(三ねね)


例えばこれが夢だったなら。

目覚めた時、現実であればよかったのにと落胆するかもしれない。

でももし現実であっても。

同じ様に落胆し、それこそ絶望し、夢であってくれと神にも縋る思いで懇願するのだろう。

その境目は分厚い様でとても薄く、微唾む時間などほんの僅かのことで、直ぐに気付いてしまう。

どちらにせよ、赦されないと。



暗闇の中。足音もたてずに近付いてきた気配と、それと共にふわりと香る微かな匂いは、三成のよく知るものだった。だから、柔らかくてヒンヤリとした指が頬に触れてきても抵抗する気は起きなかった。感触から華奢だとわかる品やかな指は、そのまま肌の上を滑るように下りて首に触れ、喉にある男性特有の突き出した部分をそっと優しく撫でてくる。反射的にビクッと身体が跳ねて、三成はそこで漸く本格的に覚醒した。
強張ってしまった自身の肩に力を加えて、喉に触れている手を出来るだけ優しく掴む。


「‥何を、しているのです」

本来、人の気配が部屋に侵入した時点で三成が気付かない訳がない。だからここまで侵入を許してしまう人物なんて、一人しか思い当たらなかった。

「…おねね様」

いつも通りの平常心を装って応じようとしたつもりが、自分から出た声は嫌に低かった。無意識に犯した失態を戒めるように、内心で舌打つ。


「このような夜更けに、それも男の寝所に忍び込むなどどういう了見かと聞いているのです」

そう問い詰めながらも三成は、尋常じゃない程の内面の混乱をどうすればいいか、頭の片隅ではそればかり考えていた。

「幾ら俺といえど、とうの昔に元服を済ませている男です。危険でないとは言えないでしょう」

よからぬ思考を必死に遠ざけよう、なくしてしまおうとねねに発言させる間も与えず話し続ける。三成はそんな自分の姿に、普段周りに無口だと評される己がこれ程まで饒舌になれるものなのかと、不謹慎ながらも少し驚いていた。


「…わかってるよ」

ややあって初めて口を開いたねねの声は、暗闇に不釣り合いに凛と澄んでいる。いつもと変わらない幼子に話しかけるようなそのそぶりに、三成は若干の苛立ちを覚えて露骨に眉を潜めた。そして、当てつけるかの様に苦々しさを露にした。


「ならば何故、あなたは此処におられるのですか。幼い頃は共に寝ていただいた事もありましたが、俺はもう暗闇を怖がる幼子ではありません。」

恥ずかしいことを思い出させないでくれと、ねねを咎めるように視線を送る。


「解ってるよ…佐吉。」

「っ、解っていない!」

優しく返されたねねの言葉に、三成は思わず声を荒げた。
佐吉とは、三成の元服以前の名だ。その名で呼ぶということは今、目の前の女は自分を『子供のよう』ではなく本当に『子供』として扱ったということではないか。何故か酷く惨めな気持ちになりながらも、乱れきった心をどうにか落ち着かせようと、一つ息をついた三成は声を落として話を続けた。


「と…とにかく。いつまでも子供扱いをしないでいただきたい。そしていい加減、自分の部屋に帰って下さい。」

普通に邪魔です。…と、言おうとしたが、それは叶わなかった。言う直前に唇を塞がれてしまった為だった。塞いだそれが、ねねの唇だと瞬時に理解出来なかった三成は、唇が離れていった後のしばらくの間、唖然としながら未だ至近距離にあるねねの顔を見詰めていた。ねねは三成のその様子を面白そうにまじまじと眺め、


「三成って、案外うぶなんだね」

とニッコリと笑った。
その言葉で弾かれた様に正気を取り戻し、三成は顔を真っ赤にさせてワナワナと小刻みに震え出した。先の一言のせいで酷い羞恥を感じながら、視線を顔ごと強引にねねから背け、ねねの手首を掴んでいた右手を離して自分の口元を覆った。

「‥っ、人で、遊ばないで下さい」

やっとの思いで捻り出した声は、震えて少し掠れている。


「…俺の部屋までわざわざ出向いて‥一体何事かと思えば、からかう為だったのですね」

自分でも恥ずかしくなる位に感情を隠せない。これでは先程ねねに言われた通り『子供』の『佐吉』のままだ。なんて侮様なのだろうと内心毒づく。


「もう満足でしょう。自分の寝所へお戻り下さい」

刺々しく言い放ってから、しまったとキツく言い過ぎた事に後悔したが、それでもまだ苛立ちは納まらなかった。

(一刻も早く一人になりたい。)

しかしそんな三成の思いとは裏腹に、先程よりも温かい指先がまた頬に触れてきて、強引に正面を向かされてしまう。

「なっ、なにを…!」

再度視線が絡み、また顔に熱が昇ったのが自分でもわかった。
本当になにがしたいのだこの人は!とか、まだからかうつもりなのか!とか。俺が何をしたというのだ!とか、そんな思いが頭をグルグルと廻って収集がつかなくなった頃、ねねがおずおずと口を開いた。

「…ごめんね、三成。からかうつもりじゃなかったんだよ‥」

しゅん‥、と哀しそうに眉を下げてうなだれるその様子に、言動に、グラリと世界が廻るような酷い眩暈を覚えた。

それはそれで、大問題じゃないか。
からかうつもりじゃないなら何だというのだ。
本気だったとでもいうつもりか。

「貴女は、自分が今…何を言っているか解っているのですか」

逃げたい、逃げ出したい。今すぐこの人を逃がしてやらなければ。罪を犯してしまう前に、自分に捕われてしまう前に。そして何より、俺自身が今すぐこの人から逃げなければ、早く、早く、なのに…


「‥勿論解ってるよ。三成がもう、立派な大人だってことも‥」

「っ、それは解って当たり前です!」

ピシャリとキツく言うのは、何も苛立ってのことではない。
俺も解っているからだ。
いま正気を保たせる為に自分にも鞭打たなければ、とてつもなく危険だということを。解っているから、焦っている。


「昔はなかったこれも、その証なんだね」

そう言ってねねの手が再び喉元の中心に触れてきて、さっきより肩が跳ねた。
耳鳴りがする。これは警報だ。


「佐吉じゃなくて、三成に会いに来たんだよ」

そう言って喉元の手がスルリと首に絡んで、再度唇を奪われた。

もうダメだと思う。
ガンガンと頭痛がする。
警報は痛い位に鳴っていた。

口内を犯す舌は徐々に深くなってゆき、静かな暗闇を二人分の荒い吐息と時折くぐもった声、そして粘着質な音が支配している。
三成が本格的に息苦しさを訴えた頃、漸くねねは解放を許した。

ハッ、ハッと乱れた呼吸を繰り返して酸素を求めながら、朧げな月の光に照らされて妖艶に光る、ねねの唇に視線を向けた。美しいそこに視線が釘付けで離すことができない。そのまま酷く背徳的な気分に陥っていく。

「三成、おいで」

そう言葉を織り成す唇から、視線を外せないまま微かな理性が興す困惑と戸惑いを隠せずにたじろいでいると、体重をかけられてゆっくり押し倒された。
抵抗もできずされるがまま、三成も重力に従うように倒れる。


「ねぇ、三成‥」

『…内緒にできる?』

三成の寝間着の隙間に手を差し込みながら妙になまめかしくそう問うてきたねねに、三成は猛烈な胸の苦しさを覚えた。

警報が最大音量で鳴っている。
頭痛も止まない。
呼吸も酷く困難だ。
陽は照っていないのに、熱射病にでもなったような熱にうなされる感覚だった。
三成の体は枯渇した地面のように、頭の先から脚の裏までカラカラと渇きを訴えてる。
心なしか体はふわふわとしていて、地に着いていないのではないかという有り得ない不安に駆られた。思考を巡らしてどれ程抗おうとしたところで、もう、手遅れなのだと悟る。


(‥まるで獣だ)

己の理性の脆さを胸の内で自嘲してから、肯定の意を込めてゆっくりと手を伸ばした。


「いい子だね…三成。」

そう言って、綿菓子を甘くトロリと溶かすかのように、ふわりふわりと撫でてくるねねに、


「‥そうやって子供扱いできるのも、今のうちですよ」

と告げて、噛み付くように口づけた。

背徳感や、それに伴う罪悪感もすべて綺麗に消えてしまっていた。

この人となら、赦されなくても構わないと思った。

(今宵俺は、貴女と、大罪を犯します。)

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