目覚めたとき、目の前には元親はおず、代わりに布団にくるまっていた。昨夜あのまま泣き疲れ、寝てしまったのだろう。まさか子供でも有るまいし、良い歳した女が知り合ったばかりの、しかも一国の当主に泣き付いてしまうなんて。
後悔と羞恥に襲われ、赤くなった頬に両手を添える。と、頬に手の温もりを感じず、首をかしげ両手を見る。


「あ…」


綺麗に巻かれた、白い包帯。多分、血の滲む手を見付けた元親が誰かに頼み、巻いてくれたのだろう。あんなに雨に濡れた着物も今は上質なものに変えられているから、間違いない。
ふと枕元に目を移す。そっと横に置かれていた布袋に入る御守り。手に取り、握り締めた。

身体は重くてダルい。瞼も腫れて痛いが、心はどこかすっきりしていた。
襖から透ける、天高く昇る日の光は、昨日の大雨の面影はなかった。



* * * * * *



気分は割と良好。心に余裕が出来たのか、部屋を出てから体全体に浴びる自然が気持ち良く思う。たまに出会す兵士達から「大丈夫か嬢ちゃん」と声を掛けてもらい、時には「これ食って元気だせ」と菓子を貰う。一人一人に礼を言っていたが、上手く笑えていたかは定かではない。

昨夜の礼と詫びをしたく、元親がどこに居るか聞くが、今朝彼は数人の兵士を引き連れて何処かへ出掛けたようだった。帰ってくるのがいつになるか分からず、それまで暇を持て余した名前は、兵士達に勧められた場所に向かった。



その勧められた場所、海は、城を出て直ぐにあった。


「うわぁ…!」


高い岩に囲まれた砂浜、寄せては返す青い波。陽は西に傾きかけており、水面をキラキラと輝かせている。


「綺麗…」


初めて見る海は、予想以上に広かった。遠くには何もなく、見れば少し丸くなっているような気がする。

名前は履物を脱ぎ、波のうつ場所まで足を進める。足首まで浸かる水は冷たくて、手に掬って舐めてみると塩水の味がした。


「うっ…しょっぱい…!」

「あったりまえよ、海なんだからなァ」


独り言に返事が返ってきたことに驚き、振り向こうとする。しかし足が縺れ、ぐらりと身体が揺れた。


「おっと、あぶねェ」

「あ…」


肩を掴まれ、支えられる。
恐る恐る顔を上げると、出掛けた筈の元親が名前の肩を抱き、身体を支えていた。あまりにも近くに顔があるものだから、昨夜のこともあり、恥ずかしさからその手を振り払い、そして顔を青くした。
助けてくれた人に、しかも当主の腕を振り払うなんて無礼だ。


「すみません…っ!」


しかし、当の元親は対して気にも止めず、にかりと人の良い笑みを浮かべて名前を見ている。


「別に気にしちゃいねェよ。それより、海がしょっぺぇなんて知らねェとはなァ」

「…私、海を見たことがないんです。前の私は、見たことがあるんでしょうけど…」


名前の言葉に、元親は何を言っているのか分からず首をかしげる。名前は苦笑すると、視線を海に向けた。


「二年ほど前に、おじいさんとおばあさんに拾われたんですけど、目が覚めたら何も思い出せなくて」

「記憶喪失、か」

「はい。それからずっと二人にお世話になっていたんです。今もまだ思い出せず仕舞いで、それでも絶対にいつか思い出して、二人に恩返しがしたかったんですけど」


早く思い出して、恩返しをしたかった。ありがとうと言いたかった。
もう、叶うことはないけれど。


「…すみません。元親様にこんな話を…」


突然こんな話をされて困っただろう。居たたまれなくなり、海を見たまま元親の方に振り向けない。

どのくらい時間が流れただろうか。ほんの数秒なのか、数分なのか。
ぱしゃりと、水と砂を踏む音が響いた。


「ちょっと、着いてきてくんねーか」





* * * * * *



急な斜面を登り、無言のまま連れてこられた先には、景色を一望出来る崖があった。陽は海に沈みかけ、空には星が見えつつある。
どうして此処に連れてこられたのか。元親の背中を見つめながら首をかしげる。そんな名前に振り向いて微笑んだ後、何かを指差した。


「あっ…」


彩りどりの花が風に飛ばされぬよう、石を重りにして飾られている。名前は誘われるように花の前で膝を付いてまじまじと眺めた。


「もしかして、これ…」

「…今朝、野郎共とアンタの村に行ったのよ。せめて骨だけでもと思ったんだがな…」


花を映す視界がゆらゆらと揺れる。
言葉が出ず、代わりに首を振ると、目尻に溜まったそれがポタリと地面に落ち、染みていく。


「うれしい…、…ありがとう」


見付けることは出来なかった。

けれど、それでも十分だった。
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