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髪を洗ってみて、エヴァルトは驚いた。邪魔な前髪をかき上げると、美しい少女が姿を現したのである。眉も睫毛も、全てが白。痛みで朦朧としている瞳はエヴァルトよりも深い海の青で、キラキラとしていた。目鼻立ちはすっきりと整っており、この顔を見て彼が男だと判断する者はいないはずだ。それくらい、スキアーの顔立ちは可憐で美しかったのだ。
(…まさか)
エヴァルトはスキアーに見入っていた頭を振り、ひたすら無心でいつのまにか意識のないスキアーの体を洗った。
浴室から出て、濡れたスキアーを綿の布で拭き、しまっていた古い服を着せる。エヴァルトは普段から、侍女に世話をされないようにしている。貴族の中には風呂の世話までさせている者もいるようだが、エヴァルトはそんな間抜けな人間にはなりたくなかった。
スキアーをベッドに寝かせ、とりあえず汚れを落とした傷口に消毒液を塗った。まずは酷い手の甲、手のひら、そして青痣になっている腹と肩。その次は、白い頬。さらけ出された美しい顔に痛々しくつけられた傷は、赤く腫れ上がっていた。こんなか細い少年にこういうことをする者がいたのか、とエヴァルトは呆れてしまう。
治療を終え、しばらくすると、スキアーが唸った。エヴァルトが椅子で本を読んでいた顔を上げると、スキアーの青い双眸がぱちりと開いた。
「……え…」
途端に、スキアーはガバッと起き上がる。しかしその行動が怪我に響いたのか、次の瞬間にはうずくまっていた。
「おい、無理すんな。お前は怪我してんだぞ」
声をかけられ、スキアーはおそるおそるエヴァルトを見る。そして自分が今何をしていたのかを思い出して、白い顔を青くさせた。
「も、申し訳、ありません。すぐに出ます」
スキアーの固い声音に、エヴァルトは目を見開いた。そそくさとベッドから抜け出そうとしているスキアーの腕を掴み、ベッドに戻した。
「別にいい。お前はシャワーを浴びて綺麗になったし、使用人が主人の部屋で寝てはいけないという規則はない」
「で、ですが…」
なおも抗議しようとしているスキアーに、エヴァルトはムッとした。
「何回言えば分かる? 主人の言うことが聞けないのか」
こう言えば、下男であるスキアーは何も言えなくなってしまう。エヴァルトは次第に、要領を得ていた。スキアーは主人の命令には絶対に逆らわない。命令する立場は、嫌いだが。
「……申し訳、ありませんでした…」
素直にベッドに戻ったスキアーは、陳謝した。この謝罪には、いろいろな意味が含まれていた。
汚ならしい身分の自分が、高貴な方の部屋に入ったこと。触れたこと。シャワールームに入ったこと。体を洗わせてしまったこと。手当てや着替えまでさせてもらったこと。ベッドまで借りてしまっていること。
スキアーは情けなさでいっぱいになっていた。
頭の中で、ベルの言葉が繰り返される。
『能無し』、『貧弱』、『鈍間』。
ベルは間違っていない。確かに、自分は貶される身分だ。ベルのように一般家庭でもないし、ましてや元奴隷。不気味な白い髪に白い肌、女のような顔に体つき。これで本当に女なら、また違う何かになれたかもしれないのに、体は本当に男だから何もできない。哀れで、間抜けで、弱い男。それがスキアーだった。
エヴァルトは雇い主の息子だ。優秀で美しく、加えて男らしいと侍女の間でも評判だった。実は、年齢はエヴァルトの方が年下になる。スキアーは16歳で、エヴァルトは15歳のはずだ。それなのに、体格も全然違う。エヴァルトは大人顔負けの高身長に、体つきも恵まれていた。対して、スキアーはその辺の女よりも背が低い。背が低いと噂の東洋人であるドユルよりも、低かった。
「申し訳ありません……」
もう一度、スキアーは謝った。もう、それ以外何を言えばいいのかさえ分からない。
すると、エヴァルトはため息をついた。深いため息に、スキアーはぐっと肩を揺らす。
「何教え込まれてんのか知らねぇけど、怪我人は黙って寝てろ。それと、下男だとか使用人だとか、そう言うのは煩わしいからやめろ。俺は、身分なんて嫌いだ」
この爵位も、地位も。
そう吐き捨てるように言うエヴァルトは、苛立った顔で頭をかいた。
「なあ、お前、名前は?」
エヴァルトに聞かれて、スキアーは「え」と引きつった。しかしエヴァルトは再びムッとして、眉間に皺を寄せる。
「…、命令だ」
唸るように言えば、案の定スキアーはあっさりと口を開いた。
「スキアー…でございます」
「スキアー? 珍しい名前だな。やはりお前は異国の民なのか」
「分かりません…。記憶がある時点では、もうこの国にいました」
スキアーが答えると、エヴァルトはふうんと興味なさそうに相槌を打った。
「年は? せいぜい14かそこらだろ」
「じゅ、16になります」
「は!? 俺より年上!?」
エヴァルトは衝撃の事実だったのか、クールな顔を崩してスキアーを穴が開くほど見つめた。
「はい…、あの、おそらくエヴァルト様より年下の使用人はおりません。ドユル…あ、グルームをしている東洋人の子も、17です」
「はあ? 東洋人って…あいつか。あいつ17なのかよ、見えねえ。せいぜい14だ」
ぶつぶつ文句を言うエヴァルトは、最初と全然印象が違う。エヴァルトと言えば、クールで誰に対しても冷たく、酷く無関心。そう聞いていた。
スキアーは目を丸くしてエヴァルトを見ていると、エヴァルトが気が付いてスキアーを見た。そして、眉を寄せる。
「…なんだ、見るな」
「申し訳ございません」
パッとすぐに視線を外したスキアーに、エヴァルトは少しだけむずかゆく感じた。
「…痛みがおさまったら、俺の部屋から出た方がいい。お前は使用人たちにバレると、まずいだろう」
「はい…、そういたします。今日は本当に、何から何までありがとうございました」
礼を言い、ベッドから起き上がってぺこりと頭を下げると、エヴァルトはふいとスキアーから顔を背けた。
「帰り方は、覚えているか。あのルートなら、使用人に見つかりにくい。そのまま帰って、下男部屋に帰れ」
「はい」
幸い、スキアーは覚えていた。スキアーは立ち上がると、エヴァルトに頭を下げた。
「…もういいのか」
「はい。これ以上お世話になることは出来ません。今日はありがとうございました。またいつか、お礼をさせて下さい」
「礼なんて、別にいい。人として当然のことをしたまでだ」
「いいえ、絶対にさせてください…。助かったんです。本当に」
顔を上げたスキアーの表情に、エヴァルトは釘付けになった。無表情だった顔に、優しい笑みを浮かべるスキアーは、まるで天使のように美しかった。見た目も小綺麗になって、なおさらだ。
「…、礼は、またいつかでいい。今日はもう帰れ」
「はい。ありがとうございました。おやすみなさいませ、エヴァルト様」
スキアーはそう言って、エヴァルトの部屋を出た。そして先程のルートをこそこそと通り、誰にも見つかることなく下男部屋に辿り着いた。
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