新世界を目前にして二の足を踏むハートの海賊団は、船長の意向でとある島に停泊していた。もうずいぶんになる。ローがこの島から動かない理由は、他の船員の疑問の的であった。が、そんな海の男達は知る由もない。彼らのキャプテンが、たった一人の女にイレ込んだが故の長期滞在であることを。
シャボンディ諸島でいつぞやに会った女と偶然にもその島で再会したことが話の始まりで、そして終わりだった。その島には無駄なまでにめかし込んだ妖艶な女達の集まる遊郭もひそかにに有名で、二億のルーキーともなれば顔も知られているだろうから、入るだけで女の方から媚びて、寄ってくることは容易に想像がつくのに。クルーに誘われても、ローは頑なに断っては、ひたすらその女の元へと通い詰めていた。
その日の夜もまた、ベッドの中で、一糸纏わぬ姿となった男女が世迷い(よまい)ごとへと興じていた。情事が終わればいつも寝るだけのローだが、ふと気まぐれに女に目を向けると、素肌の状態でアンニュイな表情を浮かべる姿をみとめ、片眉を上げた。


「どうした。沈みがちな顔して」
「……昔を思い出しただけだ」
「故郷に男でも置いてきたか?」
「故郷にそんな男はおらん」


さっさと寝ろ、と無下にされたが、彼女は気付いているだろうか。最後の言葉が暗に、故郷にはいないが、別のところには男がいると肯定しているということに。そして、懐古と言う割にはやけに辛そうに声を絞り出していることに。ローは惚れた女の隠し事を放置しておける程に聡い男ではなかった。
誰か心に決めた男がいるのかと詰め寄ると、彼女は失言に気付いて忌ま忌ましげに眉を寄せた。


「…生涯を、共にしようと約束をした者なら、いる」


言いにくそうだったが、顔を真っ赤に染めて視線を反らすうぶな反応を見せる。相当に愛している証拠だ。ローの脳裏に失恋の二文字が過ぎったが、無理に打ち消した。そうやすやすと受け入れられる程に潔くはない。


「ほぉ。どんな奴なんだよ」
「お前とは真逆の男だ、トラファルガー。気遣いができて、優しくて、何より誠実だ」
「で、アンタはそいつとどこまでイったんだ」


女は、そのデリカシーのなさが嫌いなんだとばかりにローを睨んだ。そして、溜め息混じりに"何もない"と呟いた。ますます訳が分からない、とローは首を傾げる。故郷にいるわけでもない男と婚約をし、だが何も行動が起きていないだなんて、そんな聖人君子のようなカップルがあるものか。どういうことだと尋ねると、女もここまで来れば、隠し立てするものもないと思ったのか、彼女自身の昔話を、ぽつりぽつりと紐解いて教えてくれた。

初恋、だったそうだ。
故郷にて命を救ってくれた海兵への恋慕の情。ありがちと言えばありがちかもしれない。危ないところを助けてもらった者に特別な感情を抱くのは、女ならよくあることだろう。
その後、彼女の方から約束を取り付けたのだそうだ。どちらかと言えば硬派なイメージがあったものだから、ローはこの時ばかりは驚きを見せた。


「それで?」
「彼は私の島に駐屯していた海兵、というわけではなかったから、すぐに支部に帰ってしまってな」


何度も手紙のやり取りをしたのだと言う。それを話す彼女の表情はとても幸せそうで、それでいて泣きそうな程に歪められていた。ローにはその矛盾の理由を分からないままでいたが、だが、と女の声のトーンが落ちたので思考を一旦止めた。


「ある日、突然にぷつりと音信が途絶えた」


寂しげに揺れるその瞳は、何一つ映してなどいなかった。


「……ちなみにその婚約っていつ頃の話だよ」「私が10の頃だから、もう12年前になるか」
「じゅ……っ!!」


目をひんむいた。10歳の頃にそんな約束をしたことにか、12年もその約束にこだわっていることにかは分からない。敢えて言うなら両方だ。10歳の少女が言った口約束など、彼女には失礼だが覚えている筈がないだろう。その後いくら手紙のやり取りをしていたとはいえ、相手が子供の言葉を鵜呑みにしているとは考えられない。だが、ローにはそんなことは言える筈もなかった。至極真剣で、そのくせ苦々しげな眼差しの彼女を前に、野暮な言葉など消え失せてしまった。


「そいつ、死んだのか?」
「まさか。顔も出回っているし、何度も新聞に載っている」
「なんだそりゃ」
「海賊に反旗を翻したんだ」


そこで、ローの眉が動いた。


「で?アンタは、黙って目の前から消えた野郎が優しいって?」
「…お前は、的確に傷付く言葉を吐くな」
「ありがてぇ話だ」


褒めてない、と女は目の下にシワを刻んだ。だが、ローは間違ったことを言ったつもりはなかった。彼女が何を言おうと、ローが聞いた限りの印象では、子供の真摯な思いを適当にあしらった挙げ句に何も告げずに手の届かぬところへと消えたくそ野郎だ。実際のその男がそんな非道な者ではないことくらい分かっている(彼女は男を見る目がある。彼女の言う通り誠実な男なのだろう)。


「お前がどう思おうと勝手だが、それを私に押し付けるな」
「アンタはそのガキの頃の約束に一生縛られるってのか?」
「…私が、25の時に、互いに決まった相手がいなければ契りを交わそうと約束だ」


だが、もともとは彼女の方が押し付けがましく取り付けた約束だ。自分の方から破るなんて考えられない。一応、あの時自分は本気だと伝えたし、今もその気持ちは変わっていない。しかし、彼は違う。彼はもう何にも縛られぬ海賊となったのだ。子供との口約束に拘束させたくない。そもそも彼が小さな島娘のことなど覚えているだろうか。


「守れない約束など、はじめから結びはしない」
「仮に、向こうにその気がなくてもか?」
「忘れている可能性もあるしな」
「アンタは、忘れようと思わねぇのかよ」


本当に、この男は的確に痛いところをついてくる。破る気はなかったし、忘れるなんてもっとありえなかった。約束を忘れるということは、今まで彼と結ばれたい一心で過ごしてきた日々や、他愛のない内容を綴った手紙、近況を教えてくれる返信、その他彼に思いを馳せた経験を全てなかったことにするのと同義だった。ありえない。むしろ、あってはならない。彼が守らないのは自由だ。忘れていても仕方のないこと。しかし、自分が覚えているのは義務でもある。別に、25歳になって迎えに来なかったからと彼を責める気などさらさらない。だが、埋めてきた淋しさを本当に消してしまうのは恐ろしくてできやしなかった。それをするには、少し歳を取りすぎていた。


「好きだ。…彼が好きだ」
「その割には、泣きそうだな」
「失恋、かな。一方的な片想いも甚だしいが……」


ふ、と笑った女は儚げで、しかし今までにローが見たどんな彼女よりも美しいと思った。その衝動に突き動かされたところもあるだろう。ローは彼女を狂おしげに抱きしめたのだ。


「……私の話を聞いていたか?」
「俺も、つい今しがたフラれたんだよ。相手しろ」
「横暴だな」
「浮気相手にしとくには勿体ねぇ色男捕まえといて何言いやがる」「浮気、か……」


まだ何一つ始まっていないどころか、三年後には始まりもせずに消えていそうなものに浮気というものが成立するのか疑問だが、彼女は口を閉ざした。ローが、自分の彼への恋心を認めてくれたことが嬉しかった。だからだ。近付く唇を何ら抵抗なく目を閉じて受け入れたのは。女は言い聞かせる。これは浮気で、一時の感情であるから、鞍替えではないのだ、と。どこにいれのかもしれない仮の婚約者へ、そして、流されてしまいそうな自分自身へ。




隣に女が眠るベッドの中で、ローは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。


「ドレーク屋、か……」


己と同じ億越えルーキーと括られる、ローよりも僅かばかり高額な賞金首。ローの憶測に間違いがなければ、彼女の片想いの相手はこの男だ。海軍から離反して武器を取った者は少なくない。だが、今なお生きていて、その首に賞金がかかっていて、頻繁に世を騒がせている裏切り者は多くない。むしろ、ローには彼しか思い当たる節がなかった。まさか、シャボンディ諸島で出会ったあの男が、そんな不貞をはたらく罪深い奴だったとは。
機嫌の悪かった顔が、いつしか悪党そのものの面構えに変わっていた。

あぁ、彼女が25になるよりも前にあの男を殺してしまおうか。若気の至りと、惚れた女を泣かせた罪を武器に、成り上がる為という、海賊ならではの正義感を振りかざして。適当な理屈をつける必要もない。もとは敵だ。殺す算段などなかったが、それはおいおい考えるとしよう。今は、寒さに震える彼女の肢体を腕に収めることである程度の仕返しっいうことにした。
何をしたところで彼女がローを選ぶことはないと分かっていても、である。



馬鹿げたシナリオをなぞる
(奴に出会う。殺す。あらすじなんてそれで十分だろう)



『ごめんなさい。』さまへ捧げます。
素晴らしい企画に参加させていただき、本当にありがとうございました。





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