夏風とスカッシュオレンジ










「と、言うことで! 今日来てくれた人まじありがと! たっくさん飲みましょー!!」





 明るい茶色に染められた男が酒の入ったグラスを掲げて盛り上がる。それにつられたように、周りがどっと黄色い声に包まれた。


 今日は予定通り、蒲生に頼まれたコンパの日。それなりにいい雰囲気の店で待ち合わせて、同じ学科の女子数名と俺、蒲生、その他同じ学科で蒲生のサークルの友達らしい男子ら数名で開かれた。

蒲生が前々から言っていた通り、よく集められたなという具合に顔立ちのよい女子が参加しているようで、今日知ったばかりの男子も最初から大盛り上がりだった。


「ひろっつぁん、大丈夫か?」


何も喋らない俺を心配してか、蒲生が顔を覗き込んでくる。それに対して、適当に大丈夫、と言うと、蒲生はそうか、と言って前を向いた。


 蒲生が心配するのも無理はない。

確かに、俺はあまり人と喋らない。同じ学科の人であまり知り合いもいないし、どちらかと言えば狭く深くというように友達を作っているタイプだ。今日だって、蒲生以外に知り合いは誰一人いない。蒲生はそれを知ってか、時折その面倒そうな顔つきに心配の二文字をぶら下げてこちらを見てくる。ありがたいことだけど、特になんの心配もなかった。だからと言って、楽しんでいるわけでもないが。


(…年、とったかな)


まだ大学生なのに、年を感じる。若々しい彼らを見て感慨更ける俺は、やっぱり何か変だ。


「あの、」


 隅っこでちまちまとアルコールを飲む俺に、いつの間にか隣に来ていたらしい女子が話し掛けて来た。まさか来るとは思っていなかったからか、随分驚いた。


「一緒に飲まない?」


にこ、と笑いかけてきた彼女は、お菓子のような色合いのボブスタイルの髪に女の子らしいふわふわの服を身に纏って、淡いオレンジ系の液体が入ったグラスを手にしていた。


「うん、いいよ」


なるべく優しく了承の言葉を告げると、彼女は花が咲いたように笑顔になり、どことなく緊張した面持ちで下を向いた。
その純情そうな仕草に、なんとなく好印象を覚える。


「あ、名前…何て言うの?」


「廣田敬介。そっちは?」


「私は岸部秋穂。…なんて呼んだらいい?」


「何でもいいよ」


俺がそう言うと、岸部さんは遠慮がちに「じゃあ…廣田くんで」と言って笑った。


「廣田くんも、蒲生くんと同じ学部なんだってね」


「うん。岸部さんもだよね」


「あ、うん、そうだよ」


岸部さんはどこかむず痒いと言った風で、グラスを小さな唇に持っていく。
小動物みたいな子だな、と思いながらふと辺りを見渡すと、蒲生と目が合った。蒲生は何故か親指を立てながら俺を見ていて、口だけで「ファイト!」と言い別の女の子に向き直る。それを見た俺は、呆れを通り越して疲れを感じて、無意識に顔を手で覆った。また奴の術中にハマったようだった。


「廣田くん、大丈夫? 酔った?」


隣で岸部さんの心配そうな声が聞こえて、慌てて顔を上げる。岸部さんのふんわりとした柔らかい顔立ちが目に入って、なんだかどうしようもない気分に駆られた。


「…ごめん、大丈夫。ちょっと疲れただけ」


「そうなの? 大丈夫? 辛かったら言ってね」


彼女のふわふわとした甘い甘い綿菓子のような声が降る。それを心地良いだとかは、不思議と思わなかった。女の子が嫌いというわけでもないのに、何故だかしっくり来ない何かは、自分でもよく分からなかった。







「えーそろそろコンパ定番の王様ゲームをしたいと思うんですがー異論のある奴はきょーしゅ!!」


「池内せんせー、王様ゲームはベタ過ぎてつまんないでーす」


「異論は認めません! はい始めっっ!」



 池内とか言うらしい男子の提案で、王様ゲームをやることになったようだった。蒲生はベタ過ぎると反論をしていたが、確かにベタ過ぎると思う。


「はい引く! ほら、廣田くんと岸部さんも!」


強制的に引かされて、渋々割り箸の先に書かれた番号を見る。
だけど、俺の出番という出番は蒲生と同じコップで飲み交わすというワケの分からないネタに使われて、それ以外は柔らかいソファに座り込んで男女が恥ずかしそうにしているのを見るしかなかった。


「えーと、次引いて。…あ、王様俺だ」


蒲生が呟く。嫌な予感がして、ちらっと蒲生を見ると、蒲生は俺を見つめて言った。


「5番と3番が、キス!」


ぎゃー、と部屋中が悲鳴に変わる。俺はゆっくり手元の割り箸を見て、溜め息をついた。確かに5番だった。また蒲生の時みたいに男同士でもなんだかアレだし、かといって女の子でも危うい。蒲生を恨みがましく見ると、蒲生は面倒そうな表情をうまく消してお茶目な顔をしていた。


「5番は廣田くんでー、3番はー?」


池内が辺りを見渡して、言う。その時、隣に座っていた岸部さんが、ゆっくりと手を挙げた。


「あ、あたしです…」


真っ赤な顔は、まるで林檎のようで。
これ以上にないくらいに紅潮した岸部さんは、本当に恥ずかしそうに、消え入りそうな声音で呟いた。


「おっ、いーねいーね。じゃあやっちゃいなよ、俺ら見てるからさ!」


池内らが調子に乗った声で言う。
ちらりと岸部さんを見ると、真っ赤な顔で瞳を泳がせ、内心どうしたら分からないようだった。


(…どうするべきか、)


面倒なことになった。
今さらだけど、蒲生が恨めしい。

周りの催促の声が降る。彼女の反応を伺ってみると、岸部さんはどうやら対応に困っているらしかった。


「…岸部さん」


「えっ?」


 思いがけず、彼女の細い腕を掴んで立ち上がっていた。驚いた彼女と周囲を無視して、彼女の腕を掴んだまま、部屋の外へ出る。


「ひ、廣田くん、」


喧騒が消えて、緩やかなBGMだけが流れる通路。岸部さんが困惑したように俺を呼び止めて、俺は慌てて振り返った。


「ごめん、無理矢理連れてきて」


少し強引過ぎたのかもしれない。
でも、あんな空気の中、戸惑う岸部さんが少し可哀想に思えたのは事実だった。蒲生も蒲生だ。コンパだからと言ってあんな軽々しい提案は少し浅はかだしベタ過ぎる。


「ううん、すごく助かったし…ありがとう」


岸部さんが柔らかく笑う。その顔に少し安心して、岸部さんを店のフロントにあるベンチに座らせた。


「あの、廣田くん」


店のフロントで売っていたスカッシュオレンジが入ったグラスを岸部さんに渡して、一息つこうと自分もベンチに座った時、岸部さんが言った。

岸部さんの頬は淡い紅色に染まっていて、恥ずかしそうに俯いていた。それを見ながら、何とも言えない気持ちになってしまったのは、岸部さんには言えない。恋愛に興味がないとは確かにあの二人には言ったけど、ここまで興味がないとは、自分でも思わなかった。


「連絡先…教えてくれないかな、」


同じ男なら、彼女の仕草は本当に可愛らしいと感じるんだと思う。だけど、それに敏感になれない俺は、やっぱり蒲生の言った通り、人生を損しているのかもしれない。








 電話番号と、LINEのID。それらを交換し終えた俺と岸部さんは、そのまま帰った。
それまでの間岸部さんと何てこともない普通の会話をして、ここに居続けるのも悪いと足早に帰路についた。


岸部さんは、悪くない印象だった。
むしろ、同じ男が見たら可愛いとすら思うであろう容姿と控えめな性格は好印象だった。
でも、だからと言って、付き合いたいとは思えなかった。彼女からの好意はあからさまだったけれど、それに知らないふりをして曖昧な態度を取る自分は、本当に情けないとすら思う。





 岸部さんとは帰り道は反対方向だったらしく、店を出てすぐに別れてひとりで歩き出す。塾帰りの高校生やサラリーマンたちが行き交う街中を歩きながら、スマホを見ているとLINEの通知が一通来た。
差出人は先程別れたばかりの岸部さんだった。「今日はありがとう。たくさんお話ができて嬉しかったです。また学校でも話そうね」と可愛らしい顔文字つきで送信されたトークに、すばやく返事を打つ。こういうのは速く返事を打たなければいてもたってもいられない性分で、「こちらこそありがとう。今日はお疲れ様」と打つと、送信ボタンをタッチした。

 その時、突然スマホが手のひらから消えてなくなった。驚いて顔を上げると、そこには見慣れた赤髪の男性がいて、さらに驚いてしまった。


「こーら、廣田。歩きスマホは危ないぞ」


 よく知った心地好い低い声は、サークルでお馴染みの西出さんのもの。西出さんはいまだ驚いている俺の顔を見ながらニッコリ笑うと、スマホを手のひらに返してくれた。


「…西出、さん」


どうしてここに、と言うまでもなく、西出さんが笑って答えた。


「バイトの帰り。で、帰ろうとしてたら、見知った顔がいたってわけ」


そこの居酒屋で働いてんだよ、と西出さんは右側に位置する居酒屋を指差す。軽く頷く俺に西出さんは尋ねた。


「廣田はこんなところで何やってんだ? コンパか?」


「あ…、はい。そんなとこですかね」


「にしては、帰り早いな。廣田のことだから、抜けたんだろ?」


察しがいい西出さんには、どうやらすぐ見抜けるらしい。苦い顔をした俺に、西出さんは笑った。


「そんなことだろうと思った。廣田、ああいうの苦手そうだもんな」


明るく笑う西出さんの顔を見ながら、ふと先日のことを思い出す。
見たこともない剣幕の表情で何かを言う西出さん。いつもの皮膚をくしゃっとさせる笑い方をする西出さんはどこにもいなくて、無性に怖かった。


西出さんは先日のことを思い出させないような爽やかな笑顔を見せる。それがまた不思議で、呆然とした。すると西出さんは思い出したように俺の肩を叩いた。


「そうだそうだ、今度何か奢るって話だったよな。今から行くか?」


「え、」


あのLINEでの話のことだろうか。言葉に詰まる俺に、西出さんは考えるように唸った。


「…つっても、俺もそんな金ないんだよな。あ、廣田、なら俺ん家来るか。ビールと焼酎ならたくさん買いだめてるからあるけど」


勝手に話を進める西出さんに、俺は耐えきれなくなって笑った。西出さんは頭も良くて優しい人だけど、少し強引なところもある。早口で捲し立てる西出さんが面白くて笑っていると、西出さんが恥ずかしそうに頭を掻いた。


「うーん、金がないと決まらねぇなー。かと言って、金が貯まる日が来るかと言えば微妙だし…」


「俺は全然、いいですよ」


俺の言葉に、西出さんが驚いたような顔をした。


「お、マジ? いいのか?」


「はい。さっき店でスカッシュオレンジ飲んだんですけど、あんまり好きな味じゃなかったんで。お口直しで」


おー、そうかー、と楽しげに言う西出さんと歩きながら、オレンジの後味をゆっくりと思い出す。



甘酸っぱいスカッシュオレンジの味は、まだ俺には早過ぎたらしかった。










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