(サスサク)




ポタポタと、サクラの瞳から生暖かい雫が流れ落ちていく。拭うのも億劫で、ただボンヤリ流れるままにさせた。昏々と湧き出る涙はサクラの悲しみに比例するかの様に一向に勢いが収まらない。
それ程までにショックを受けているのは、サクラの、サスケへの想いの丈の表れだ。

(私はこんなにサスケくんと離れるのが嫌なんだ…)

好きだとか、そんな感情云々以前に全身がサスケとの離別を拒否している。
例え同じ部屋で同じ事を見聞きして同じ時間を共有しても、生きる時間を共有することは叶わないのだと嫌でも思い知らされる。感じる時間は同じでも、体の時間は雲泥の差がある。思いの差は、もっとあるのだ。きっとサスケが土に還る時もサクラの風貌は今と大差ないはずだ。悲しい、苦しくて仕方ない。

「サスケくん…、」

サスケくん、サスケくん、と繰り返し呼んでみる。その声が自分から抜けていく感覚が辛かった。
同じ様にいつかサスケの事を忘れてしまいそうで。やがては記憶から薄れてゆくのではないかと思うとまた涙が溢れた。毎日何気なく聞いていた声も、たまに見せる照れくさそうな笑顔も、いつか思い出すことが難しくなる日が来てしまうのではないか。そう思うと悲しくて、幼い子供がするみたいに、声を張り上げて泣いた。



ホウホウ、と何処かで梟が鳴いている。夜も更けてきた頃、サクラは自分のベッドの上で目を覚ました。



(夢‥か)

随分と懐かしい夢だった。
サスケが木の葉の里から出ていった時の夢。あの頃は、サスケが死んでまうのではないかという一種の強迫観念に縛られ、毎日泣いていた。

(いま何時かな…)

随分長いあいだ同じ姿勢でいた為、寝違えたみたいに身体が痛い。凝り固まった筋肉を解しながらゆっくり起きてベッドの上に座った。ガンガン、と、頭部がまるで金づちで打たれているかのような痛みを訴え始める。涙はもう出なくなってしまった。こういうのを涙が枯れるというのだろうか。塩分でやられた眼球周辺の皮膚もヒリヒリと痛い。枕はジットリと濡れていて、濡れた部分の色が暗くなっているのが霞む視界の中で見えた。

「顔、洗わなきゃ…」

先ずは顔を洗って、それから声を張り上げた為にまぶた同様にヒリヒリと痛む喉を潤さなければ。

そう思いながら、鉛のように重い身体に鞭打ち洗面所へ向かった。

冷たい水で顔を洗い、ホゥ、と小さく息をつく。気持ちは随分と落ち着いていた。目もすっかり覚めてしまった。先ほどまで眠っていたから眠気は暫くきてくれそうにない。

サクラは音を発てないよう、そっと家を出た。



人の見当たらない風景の中をテクテクと歩く。昼間とは違う表情を見せる木の葉隠れの里は、何だか知らない場所のようだった。暗闇と静寂が今は心地好い。不思議と恐怖は感じなかった。
何も考えずに道を歩いていくと、いつの間にかベンチのある場所へ辿り着く。そこは昔よく七班で集まった大好きな場所。適当に歩けば無意識のうちに向かうのはこの場所なのだ。サクラは自分の正直な足を見下ろして、頬を緩めた。
ベンチに歩み寄り、手前にしゃがみ込む。彼がよく座っていた位置。自分の隣に居た、その位置をそっと伸ばした掌で撫でた。彼はあの頃、確かに此処に居た。居たのに、今はいない。いつかこのベンチもなくなり、彼がいた風景も変わって消えて行くのだ。そうやって、彼が使った物もなくなっていく。彼の足跡が消えてゆく。そうすれば、記憶にしか残らなくなり、足跡を見て連鎖的に思い出していたその記憶も少しずつ少しずつ薄くなって消えて行くのだ。
今は悲しい。けれど、悲しさも薄れてゆくのかもしれない。


(いやだ…そんなの、いやだよ)


「サスケくん、サスケくん…サスケくん‥っ」


こんなに悲しい。こんなに愛しいと思うこの気持ちは、永遠であって欲しい。忘れたくない。


「サスケくん‥消えないで…っ」

「サクラ」

嗚咽の合間に届いた声に、驚き、息が止まりそうになった。

「…、え?」

ポタポタと落ちる涙をそのままに振り向けば、そこには、漆黒の髪を持つ懐かしい姿があった。

「サ‥スケ、くん?」

「ああ」

目を見張る。
やはりサスケだ。前に見た時と同様にやはり彼の目は死んだ魚のように濁っていたが、体からは生気を感じる。サスケ本人に違いなかった。

「私‥夢を、見てるのかな…」

夢を見てる。そうに違いない。だとしたら、なんて幸せな夢なのだろうか。

「サスケくんが見える‥」

しつこいくらい瞬きを繰り返すと更に大きな粒となって落ちていく涙。温かいこの涙は本物だ。ならば、これは現実。それでも信じられない。

「本物なの?」

「ああ」

「ほんとに、あのサスケくん?」

「お前の言う"あの"というのがどのことを指しているかは知らないが、俺は正真正銘うちはサスケだ」

眉ひとつ動かさず淡々と告げるサスケに、ああそう言えば昔の彼は死んだんだと、顔には出さないけれど内心で落胆する。

「サスケくん‥どうしてここにいるの」

聞けば、彼は少し目を逸らした。そして再び此方を見据える。

「木の葉の里を、潰しに来た。」

目を見ればわかってしまう。彼は本気だ。

「‥そっか」

「…」

「なら、私も殺すのね。」

サクラは妙に納得しながら、立ち上がる。相変わらず、恐怖は感じなかった。どうして恐くないのか考えてみて、また納得した。

(サスケくんになら、サスケくんにだったら…そう思うんだ私。)

サスケを見据えて、笑った。

「その前に、ちょっとだけいいかな」

屈託のない笑顔を見て、サスケが僅かに眉を潜める。

「なんだ」

「あの日以来でしょう?此処に来たの。」

「…」

そろりと近寄るサクラを、サスケは訝しげに見る。そんなサスケに構わず、サクラは彼の肩に手を回した。

「お疲れ様。おかえりなさい、サスケくん。」

あの頃とは随分変わった。逞しくなった体つきに少し戸惑いながらも、サクラはサスケの体を抱き締めた。
サスケの体が強張るのがわかる。

「…俺は、帰って来た訳じゃない」

「うん知ってる。今ここにいる理由、さっき聞いたもの」

「なら、」

「死ぬ前にどうしても言いたかったの。サスケくんが帰って来てくれることが、夢だったから」

ごめんね、と最後に付け足すと、サスケは黙ってしまった。

「真意は違っても、今この瞬間サスケくんが木の葉にいてくれることに変わりはないわ。だから、嬉しいの。最期に、幸せにしてくれてありがとう」

そう告げると、サスケの腕が、そっと体に回されたのがわかった。

(サスケくんを追いかけてばかりの人生だったわ…)

そんなことを暢気に考えてみて、フッと笑みを溢す。
後頭部辺りに軽い衝撃を感じ、サクラの意識は暗転した。



***


***



眩しい光を浴びて目が覚めた。サクラは眉間に皺を寄せながら瞬きを繰り返し、のそりと体を起こした。そこは見慣れたベンチの上。頭が痛い。瞼も熱を持っている。
暫く状況が掴めず、ボーッとしていたが、やがてハッとして辺りを見渡した。誰もいない。誰かがいた形跡もない。

「私‥生きてる…」

生きている。殺されていない。

「…なんで」

夢だったのかと思った。
だけど、サクラの耳にはサスケの声が残っている。最後に、彼は言ったのだ。数年前と同じ、あの言葉を。
腫れてしまった目から、また雫が落ちていく。
消えかけていた彼の記憶を、彼自身が上塗りしてしまった。
悲しくて仕方ないのに、サクラの心は不思議と穏やかだった。

(死なせないわ。サスケくんも、ナルトも。)

死にかけたとしても、自分の命をかけてでも二人とも救う。その為には、医療の技術を更に磨かなければ。
サクラは澄んだ空を見上げた。その目には、強い決心が宿っていた。


溶け出した夜の中で息を繋ぐ



(新たな夢のためにいま、生きよう)



120527.



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