「菜の花なんてどうかしら」

「桃色なんかも捨てがたいわ」

「何言ってんのよ!長曾我部氏といえば紫、それは譲れないわ!」


互いに手に着物を持ちながら、目の前で繰り広げられる女中達の戦い。それを部屋の端で見守っている名前は、同じく遠目で見守る先輩女中に髪を解かれ、化粧を施されていた。
こうなってしまった発端は、二日前に遡る。


元親に城下を案内すると言われ、戸惑いと同じく喜びも大きかった。あの夜中の脱走事件から、元親率いる兵士達に遠出することを止められていたからだ。純粋に元親と居られることが嬉しいのもあるが。
何はともあれ、一方的であれ約束は守らねばならない。女中頭にそのことを告げれば、なんと忽ち広がっていったのだ。
ある方は「元親様もやるわねぇ」と。ある方は「今夜はお赤飯よ!」と。そしてある方は「男とばかりつるむからそっちの気があるんじゃないかと思ってたけど、安心したわ」と。
それから話の流れで、当日は目一杯おめかしをしていく、ということになったのだ。

そうして、冒頭に至る。



「あらまぁ素敵!」

「元から肌が白いから、白粉を軽くしたの。口紅も、とても艶やかでお似合いでしょ?」

「これなら元親様も、さぞお喜びになりましょう!」


あれよあれよと着替えさせられた名前は、両手を合わせ興奮気味な彼女らに苦笑する。どうやら着物の色は紫になったらしい。元親の戦装束とは異なる色。普段着ることのない上質なそれは、心地良い肌触りだった。


「こんな素敵なもの…私が着ても大丈夫なのでしょうか」

「いいのよー!着物達も織った方も、こうして再び誰かの目に入って幸せな筈だわ」


最後に、纏めた髪に簪が差される。シャラシャラと音が鳴り、無意識に笑みが溢れた。


「行ってらっしゃい」





* * * * * *



早足に門前へ向かうと、門番と仲良く話す元親がいた。墨の長着は彼の綺麗な肌と銀の髪を一層引き立たせている。まるで別人のようで、傍に寄ることを躊躇ってしまう。


「も、…元親、さま」

「おぉ、来たか」


振り返り笑みを見せた元親は、名前の頭上から足先までじっくりと視線を流す。その時に門番する兵士から「あの着物…」と発せられ、どこか可笑しいのかと、キュッと裾を握り締めた。


「…なかなかじゃねぇかよ」


少しだけ頬を桜色に染め、顔を綻ばせる。その表情を見ただけで、胸の中の不安や緊張が一切消えてしまった。


「さっそく行くか。時間が惜しい」


その言葉に大きく頷き、先を歩き出す元親を追い掛ける。後ろから気ィつけてアニキ、名前ちゃん!とお見送りの声が響き、振り向いて小さく手を振った。



* * * * * *



まるで御祭りなのかと思うほど賑やかな表。海に近い城下の店は、普段では見られない生魚がずらりと並んでおり、それを売るのに片手で生きた魚を掴む店主には驚いた。それを見て笑う元親は、道行く先々で声を掛けられる。時折ちらちらと名前を見る視線もあれど、そうした元親の慕われている証を見れば、心穏やかに向けられるモノも気にならない。


「そろそろ休むか」


そう言って連れられたのは表店の甘味処。店の奥にいた女将に挨拶した元親は、中には入らずに外の備え付けの長椅子に名前を座らせる。
それから名前の隣に元親が腰掛けたと同時に、女将が茶と団子を持ち現れた。


「久しぶりに来たと思ったら、可愛らしい方を連れてきましたねぇ。もしかして、元親様の良い人で?」

「えっ!?」

「ははっ、そうなら良いんだけどなァ」

「ええっ!?も、元親様!?」

「悪ィ悪ィ、冗談だ」


慌てる名前を宥めるように頭を撫でる手に、余計に慌ててしまう。それをみた女将がクスクスと、仲が宜しいのですね、と笑みを溢した。


「紫の着物でしたから、てっきり元親様も娶らるのかと…」


先程の門番といい、女将といい、着物に何か問題があるのかと再び不安になり元親を見上げる。
彼は口をニィと上げ、名前の袖を掴んだ。


「長曾我部の軍色の他に、紫は染料が貴重で手に入りにくい。深紫に限らず大体は禁色なんだよ」

「きっ…!?そんな、私…!」


いくら知らなくて着せられたと言っても、身分の低い名前が禁色を纏うなど言語道断。
サッと血の気が引いていく名前に、元親は苦笑し眉を下げる。長椅子から腰を上げ、名前の前に片膝を付いて顔を覗き込んだ。


「別に脅して言ったんじゃねェんだ。そんな顔すんなよ」

「でっでも、これはいつか、元親様の妻になられる方の為の…」

「そうだとしてもだ。俺はアンタが着てくれて、すげェ嬉しい」


膝に置いた手に、元親の片手が覆い被さるように重なる。優しく、確かに握られ、名前はゆっくりと顔を上げた。
目を細め、緩く上がる口端。灰掛かる青の瞳は名前が己を目で捉えた嬉しさで歓喜に輝いた。


「長曾我部の人間なら、堂々と笑って歩きやがれ」


名前の両手でも余るほど大きな片手。いつかあの二人を重ねた時と同じように、頼りになる温かい手。
いつの間にか着物のことなど頭の角に追いやられる。やはり元親には敵わないと、改めてこの人に助けられて良かったと思った。
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