初めて会ったのは、とても寂しかったときだった。

女の子のおままごとをやるくらいなら、走り回る方が楽しかった名前はいつしか女の子の輪に入ることが出来なくなった。だからと言って男の子の中に入るには女の名前には体力が足りない。どっちつかずで中途半端。いつしか一人で居ることが多くなって、だけと親に心配を掛けたくなくて何も言えなかった。
だからあの日、彼に、弥三郎に会えたことが嬉しかった。走ることに抵抗はあれど付き合ってくれて、話しをしてくれて、最愛の友達にして姉だった。


「わたし、うれしい」

「どうしたの?いきなり」

「やさぶろうちゃんにあえて、すごくうれしいの」


そう言ってぎゅっと抱き着けば、弥三郎はその細い腕で抱き返してくれた。「私も嬉しいよ」と優しい声にもっと嬉しくなった。ずっと一緒にいられると思っていた。それを信じて疑わなかった。


「またあおうね!」


振り返って何度も何度も手を振る。見えなくなるまでいつまでも。別れる瞬間の寂しさはまた次に会えると信じて。





その、夜のことだった。誰かが家に転がり込んできた。慌てたように母に何か言うと母はその場で泣き崩れた。


「名前」


そう呼んだ母の着物を掴むと母は精一杯名前を抱きしめた。繰り返し「ごめんね」と謝るこどに強くなっていく抱擁に何が何だか分からなかった。

その日から、父は帰ってこなくなった。あんなに笑っていた母は笑顔を無くして、夜な夜な声を殺し泣いていた。
それに、耐え切れなかった。

弥三郎に会いたい。
会って、笑って、遊んで、抱きしめてもらいたい。


足を運んだ先には、弥三郎は居なかった。今日は来ないんだとまた明日来ようと思いその日は帰った。
なのに、次の日も、その次の日も、一月先も、季節が変わっても、弥三郎が来ることはなかった。

一人来ることのない人に思いを馳せる。楽しかった日を思い出せば思い出すほど、心の臓は悲鳴を上げた。


弥三郎に、嫌われた。

幼いながらにいっぱい考えて行き着いた、彼が此処に来なくなった原因だった。




* * * * * *



休憩中、縁側に腰掛けぼぉっと空を見上げる。久々の曇天に気分も上がらない。

元親達の船から、何も無ければ今日中には帰ることが出来ると知らせがあったらしい。
仕事を済ませ、お出迎えをしなくてはならない。だけれど、どんな顔をして会えば良いか、名前には分からなくなっていた。

元親には、無理せずに思い出すことが必要だと説得された。それが名前の為なのだと言われれば、そうする事しか出来ない。自分の身を思ってくれる元親の心が嬉しかったから。
だけど取り戻した思い出はとても残酷で、泣きたくなった。昔の事であれ、元親に嫌われていたんだと思うと胸が張り裂けてしまいそうだった。一度思うと全てが悪い方へ繋がり、元親の「自分で思い出せ」と言ってくれたその真意は、別の所にあるのではないかと深く考えてしまう。

気持ちを紛らわせようと大きく深呼吸をする。するとしばらくして、遠くから駆けてくる足音が近付いてきた。


「名前ちゃん!元親様達が帰ってきたわよ!」

「えっ…」

「追い風で予定より早く着いたらしいわ。ささっ!行きましょう!」


角から現れた女中にまくし立てるように言われた後、抵抗する間もなく手を引かれ強く引っ張られる。逃れる事の出来ない力の強さに、名前の顔は強張っていくだけだった。



* * * * * *



船は既に港に着いていた。船の上から板の橋を使い降りてくる兵士達は、出発前と変わらず元気そうだった。
皆が降りた後、遅れて元親が船から姿を現した。槍を抱えたまま橋を降りてくる逞しい姿と、一瞬だけ弥三郎の頃の姿が重なって見えた。

元親は地面に降りると、辺りをきょろきょろと見渡す。動けず立ち尽くす名前と目が合うと、その右目を細め足を進めた。
目の前で足を止めた元親は、口元を緩め、口を開く。


「ただいま」


久しぶりに聞く声だった。約半月の優しい音色。

嬉しいはずなのに。
頭の隅では今直ぐにでも聞きたい事が多すぎて、喜びを素直に出す事が出来ない。


「言ったろ、半月もすりゃあ戻ってくるって。大事なかったか?」

「…はい」


でも、聞いてしまったら何かが変わってしまうかもしれない。最悪、この城から、元親から、離れなくてはならなくなるかもしれない。


「お帰りなさいませ、元親様」


自分を見つめる優しく温かい眼差しも触れてくれる手も失いたくなくて。
記憶も思いも隠して、精一杯の笑顔を浮かべた。
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