(親ガラ)
「嫌ならイヤと、言えばいいだろう」
「‥えっ?」
元親の言葉をいまいち理解できず、ガラシャは素頓狂な声をあげた。
ガラシャはもう随分と長い間、愛していない夫に幽閉されている。夫は癇癪持ちで、嫉妬深い。いつも一方的な愛を押し付けてきて、ガラシャが少しでも反抗すると暴力を振るう人間だ。
今日も叩かれた頬を押さえて一人で泣いていた。
その時、死んだと思っていた元親が何処からともなく急に入って来たのだ。夢だろうか…と思ったが、夫に叩かれた頬がじんじんと痛むのでそうではないとわかる。
「嫌ならイヤと、言えばいい」
久しぶりに見た元親の視線と声が、懐かしいと感動する間もなくガラシャに飛んでくる。水色の髪がさらさらと揺れているのを、ガラシャは見詰めることしかできなかった。
「お前はどうしたい」
感情の読み取れない声がまた落とされた。ガラシャは、先程元親が突然現れた扉から彼に視線を移し、動揺しながらももう一度彼を見詰めた。今まで泣いていたことが嘘のように、涙は止まっている。
「言えば、俺は叶えてやる」
「わ、らわは‥なに、も」
「なくはないだろう。お前はお前の望みをただ口に出せばいい」
「わらわの‥望み…」
「お前は望みを叶えるための決断を、自分ではない誰かに委ねたいのだろう」
「それは‥」
「お前は、何と言って貰いたがっている?」
「わらわが、チカに‥?」
「そうだ。答は出ているはずだ」
「こ‥たえ…」
言われた言葉を反芻しながら、ガラシャはやはり夢ではないかと自分を疑っていた。元親をみていると、先程まで長いあいだ感じ続けていた絶望感が嘘のように消えて幸せな気持ちになるのだ。そして今、彼にすがりたいと思っている。長い間自分が張り続けていた虚勢が頭から崩れていく感覚に陥ってしまうのだ。だが、すべては本当に夢ではないかと信じられなく成る程、僅かな時間での出来事だった。
「お前はどうしたい?」
「…、」
「聞いているのは俺だけだ。今お前がそれを口に出したところで、誰にも迷惑はかからない」
「…本当、か?」
「本当だ。」
「っ、…」
ガラシャの瞳が大きく揺れる。元親は、動じることなくそれを見詰めていた。
「…わらわは、今‥何故生きていなければならぬかがわからぬ。」
「…」
「父上もチカも死んだと思っておった…何処にいても、苦しいのは一緒じゃ‥」
「…」
「じゃが…、チカがこうして生きておるなら…っわらわはチカの‥」
「俺の、何だ」
「ち、チカのっ、側で生きたいのじゃ‥!!」
ガラシャから溢れた涙が、白く滑らかな頬を伝いポタポタと落ちて行く。元親はそれを目で追ってから、視線をガラシャの濡れた瞳へ戻した。
「お前の望みは、この柵から出ることか」
「‥ほむ」
「それが、お前の本当の望みか?」
「そうじゃ‥それがチカの側にいられることに繋がるなら」
「…ならば、俺はそれを叶えよう」
元親の指先が涙を拭う。
ガラシャは驚き、ぱちぱちと瞬いた。そして嬉しそうに微笑んだが、直ぐに何かに気づいたようにハッとした。そして自分の身体の痣をなぞりながら、『やっぱり…ダメじゃ』と瞼を伏せた。
長いまつげに暗い影が落ちる。
「どうした」
尋ねた元親へ、ガラシャはポツポツと呟く。
「やっぱりダメじゃ…そんなことをしたら‥」
「何故だ」
「チカも‥婿どのに追われてしまうのではないか‥?」
カタカタとガラシャの華奢な身体が震え始める。元親は僅かに眉を潜めた。
「知っている。だからどうした」
「チカまで‥、チカまで危ない目に遭うかもしれぬぞ!?わらわはそんなこと‥イヤじゃ!」
ガラシャは悲痛に満ちた様子で叫んだ。
元親は暫くその様子を見ていたが、突然ガラシャの頭をポンポンと撫でると、彼女の体をひょいっと持ち上げて肩に担いだ。
「どうということはない」
いつものように飄々と言う元親にガラシャは一瞬、言葉に詰まる。
「っ‥チカ!」
叫んだ後、顔をくしゃくしゃに歪めた。
「わらわは…っ大切な人が傷付くのはイヤなのじゃ…!」
ぽかぽかと叩くガラシャの手を、元親の片手が包むように握った。
「ならば、俺も同じだ」
「…なに?」
「俺も、大切な者が傷付かぬようにとここへ来た。危ない目に遭おうとも大切な者を護ることができるならば、俺は進んでそれに挑もう」
「チカ‥」
「お前は俺の、大切な人だ」
ポトリ。
ガラシャの瞳からまた涙が落ちる。
「チカ‥わらわを…、ここから拐って欲しいのじゃ‥」
元親は、ガラシャの頬に流れる涙を掬うようにそっと口付けると、彼女の澄んだ瞳を優しく見詰めてゆっくりと微笑んだ。
「‥上等。」
無重力が
わたしを押さえつける
(あなたは溢れ出した自由を私に与え、解き放ってくれるひと)