思えば、朝起きた頃からそわそわしていたような気がする。器を冷水で洗う女中達を見ながら、なんとなくだがそう思う。主に少ないながらも居る若い子達だけだが、皆一様に身なりを気にするのだ。だが名前はそれ以上詮索することせずに朝の掃除へと繰り出た。
朝早い空気は清々しく気持ち良い。遠くから聞こえてくる兵士達の鍛錬する声もあり、知らず知らず口元が弛んでいく。いい気分に浸りながらせっせと動かす手は、昨日の事を思い出すとぴたりと動きを止めた。

良く考えれば、まともに謝っていないし、結局はどうにか丸め込まれたみたいだった。事をかわすのが上手い元親に流石だと思う反面、これが歳と経験の差なんだと苛立ちを覚える。あの“嫉妬”ともとれる発言も、元親が言うとどこかまるで妹を気に掛けるような言葉に聞こえてしまい、心が穏やかではない。
アニキと呼ばれる通り、頼りになる兄的存在。それだけで良かったのに、いつの間にか名前の心はそれだけじゃ物足りないと思っていた。

その気持ちの正体が分からず、だけとイケない気持ちのように思えて、振り払うように頭を左右に振る。止めていた手をせこせこと動かし、纏まりつく邪念を誤魔化した。



* * * * * *



中に戻った名前は、複数の声がする騒がしい部屋に首をかしげた。その場所が客室な上に、キャッキャと上がる声が、今朝から妙に浮かれていた若い女中達のだから余計にだ。
どうしたのかと好奇心が込み上げ、通り過ぎるフリをして女中達の隙間からそっと中を覗く。
視界に捉えた派手な色に、まさかと目を見開いた。


「あっ、名前ちゃん!おはよう!」


目敏く気付いた派手な色、慶次はお茶を片手に大きく手を振る。一斉に勢い良く振り返られ圧倒するも、引きつった笑みを浮かべた。


「お、おはようございます、前田様」


旅をする者だと聞いていたから、もう土佐から出ていったものだとばかり思っていた。昨日の今日で少し気まずいという気持ちもあり、あれを忘れるまではあまり会いたくなかった。


「まあ、名前ちゃんって慶次様に会うの初めてよね?」

「いんや、昨日ちょっとだけ二人で話したんだよ。な、名前ちゃん?」

「ちょっと! 慶次様と二人っきりでお喋りなんて羨ましいわ!」

「私達なんか大勢でしか相手にしてくれませんのに…」


──なるほど、今朝からそわそわしていたのは前田様と会えるからなのか。
羨望と嫉妬の眼差しを向ける女中達の頬は、慶次と目が合うと嬉しそうに頬を染める。いつも豪快な彼女達からは想像もつかない。

ふと、こんな忙しい時間に、こんな場所に居て大丈夫なのかと不安になる。いつまでも溜まっていたら痺れを切らした女中頭が血相を変えてやってきそうだ。想像して身震いする。
だけれど、今恋する乙女状態の彼女らに言うのも気が引け、どうしようかとあたふたしていた時だった。


「屯って何してんだ?」


背後から姿を現した元親に、皆一斉に振り返る。名前もつられて後ろを見ると、目の前に胸板しか見えず慌てて顔を上げる。ニッと笑みを浮かべた元親は名前の頭に手を置き、くしゃりと撫でると部屋の中に視線を向けた。


「慶次お前、今日帰るんじゃなかったのか?」

「そのつもりだったんだけど、もう少し居たくなって」


元親は名前から手を離すと、暢気に笑う慶次の前にドカリと胡座をかいて座る。その時、慶次の肩に居た夢吉が飛び降り、名前の手に乗り移った。ウキッと可愛らしく鳴く夢吉に挨拶をして再び二人に目を向ける。


「なかなか陸に居ることが無いだろ? やっぱり当主が居ないときに遊びに来るのは、どうもなぁ」

「あら! 私は慶次様ならいつ来られても大歓迎で御座います!」

「逆に、居ない時に来られた方が嬉しいくらいですよ!」

「慶次様がいらっしゃれば、男暑苦しい岡豊城にも花が咲きますしねぇ」

「あーうるせぇうるせぇ。おら、サボってねぇで早く仕事戻れ」


犬を払うように手を動かす元親に女中達から批難の嵐が襲う。「元親様のケチ!」やら「自分だっていつもはサボるくせに」など言う言葉も、耳に小指を入れて聞こえない素振りを見せる。
やがて諦めたのか、慶次に挨拶をし名残惜しそうにしながら帰っていく。その後ろ姿を見送ったあと夢吉を離すと、自分も仕事に戻ろうとした。


「お邪魔して申し訳ありませんでした。それでは、」

「名前」


頭を下げる手前で名前を呼ばれる。どうしたのかと首をかしげながら顔を上げると、膝に肘を乗せ頬杖をつく元親がクッと口端をつり上げた。


「茶ぁ三つ持って来てくれ」

「三つ、で御座いますか…?」

「ああ。三つだ」


頼んだぞ、と言われればそれ以上詮索はしない。まさか夢吉の分のことを言っているのかと疑問に思いつつ、お茶を持ってくる為急いで客室を去っていった。
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