「申し訳ありません!私ったら、元親様のご友人になんたる無礼を…!」
「いいっていいって!俺は別に気にしちゃいないからさ!」
廊下の真ん中で、横に座っている男、前田慶次に向けて土下座する。今にも卒倒しそうなほど緊張し揃えた手は震えていた。
慶次は、旅の途中で何の知らせもなく訪れた無礼者だと言っていたが、名前からしてみれば、何の知らせも無くとも気軽に訪れられるほど仲が良いご関係になるのだ。
いまだ頭を下げ続ける名前に、慶次は困ったように頬を掻く。片手を伸ばし、名前の髪を優しく撫でた。
「気にしちゃいないから、謝るのは止めてくれ、堅苦しいのは嫌いなんだ」
「しかし…!」
「俺が良いって言ってんだから良いの!
はい!この話しはもうお仕舞い!」
パンッと手の平を叩く音に、ゆっくりと顔を上げる。名前がようやく上を向いたことに安心したのか、口端をニッと上げた。
「そういや、嬢ちゃんの名前聞いてなかったな」
「あっ失礼しました。私、こちらで女中をしております、名前と申します」
「名前ちゃんかぁ、可愛い名前だなぁ」
何の迷いもなく可愛い(名前だけれど)と言われてしまうと、お世辞でも嬉しくなる。
お礼を言おうと口を開きかけたその時、慶次の胸元から「キッ」と声が上がった。
「おっと、ごめんよ!」
懐に手を入れて何か掴み出す。
ぽてんと目の前に置かれた片手ほどの小さな子猿に名前は目を見開いた。
「わぁ…!」
「こいつは夢吉。一緒に全国回ってる俺の相棒だよ」
慶次の手の平から、名前の膝元に飛んでくる。くりくりとした両目で見上げ、擦り寄る姿に名前の頬は自然と弛んでいった。
「お猿さんなんて初めて見ました!すごい可愛い!」
「だろ?夢吉はどこに行っても人気者なんだ」
そう言って、人差し指で夢吉の頬を撫でる慶次。心地良さそうに目を細めた夢吉は、名前の膝から離れて、身軽に慶次のしっかりした肩に飛び乗った。
その姿を見ながら微笑む名前に、慶次自身も気を良くする。両手で身体を支えるように後ろに付け、目を名前に向けた。
「引き留めた俺が言うのもなんだけど、元親の所に行かなくても良いのかい?」
「い、行きたいのは山々なんですが…なかなか足が進まなくて…」
「何か、あるんだ」
元親のことを思い出した名前は大きく肩を落とす。ふっと息を溢し、綺麗に整われた美しい庭に視線を落とした。
「とても失礼なことをしてしまったんです。だから謝らないといけないんですけど…、…顔を合わすのが、怖くなって」
何の確証もなく、勢いに任せ元親に詰め寄ってしまった。いつも優しく見つめてくれる人を困らせてしまった。
もしかしたら、怒っているかもしれない。
ただの拾われた女にすぎない自分が泣き付いて、面倒だと思ったかもしれない。
元親に限って、そんなことはないんだろう。だけど、心の奥にいる臆病な自分が、元親を疑っている。
「酷いですよね、…あんなに優しい人を、私…」
ふと手に、何かが触れる。
はっとして顔を向けると、目が合った瞬間ににこりと微笑みかけてくれる慶次の顔。それと同じく手を包む力が強くなり、握られているのだと分かった。
「元親はそんな奴じゃない。あいつは敵だって、泣き付いてくりゃ手を差しのべるような男だぜ?」
握られていない方の手が、名前の先ほど乱れた髪を解いていく。
優しく、撫でるように。
逞しい指先からは想像も出来ない繊細な動きに、名前の心の臓はどきりと脈を打った。
「何があったかは知らないけどさ、大丈夫だよ。な?」
慶次に言われると、なんでも出来るような錯覚におちる。今なら元親の前で、顔を上げ謝ることも出来そうだ。
名前は顔を綻ばせると小さく頷く。そんな名前に慶次は満足気に笑った。
「そうそう、女の子は笑った顔が一番ってね!」
そう言って、手を掴んでいた手を離し、両手で名前の頭を撫でる。
こめかみから耳の後ろへ。指の隙間を通る髪の感触を確かめるかのように何度も、何度も。
時折、耳朶に触れる堅い皮膚にぞくりと擽ったさをおぼえ、同時に恥ずかしさも増していった。
「あの、前田様」
「ん、なあに?」
「そ、そろそろ、離してはくれませんか?」
「ん? んー…」
何が気に入ったらしいのか、名前の言葉も右から左へ受け流し、撫でる手は止まらない。普段男性に、こんなにも触れられることがない名前は内心、ご乱心していたがこれ以上無礼は許されないとカチコチに身体を固めながら、手の動きが終わるのを待つ。
他所の男性は皆こうも、迷いもなく女性に触れてしまうのか。いや、もしかしたらこの城に居る者も元親も、他所の女性にこうして触れているのやもしれない。
そう思った瞬間に、胸にちくりと痛みが走る。そうした後にもやもやと疼き、何故か気持ちが焦っていく。
初めて感じる胸の奥の違和感に戸惑いながらも、慶次が早く離れてくれることを祈っていた、その時だった。
「…なに、してんだ」
背後からする声。振り向かずとも分かる。
名前が会いたくて会いたくない、張本人のものだった。