帯に巻かれたお腹を擦り、少しだけ小さく息を吐く。重いお腹は、例えるなら、やや子を身籠っているような。


「…苦しい」

「あんだけ食ったんだから当たり前よ」

「元親様も食べて下されば良かったのに…」

「アンタの為に出した団子、俺が食ったら怒られちまう」


名前を泣かせたと勘違いした女将が、団子を二本おまけしてくれたのだが、既に一本食べていた名前にとっては多すぎる。にこにこと名前を見る女将に断れる筈もなく、全部平らげた頃には胃の腑は悲鳴を上げていた。


「御代まで出していただいて…。必ずお返し致しますから」

「良いって言ってんだろうが」

「しかし、それでは私の気が済みません!」


布の袋のことも、着物のことも。物も気持ちもたくさん貰っているのに、これで団子まで奢ってもらっては心が痛む。
少し強くものを言ってしまったが、このくらい言わなくてはこの男は聞かないだろう。そんな名前の予想は当たり、元親は足を止め目を見開いたあと、諦めたように息をついた。


「じゃあいつか、俺の願いでも聞いてもらうかね」

「私に出来ることなら、どんなことでも!!」


元親なら、無理なお願いはしないだろう。だからこそ、されたことはどんなに小さくとも全身全霊を掛けたい。
心の中で密かに決意する名前の姿に、無意識に口元が緩むのを片手で隠す元親は、名前の顔をじっと見つめる。そして何を思ったのか、名前の手を掴み少しだけ強く引いて歩き出した。


「元親様!?なっ、なにを…!」

「寄り道だ。ちょっとぐれぇ良いだろ?」

「それはっ構いませんが、あの、お手を…」

「はっは、気にすんな!」

「(そんな無茶な…!)」


呉服屋や調度品を扱う店などが並ぶ長屋の一つに、暖簾を潜り戸を開けた元親は少し背を丸め中へ入る。半ば無理矢理引かれた先には、腰掛けに座る老婆が笑みを浮かべていた。


「元親様ではありませんか。よくおいで下さいました」

「あぁ。早速だが、見せてもらいてぇ物がある。名前、少し待っててくれ」

「はい」


老婆の元へ行ってしまった元親から目を離し、辺りをぐるりと見渡す。何かの店なのかと思いきや品物に統一性はなく、扇子や簪、着物に書物まで置いてある。鏡の傍には化粧品もあり、品揃えはさしめず何でも屋だった。


「名前」


名を呼ばれ、手招きをされる。物珍しく眺めていた物から目を離し、誘われるように寄っていく。
目の前まで来ると、大きな片手が頬に添えられた。「じっとしていろ」まるで呪文を掛けられたように動かなくなる。
彼の小指が、下唇を撫でた。


「馴染ませて」


右目が、紅を乗せた唇を見つめる。
焼けてしまいそうなほど熱くなったそれは、見られる羞恥と急かす言葉に震える。
下唇と上唇を合わせ、弾く。薄く開いた口から吐息が漏れた。


「末摘花と呼ばれる花から出した紅でして。色も質感も素晴らしいから、旅の商人から買い取ったのですよ」

「さっき、団子食べて落ちたみてぇだからな。せっかくめかし込んだってのに、勿体無ぇだろ?」


笑う元親の、小指に付く紅色。
さっきまで、あの指が、自分の唇を撫でていた。

自覚した途端、全身の血が滾っていく。頬は化粧したにも関わらず、赤みが浮き出ていた。

熱に侵され潤う瞳も、火照る頬も見られたくなくて、誤魔化すように背を向ける。

真っ赤に染まる耳を見て、元親が声を殺して笑いを耐えていることなど、名前は知らない。



* * * * * *



橙色の広がる空が、夕刻なのだと告げている。そろそろ帰る頃なのだが、もう一ヶ所付き合ってくれ、と言われてしまい、今は少し城下から離れた場所に足を踏み入れていた。
砂利と草を踏む音。木々が覆う辺りは暗く不気味で不安になる。せめて、斜め前を行く元親からはぐれないようにと足を動かした。


「着いたぜ」


嬉しそうな声に、足元を見ていた視線を上げる。

澄んだ小川のせせらぎが、空を真似て橙に染まる。風がふわりと舞い込み、傍で咲きほこる花々が揺れていた。


「小せぇ頃によく来た場所なんだ。今でも、気が向きゃあ足を運ぶ」


桃色の花を一輪摘み、名前に差し出す。それを受け取り、まじまじと見つめた。


「あそこに置いたのもその花だ」

「そう、だったんですか…」


鼻に近付けてスッと息を吸い込む。
摘みたての、強く独特な香り。


「懐かしい…」


鼻奥を擽る花の匂いも、澄んだ小川の流れる音も、橙の光が作る長い影も。

知らないのに、知っている。
頭の中の何処かが、微かだけれど忘れていない。


「…この場所は、誰にも言ってねぇ。俺しか知らねぇ秘密の場所よ」


身体を包む空気が、周りを一切遮断したかのように、音を消す。
風を受けて気持ち良さそうに目を細める姿が、誰かと重なって見えた。


「だけど、アンタには教える。アンタには、知ってもらいてぇんだ」


優しく見つめる瞳から、微かに滲む、懐かしむような眼差し。何て言葉を返したら良いか分からず、開きかけた口を閉じ、そっと上を見上げた。
暗くなりつつある空には、既に無数の星が光っていた。
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