここに居るんです」
「女狐…、」
「詰まる所、あたしは三成さんが好きなんですよね」
「…っ」
痩せた、でも相変わらず綺麗な三成の指に、くのいちのしなやかな指が絡んだ。
「幸村様もそりゃあ好きですよ。人間として、主として。」
「ああ、知っている」
「うん。でもね、三成さんは‥そこに、男の人として好きだって気持ちが加わるんですよ」
「!」
三成が唇を噛み締める。顔を歪めて、俯いた。握られた白い手にポタポタと温かい雫が落ちていく。それを見て、くのいちはにっこりと微笑み、彼の骨の浮き出た背を優しく撫でた。
「三成さん。こういうのを、愛してるって言うらしいですね」
カタカタと震える三成の弱い躯をそっと抱きしめる。
「あたしは、最期の最期まで側にいますからね」
「くのいち…ありが、とう」
「ヤダなぁ、まだ早いですよ〜それはあたしが何か役立ってから言って下さいよ」
くのいちがまたケラケラとおどけて笑う。その陽気な優しさが三成の身には染みた。
「毎日でも言う…ありがとう。ありがとう、愛している。」
ギュッと柔らかく握り返された手に、くのいちは視線を向ける。そして頬を染めてから幸せそうに笑った。
愛を、あなただけに
(神様があなたを見放したのだとしたら、私がその分の愛をあなたにあげればいいだけだ)
(だから大丈夫。なにもこわがらなくていいよ)
ひより様より頂いた『愛を、君だけに(あなただけに)』から三くの。
素敵なアイデアに感謝致します!
30000hitありがとうございました!