V
結局、掃き掃除は夜になりかけるところで終わった。冬が始まろうとしている外気はとても寒く、薄い格好のスキアーにとっては凍るような冷たさだった。
(ドユルはもう自室か)
唯一の友人、ドユルはおそらくもう自室だろう。こんなに遅くまで仕事をするのは自分だけだ。スキアーは華奢な分、力がなく掃き掃除だけでもいっぱいいっぱいだった。それに加えあんないじめを受ければ、夜になることは必須だ。
(汚れたし、疲れた。でも今日は湯に疲れそうにないな…。あとで布で拭こう)
とぼとぼと歩きながら自室を目指していると、前方から歩く音が聞こえてきた。軽やかな音だと思っていると、目の前に現れたのは侍女のベルだった。
「あら、やっと終わったの? まったく遅いわね、この能無し!」
いきなり体を突き飛ばされて、スキアーは身構えることもできずに尻餅をついた。その様子を、ベルは面白そうに見下げる。
「本当にバカで鈍間で、貧弱ね! その白い髪も肌も能面みたいに無表情な顔も、不気味なのよ。分かる?」
ベルに足で頭を蹴られて、スキアーは呻き声を上げた。痛くて仕方がなかったが、男が女にやられて、泣き言を言うべきではないと思った。
ベルは蹴られても表情を変えないスキアーに苛立ったのか、眉を吊り上げて怒鳴った。
「…っ、何か言いなさいよ! それとも本当に口が聞けないのっ!?」
ガツン、と鳩尾を蹴られて、スキアーはたまらず声を上げて眉を寄せた。するとベルはやっと満足げな顔をして、スキアーの白い手を踏みつける。
「フン、本当に気味の悪い顔。アンタみたいな能無しはさっさと売られて貴族の玩具になればいいのよ。」
ぐしゃっと思いきり体重をかけられ、スキアーは痛みに悶えた。ベルは散々スキアーを痛め付けて満足したのか、最後にスキアーの肩を蹴飛ばすと、そのままどこかへ消えて行った。
「……っ」
スキアーはベルに踏まれた手をもう片方の手で守るように覆った。女とは言え、故意に思いきり踏み潰された手は、地面に擦り付けられ血だらけだった。それに、蹴られた頬も、肩も、腹もズキズキと痛んだ。きっとこれを明日の朝にドユルに見られたら、心配されるだろう。そんな迷惑は、あまりかけたくない。
スキアーはなんとか立ち上がり、土を払ってふらりと歩き出した。頭はくらくらして、あまり真っ直ぐ道を歩けない。
ひと気のない庭に出たところで、スキアーは後ろから音がするのを聞いた。
また侍女だろうか。そうだったら、今の状況を笑われさらに暴力を振るわれるだろう。ああ、今日は厄日だ。
そんなことを思いながら後ろを振り返ると、そこには想像とは違う人がいて、スキアーは目を見開いた。
「お前……」
美しい金の髪に、スキアーのものとは違う空色の青い瞳。整った凛々しい顔立ちは品が良く、スキアーの主人によく似ていた。
「エ…エヴァルト様……」
エヴァルトは明らかに怪我をしているスキアーを不審そうに見つめて、言った。
「…お前は、ここの使用人か?」
話しかけられて、スキアーは無表情な顔を少し驚きに変えた。
確かエヴァルトは、誰に対しても冷たく無関心だと聞いた。使用人に話しかけるなんて、もっての他だ、と。
「は…い、そうですが……」
話すたびに、蹴られた頬が痛んだ。思わず顔をしかめると、エヴァルトがさらに眉を寄せる。
「おい、その傷はなんだ」
「…転びました、申し訳ありません。不快でしょうが、お気になさらないで下さい」
「嘘をつけ。その傷は、転んだくらいでつかない。…手は、踏まれたのか」
エヴァルトの視線が、だらんと伸びる手に注がれた。スキアーははっとして手を後ろに隠したが、うまくは行かなかった。
エヴァルトはそんなスキアーを見て、怪我をしていない方のスキアーの腕を掴んだ。
「…来い」
「!」
強引に引っ張られ、スキアーは油断していた分体をよろめかせた。エヴァルトはそんなスキアーに気が付き、振り返ると、眉を寄せて小さく唸った。
「…すまない」
エヴァルトはそう言って、今度はゆっくりと歩き始めた。スキアーは何が何だか分からなくて、戸惑いの声を上げようにも言葉にならずわけの分からない単語を紡ぐ他なかった。
「エ、エヴァルト様っ、私のことはどうでも…っ」
「良くはない。お前は俺が大怪我をしている奴を放っておくような酷い人間だと言いたいのか?」
「っ、それは、…!」
スキアーは目を見開いた。エヴァルトは、スキアーを治療しようとしているのだ。主人の息子…スキアーにとっては雇い主にもあたる人間にそんなことをしてもらえば、後日どんな処遇が待っているかなんて容易に理解できた。しかし、暗い外では真っ青なスキアーの顔などエヴァルトは確認できない。スキアーの意志とは反対に、エヴァルトはどんどん突き進んで行った。
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