『ありがとう』も『ごめんね』も言うことが出来なかったから。だからせめて、二人の為に精一杯生きようと決意した。墓ほど立派ではないけれど、空と海が一望に見渡せるあの場所なら、少しでも安らかに死後の世界に行けるはずだ、と。


「命を助けていただいた上に、住む場所まで与えて下さって、何と御礼を申したら良いのか…」

「気にすんなって言っただろうが。寧ろこっちが礼を言わなきゃならねェぐれーよ」

「そんな…」

「うちにゃ若い女中が少ねェからな。野郎ばっかで大変だろうが、任せたぜ」


一緒に保護された親子と同じく、近くの村で受け入れてくれればそれで良いと言ったが、元親直々に城の手伝いをしないかと言われたら断ることは出来ない。寧ろこうして傍で恩を返せるなんて、なんと幸福なことか。

しばらくは航海しない、これから執務に追われるであろう主の部屋を後にする。
やれる全てを尽くそうと、名前は一人気合いを入れた。



* * * * * *



元親の言う通り、年のいく女中が多く、その女中すら人数が少なくい。彼女達は、元親が当主になる前、父である長曾我部国親の代からの女中らしい。さすが長曾我部の下で働く人間、女ですら豪快で気さくな方が多く、皆が名前の身を案じてくれた。初日で分からないことばかりだったが、心配は要らなそうだった。


その日の夜から女中部屋で皆と寝床を共にすることになった。詰々に入って多少寝苦しいも、寂しさは紛れて名前にとってはとても良い。
だが、一人、また一人、遂には全員が寝息を立てた後も名前は寝付くことが出来なかった。


(歩いてこようかな…)


起こさぬよう忍び足、襖を開けて目に映ったのは白銀に輝く大きな月。満月でなくともその存在感は素晴らしい。

襖を閉じ、月が常に顔を出している廊下側を歩く。壮大な庭まで着くと、奥に造られた池の水に映る月がゆらゆらと揺れており、そっと庭に降りて池の水に触れると、波打ち形が崩れた。それが面白く、何度も何度も水飛沫を上げて楽しむ。


「…何してんだ?」

「っ!」


叫びそうになった口を両手で素早く押さえる。水に触った手が顔を濡らしたが、今の名前には小さなことだった。
元親が不意に現れたのはこれで三度目。もう少し目立つ登場をしてくれたら良いのに。


「…ぷっ、顔、濡れてんぜ」


着流し姿で登場した元親に、口に当てた手を剥ぎ取られると裾でゴシゴシと拭かれてしまう。濡れて濃くなった紫の部分を目で追いながら、途端に今彼にされたことに触れた箇所から熱くなっていく。


「〜〜っ!」

「はっ、顔真っ赤だな。月明かりでよォく見える」


ふっと口元を緩める優しい笑みに、赤い顔のまま小さく息を吐き、もう一度元親を見上げる。
銀色の髪が月光に輝き、温かみのある光りのお陰で、彼の鋭く恐ろしい印象を与える目元を柔らかく魅せている。容姿が整っていることもあり、男性に思うのは忍びないが、綺麗だった。


「で、何をしてたんだ?」

「…なかなか眠れなかったので、月夜が美しく、つい勝手に城内を歩かせていただきました。…申し訳ありません」


深々と頭を下げる。
元親は眉間に皺を寄せ、名前の肩に手を置き無理矢理顔を上げさせた。その反動でぐらりと身体が揺れ、寝間着の緩く巻かれた帯から布の袋が地面に落ちた。


「怒ってねぇし、それに城(ここ)に居るうちはテメェの家だと思え。自分の家を彷徨くのに許可なんざ必要ねェだろ?」


肩から手を離すと、落ちた布の袋を拾い、名前に手渡す。両手で受け取った名前は大事そうに胸に抱え、小さな声で礼を言うと、元親は満足そうに頷き、腰に手を当てる。


「随分と解れてるな。いつも持ち歩いてんのか」

「はい。と言っても大事なのはこの中身で…」


親指と人差し指で中の桜貝を摘まむ。元親が手の平を差し出したのでコトリと落とすと、大きな手の中のそれはいつもより小さく見えた。


「…これは…」

「私の御守りです。記憶を無くす前からずっと持っていたみたいで…。分からないけれど、とても大切なモノだったんじゃないかって」

「…」

「…元親様?」


それを見つめたまま動かなくなった元親に、名前は下から顔を覗き込む。何かを考えるようなそんな表情に首をかしげたが、目が合うと先程のように微笑み、それを名前に返した。


「落として無くすなよ。…それはそうと、そろそろ部屋に戻った方が良い。明日早ェんだろ」

「はい。では、先に失礼致します。お休みなさいませ、元親様」


一礼して背を向ける。
足を一歩前に踏み出した。


「お休み。……名前」


背に掛かる低い声に身体が硬直し、顔の熱を上げていく。
名前など、覚えていないのかと思っていたのに。今の瞬間に呼ぶなんてずるい。

布の袋をキツく握り締め、胸を締め付けるようなむず痒さを誤魔化した。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -