鬼さんこちら、手の鳴る方へ

草を掻き分け、前を見据え、息を切らして走り抜ける。まるで風になったようだと一人思いながら、前を走る子を追い掛ける。あと少しで追い付くと、ぐんと速度を上げる。景色が開け、小川の流れるその場に着いた瞬間、華奢な肩をトンと叩いた。


「つかまえた!」

「っは、はぁ…っ。名前ちゃん、はや、い…!」


力尽きた○○はその場に尻をつく。両手で体を支え、荒れる息を必死で整えた。反対に名前はというと、多少息は切らすものの、まだまだ余裕が窺える。
名前もその場にどさりと座りこみ、○○の乱れた髪をそっと撫でてみる。柔らかく手入れされた髪は指の間をさらりと通る。その感覚が楽しくて何度もやっていると「やめてよ!」と手を払われてしまった。


「…名前ちゃんは足が速いね。私なんて一回も捕まえたことないよ」

「わたしはまいにち、はしってるもん。○○ちゃんははしるのきらいだからおそいのよ?」

「う…否定は出来ないかな」


困ったような悔しいような複雑な表情を浮かべる○○の気持ちなど、幼い名前が知る筈もない。名前は屈託のない笑みで小川の側に咲く色とりどりの花を見つめ、ふっと息を溢した。


「わたしはつよいもん。まけないよ」

「…じゃあ次は、絶対に捕まえてみせるんだから」

「ほんとにー?じゃあ、おにこうたいね!」

「え、ちょ、今日はもうやんないよ!!」


走り出した名前を慌てて追い掛ける姿に、名前は心の中でくすりと笑う。
あの細い足が自分に敵う筈はないという自信を胸に、少しだけ速度を下げた。




* * * * * *



ぼんやりと天井を見上げる。まだ少し痛む頭。抑えるように手の甲を額に乗せた。

追いかけた先にあった小川と花々には見覚えがある。以前に元親に連れられたあの場所だ。何一つ違わない景色だったから間違いない。
だけど元親は、あの場所は自分しか知らないと、誰にも教えていないと言っていた。
もしかしたら、元親が何か知っているのかもしれない。夢の中の子も自分のことも。

身体を起こして辺りを見渡す。名前に気をつかってか、個室で寝かせられていたらしい。特に何も置かれていないのを見ると、使われていない一室らしい。ようやく暗闇に慣れてきた目を瞬かせた時、キシリ、と板を踏む音がした。障子戸に目を向けると、人陰が映っている。それは戸に手を伸ばすと、音を立てずに静かに開けてきた。


「目ぇ覚ましたか」

「もと、ちか…様」


部屋に入り後ろ手で閉めると、畳の上を滑るように歩く。側にあった灯りをつけると、見えなかった顔がぼんやりと浮かんだ。


「まだ痛いなら、無理に起きるな」


肩を押され、床に沈められる。そのまま布団を掛けられ、名前は何もせずされるがままだった。ただ元親の目をじっと見つめ、何かを探るような訴えるような視線を送るだけ。
ぱちりと目が合うと、元親は労るように右手で、名前のお腹辺りを子をあやすみたいに優しく叩く。眠気を誘うような心地よさに、目を瞑ってしまいたくなるのを耐える。


「…夢の中だと私、いつも鬼事をしているんです」


一瞬ぴたりと止まる手の動き。
また直ぐに始まった律動に、名前は再び口を開いた。


「いつも二人だけでやるんですけど、その子は足が遅くていつも私に捕まる。体力も無くて、直ぐに座り込んでしまうほど運動が苦手な子。
その子と私がよく行ったんです。綺麗なお花の咲く小川の傍に」


名前が何を言いたいのか分かったのか、元親はあやす手を休めず頭を緩く振る。


「俺が連れていった場所とは違うんじゃねぇか」

「いいえ、開けた所から見た景色が全く一緒なんです。あんなに広い森林の中で、あんな綺麗な場所は二つと無いし、二人と見つけられない」


布団から出した手で、あやす大きな手を掴む。縋るように、求めるようにキュッと握り、決して逃げないように。


「知っているんですよね、私の言うその子が誰なのか。
教えてください、あの子は誰なんですか?今何処に居るんですか?元親様とはどのようなご関係なんですか?」


口を閉じ、言葉を待つ。元から切れ長の目はスッと細められ、薄い唇は言葉を探すように開いたり閉じたりを繰り返す。

やがて、元親はふっと息を吐いた。空いている左手を名前の顔に近付け、顔に掛かる前髪を掻き上げる。何度も何度も撫でるように解いていく。


「…夢は所詮、夢だ。名前が見た夢と俺が連れていった場所は何も関係ねぇし、俺はお前の言うその子が誰だかも知らねぇ」


ぐらりと心が揺れた気がした。
なぜか目の奥が熱くなり、口の中が渇いていき、全身から力が抜けていく。


「お願い、教えて下さい。どうしても、知りたいんです。あの子が誰、なのか。私が、どうゆう人、だったのか。
思い出せそうなのに、思い出せない。もどかしいんです、苦しいんです。だから、だから、」


ぽろぽろと溢れ落ちる涙。髪を撫でていた手の、指の背で拭われる。その仕草が優しくて、また涙が溢れた。


「泣くな。アンタに泣かれると、どうすりゃいいか分からねぇ」


左手が、両目を覆う。暗闇が怖くて剥がそうとするけれど、それを押さえるように元親の右手が、両手を掴まえた。


「起きたばかりで気が動転してんだろ。この話はここまでだ。今日はもう寝ちまえ」

「はぐらかさないで、お願い、元親様」


聞かないといけないのに。
無理にでも問いたださなければいけないのに。
意思に反して閉じていく眼。次第に口を開くことすら辛くなり、開く口からは嗚咽が漏れた。


「おやすみ、名前。いい夢見ろよ」


離れた手に気付いたのに、目は開かない。
















気付けば、部屋の外には日が昇っていた。元親の姿は見当たらず、傍にあったのは、水の入った椀だけだった。
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