男が言ったように、外は大雨に見舞われていた。屋根や地面に叩き付けられる雨粒は跳ね返、白い霧を作り、遠くが見えない。
男に抱っこされ連れていかれたのは岡豊城という長曾我部氏の居城であり、そして名前を抱えていた男、長曾我部元親という四国の覇者の城だった。
野郎共、と呼ばれる男達を従えて城に戻った元親は、名前を下ろすとどこかに行ってしまった。
今名前は、他の村の人と共に、板張りの部屋に腰を据えていた。小さな男の子が一人と女性が一人の親子で、二人とも見知った顔だった。親子は見張りの男三人の内二人と何やら話しているようだ。
「顔色悪いなァ嬢ちゃん、大丈夫か?」
「あ…」
黙り込む名前を心配した男が、伺うように顔を覗き込んでくる。
名前はゆるりと手を伸ばし、男の服を掴んだ。
自分がどんな顔色をしていようが問題は無かった。ただ、どうしても聞きたいことがあった。
「っほかに、人は…」
「人?」
「他に、人は、居ませんでしたかっ?おじいさんと、おばあさんが…」
あの場所に行きたいから、と畑仕事を休みたいと言った名前を快く見送ってくれた二つの笑顔。
此処に居ないということは、そうゆうことなのだろう。
──だけど、信じれなかった。信じたくなかった。
縋るように見つめる名前に男は一瞬目を見開き、申し訳なさそうに顔を歪めた。
「…残念だが…他は…」
「っ…」
服を掴む手が、ゆっくりと落ちる。
それと同じように落とした目の先に見えたのは、転んだ拍子に擦ってしまった、血の滲む手の平。
「悪いな、待たせたぜ」
スッと開かれた襖、低い声。名前の前にいた男が「アニキ」と小さく呟いて立ち上がる。それでも名前は、伏せた顔を上げようとしない。
「儀重たちと話しあってな。行く宛てがなけりゃァ、ここで保護する」
その言葉に一つおいて返事をしたのは女性だった。何度もありがとうございます、と言う声は涙ぐみ、それを子供に悟られぬよう抱き締めた手は震えている。
「嬢ちゃんは行く宛てあるのか?」
静かに、顔を上げる。
自分に向けられる視線に、居心地が悪くなる。
「遠慮すんな。元はといやァ、国を纏める筈の俺の責任だ」
「そんなことねェぜアニキ!」
「そうですぜ!アニキは立派に四国を守ってくれてるっす!」
「はっはっ!そうか、ありがとうな」
豪快に笑う元親は、余程部下に慕われているようだった。
だけれど今の名前の耳にはそんな会話すら聞こえない。
名前は伏せていた顔を上げる。近くに居た元親の袴を弱く握り締め、見上げる。
「かえ…帰、りたい…あそこに、行きたい…」
「…行くったってなァ…もう何もねェぞ」
「だって…まだ、おじいさんと、おばあさん、が…」
もしかしたら男達が見落としているだけで、生きているかもしれない。
もしかしたらいち早く逃げていて、今あの村で自分を探しているかもしれない。
「…」
元親は何も言わず名前の頭を撫でると、後は頼む、と言葉を放ち立ち上がる。
それは、
「行っても無駄だ」
「待つものは居ない」
そう言われているようで。
部屋を出ていく広い背中。襖が閉じ見えなくなっても、名前はずっと睨み続けていた。