尻に感じた畳の感触。背中を擦る手に固く閉じていた目を開けると、目の前に眉を八の字にして心配そうに顔を歪める顔が視界に入る。目が合うと背中を擦る手が離れ、その手がそっと頬に添えられる。親指で頬を撫でられると、気分が徐々に晴れていく。名前の顔色が良くなったのが分かったのか、ほっと息を吐いて座った。


「落ち着いたか?」

「…はい」


吐き気は無くなった。頭も、少し痛みはあるが先程ではない。
元親は、畳を睨みながらこめかみを押さえる名前に一度苦笑すると、次には真剣な表情を見せる。上半身を軽く前に乗り出して伏せられた瞳を覗き込んだ。


「聞いても、大丈夫か」


一度、目を瞑る。
今度は、思い出しても痛みはない。これなら大丈夫だと、小さく頷く。ごくりと喉を鳴らし、ゆっくりと顔を上げた。


「…どっかの家で、母と一緒に、父の帰りを待ってるんです。無事に、帰って来てくれれば良いね、って…」


走馬灯のように駆け巡る。
小さな家に母と二人、縫い物を教わりながら父の帰りを待つ。お土産はなんだろうとか、寄り道してきそうだねとか。そうして父が帰ってくると、行った先々の出来事を面白可笑しく話してくれて。



「京の都に行った時は、運良く祭りと被ったみたいで。宿主に『神輿を担げー!』なんて無理矢理連れてかれてさ、凄い盛り上がりだったよ。まぁ、京は祭りが無くても十分賑やかだけどな!」



次に行く時は家族三人で。いつもそう約束をして終わる話が楽しくて、眠気を堪えて聞いていたものだった。


「それだけ、なんですけど…」


父と母は思い出せたのに。決定的とはいかない記憶に気持ちは沈んでいく。直ぐそこまで見えている何かが見えなくて、もどかしい。

肩を落とした名前を励ますように、元親は項垂れる頭を乱暴に撫で回す。ぐりんぐりんと視界が揺れて「ぎゃあ!」と悲鳴を上げると、それが面白かったらしく、いつものように豪快に笑ってみせた。


「うう…っ、頭がぐちゃぐちゃ」

「いつまでもウジウジとしてる方がいけねぇんだ。昨日も言ったろ? 無理に思い出してどうにかなるもんじゃねぇって。
少しずつだが、自分の記憶(もの)にしてるんだ。もっと喜べ」

「…そう、ですよね…!」


名前の返事に満足したように頷き、片膝を立てて立ち上がる。一人客室に残してきた慶次の元へ行くと言い残し、部屋を出ていった。


部屋の主が居なくなり、静寂の訪れる空間に何となく背筋を伸ばす。このまま居座った方が良いのか、それとも帰ろうか悩んだ末に、首を回し辺りを見渡した。
広い部屋は、元親の豪快な性格に似合わずきちんと整理されている。唯一、側にある文机の上に積まれた紙がある程度だ。いけないと思いながらも無造作に置かれた紙を手に取らずに覗くと、長々と書かれた文字は難しすぎて名前には読めなかった。
いつもこんな仕事をしているのかと、文机に向かう元親の姿を想像して思わず笑った。なんとも似合わない光景だ。今なら、元親がサボって海へ出てしまうという話も十分納得できる。



爽やかな開けたままの窓から風が吹いた。
文鎮で止められた紙はガサガサと音を立て、名前の頬を撫ぜる。嗅ぎ慣れた潮の匂いが心地良くて目を細めた。

かたり。
文机の上から何かが落ちる音がした。視線を畳に向け、小さな落とし物に目を掴みとる。


「これ…」


指の爪程の大きさで、壊れやすく可愛らしい桃色をした貝。それはまさしく、名前が日頃御守りとして肌身離さず持ち歩く物と一緒で。
慌てて帯から袋を取り出す。開けてみると中にはちゃんと入っており、落としたものを拾ってくれた訳ではないようだ。
桜貝なんて探せばある。元親も持っているだけだと思えばそれで終りだ。だけれど、頭の奥底ではそれだけじゃないと言っていて。

ふと、自分のものと元親のものを寄せた。震える指で、そっと合わせてみる。
少し欠けてはいるが、大きさも形も一致した。

まるで、この二枚が元は一つの物だったかのように。


「どうして…」

「よう、待たせたな」

「っ!!」


サッと開かれた戸に、元親の物を合わせたまま袋に詰め込んだ。今のを見られていなかっただろうかと、バクバクと打つ名前の心臓を余所に、元親はニッと笑顔を作った。


「風が強いな。何か飛んでかなかったか?」

「は、はい、何も…。あの、前田様は…」

「今日は帰るってよ。お前に『お大事に』だと」

「そうですか」


元親は音を鳴らす紙を纏めていく。それをジッと見つめたまま、手元にある袋を強く握り締めた。


「…元親様」

「ん? どうした?」


しゃがみ込んだ体勢のまま振り返る。いまだ吹く風になびく銀髪と可愛らしくもかしげられた首に喉の奥で言葉が詰まる。


「…いえ、何でもありません。前田様も帰られたなら私、仕事に戻りますね」

「ちょっ、名前、」


今度こそ捕まらないように素早く立ち上がると、止める言葉も聞こえないふりをしてそそくさと部屋を後にする。
袖を揺らしながら小走りで駆け、角を曲がったところで足を止めた。



どうして自分と同じものを持っているのか聞きたかった。だけど今聞いてしまっては「無理に思い出すな」などの言葉を使いかわされることは目に見えている。

無意識に持ってきてしまったものを袋越しに見つめながら、小さく息を吐く。
父や母、夢の中の子、そして元親。分からないことが多すぎて、頭が破裂してしまいそうだった。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -