瓦屋根を叩く雨の鋭い音に目を覚ました。いや、もとより眠ってなどいなく、目を閉じて横になっていただけだった。
体を起こして横に目を向ければ、一つの布団に身を寄せて眠る親と子。その姿に僅かに目を細め、音を立てぬよう立ち上がった。
部屋を出、誰にも見付からぬように廊下を歩く。時折ギシギシと軋む音は、今の自分の心を表したかのようだ。
それからは、どこを歩いたのか覚えていない。
ただ、気付いた時には名前は城の外に、雨傘も差さずひたすらに歩いていた。
何かに誘われるように歩む身は、今にも倒れてしまうのではないかと思うほど、右へ左へゆらゆら揺れる。
どれほどの時間歩いていたのか分からない。しかし、今名前の目の前に見える焼けた畑や家々は、僅かだけれど面影を残している。
「…っ」
唇を薄く開く。顔を滑り落ちる雨水が口の中に入るのも気にせず、大きく息を吸う。
「おじいさん、おばあさん」
今朝までお世話になっていた古い家は、今や只の炭と化していた。しゃがみ込み、そっと触れる。湿るそれはボロボロと崩れ、名前の指先を汚した。
「そこに、いるの?」
家の柱だった木を掴み、ぐっと持ち上げようと力を入れる。しかし、女の名前にはそんな力もなく、微動だにしない。
それでも持ち上げることを止めようとしない名前の手は、ささくれた木や屑などによって痛め付けられていった。
雨と一緒に地面に落ちる血。
痛みは、感じなかった。
「何してやがるっ!!」
突如した怒鳴り声に空気が震えた。その声が誰のものなのか。頭で考えるよりも先に、右の手首を強く捕まれ引っ張られる。
暗がりで見えたのは、眉をつり上げ、怒りに顔を染めた元親の姿。
「門番から報告受けて、もしやと思って此処に来てみりゃ…」
「…っ」
「夜更けに一人でこんな場所に来やがって、何かあってからじゃ遅いんだぞ!!」
雨に当てられた身体と、追い討ちを掛けるように浴びせられる説教に、骨の髄から冷えていく。唇は真冬にいるように青紫掛かり、わなわな震えている。
「だって」
手首を握る手が、僅かに緩む。
雨音にかき消されてしまいそうなか細い声を拾おうと、寄せられ近くなる顔も、今はどうでも良い。
「だって、私は、見付けて貰えたのに」
視界がぼやける。目頭が熱くなり、鼻の奥がツンと痛み、喉が渇いていく。
ずっと耐えていたのに。
塞き止めていたものが崩壊した今、止める術を名前は知らない。
「倒れてた私を、みつけてくれた、のにっ、だからっ、わた、しも、みつけて、あげたいのにっ…」
あの場所で、怪しい身を拾ってくれた。
記憶喪失で厄介な自分を、孫のように受け入れてくれた。
全てを包むような柔らかい笑顔と、しわくちゃだけれど温かい手があったから、中身が無くとも生きてこれたのに。
「まだ何も、返せてないのにぃ…!!」
掴まれた手をそのままに、雨か涙か分からないグシャグシャな顔を覆う。
目の前に居る男に、こんな汚い姿を見られたくなくて。背中を丸め、身を縮こませる。
しばらくそうしていた時だった。
手首を掴む手が離れ、ゆっくりと背中に触れる。クッと押されたかと思うと、次の瞬間には全身に温もりを感じた。
「分かった、分かったから」
「…う…っ…」
「怒鳴って、悪かったな。ごめんな」
「うううぅぅぅ…っ」
包むように抱き締められ、糸を切ったように、はしたなくも声を上げてしまった。
まるで子をあやすかの様に背を叩く男の手は、あの二人にそっくりだった。