今日は朝から嫌な感じがしていた。胸騒ぎと言う類のものではなく、ただなんとなく、おれにとって良くないことが起るだろうと言う感覚。朝食の時に、こそこそ動き回っていたエースとサッチに気付けなかったことが悔やまれる。





 穏やかな気候に、特に何もすることがなくおれはただふらふらと船縁を歩いていた。この船の大きさは散歩にはちょうどいい。
 船を一周し、あと少しで甲板に出ると言う所でおれは自隊の隊員を見かけた。一か所で奇妙なステップを踏んでいるのは、何か焦っているのか動揺しているのだと思う。ワタワタという効果音が似合うその後ろ姿に、ゆるりと口角が上がる。

「なにやってんだい」

 他意はなく声を掛けたが、振り返る様は恐る恐ると言った風だった。おれはこいつにそんなに恐がられている覚えはないのだが、いきなり声を掛けたからだろうか。いや、気配を消していたわけでもないのだから気付いても良いはずだ。
 しかし振り向いた顔を見れば、そこに気を配る余裕がなかったのだとわかる――これが敵襲だったら一大事ではあるが。今度は効果音などではなく、その口からアワアワと声がした。

「あ、その……えとですね、あの」
「名前。深呼吸」

 ひとまず落ち着くことを提案してみた。素直にスーハースーハーと呼吸を繰り返し、よしっと気合いを入れておれの目を見ると……元に戻ってしまった。おれは決して怒っていない。心も穏やかだ。自分でも威圧的な表情でないことはわかるのだが、彼女は一体全体どうしたのだろうか。おれは無意識に何かしてしまっているのだろうか。

「あ、の……マルコ隊長」
「ん?なんだい」

 ここ最近名前との接触を振り返っていると声を掛けられた。そして自分の後ろを指差し――おれにはその指の先に何があるか見えていないのだが――震える声で言った。

「マルコ隊長の、カツラが」
「…………は?」

 名前の言っていることが理解できなかった。そして言い逃げして言った名前の行動も理解できなかった。はっきりと言っておきたいのは、おれはカツラなんか付けていないということだ。
 とにかく、名前が指差していた床に視線を向けてみた。

「…………」

 そこには綺麗に剥かれた、シュガースポットもなくそれはそれは美しい黄色をしたバナナの皮が落ちていた。
 おれは全力で名前の後を追った。


「――で、マルコの反応はどうだった?」
「どうもうこうも、ここ怖くて逃げてきましたっ」
「なにィ? やっぱ陰で見てりゃよかったな」
「いやそれじゃ絶対バレるって」
「もうなんで私が……エース隊長とサッチ隊長が自分でやれば良かったじゃないですか!!」
「おれ達がやったらマルコ怒るだろ」
「私でも怒られます!」
「いやー、名前は大丈夫だって」

「で。エースとサッチが首謀者ってことで、おれは理解していいんだねい?」

 今まで丸まっていた背が針金を入れたように真っ直ぐになる三人。名前の後ろに立っている為に彼女の表情は見えないが、正面に座る二人の表情は容易に伺える。お前ら二人は誤魔化し方が下手糞だよい。エースなんて冷や汗ダラダラじゃねェか。

 おれは名前を追って一目散に食堂へとやってきた。食堂の隅にあるテーブルで、名前と馬鹿二人が顔を寄せ合い話し合っている姿が見えた時、おれは今朝感じたものの原因に辿り着いたと思った。
 熱くなっていた頭は冷静になり、ゆっくりと三人の元へ足を進めた。間近まで来ても誰もおれの気配に気付かず、それでも隊長かと、おれは馬鹿二人に心の内で溜息をついた。

「名前に一応聞いとくが、お前は無理矢理実行犯にさせられたんだな?」
「ああの、あの、その」
「エース、サッチ、どうなんだい」
「まったくもってその通りです。名前は悪くありません」

 口を揃えて自白するエースとサッチ。その額はテーブルに擦りつけられている。ああ、サッチはリーゼントがテーブルに着くか着かないかぐらいか。おれはもう隠すのも億劫になり、息を一つ吐き出した。

「……名前」
 
 再度他意はなく普段通りに声を掛けたのだが、怒られると思ったのだろうか、ビクリと肩が揺れた。

「マルコ隊長、すみませんでした」
「……顔上げろい。名前は悪くねェんだろい」

 椅子から立ち上がり90度に折られた腰を戻すように促す。馬鹿に付き合わされただけだと言うのに、当人達よりも謝罪の意が感じられる。こういう所に付け込まれたのだろうと思うと、また溜息を吐きたくなった。

「でも」
「……」
「マルコ隊長」
「良いって言ってるんだい。それよりおれはエースとサッチから話が聞きてェんだ。お前は部屋に戻ってろい」

 説教してほしいんなら後で行ってやるからよい、と添えれば、結構です、とまた逃げるように去って行った。その姿に笑いを噛み殺しながら、まだ終わっていない用事を済ませようと、反対の扉から逃げ出ようとする二人に声を掛けた。

「で、どういうつもりだい?」
「いや、まー……な!」
「な!」
「…………」
「すいませんでしたっ!!」

 これまた綺麗にハモった謝罪の言葉。今日だけではなく、もう何度聞いているかわからない。反省と言うものを知らないのかこいつらは。

「てめェらの遊びに名前を巻き込むんじゃねェよい。そもそもおれで遊ぶな」
「いや、名前ならマルコに怒られないだろうって思って」
「おう。お前名前に甘いからなー」
「あ?」
「無意識なのか」
「今だって名前にはお咎めなしだろー? まー主犯はおれ達だけど名前だって実行犯だぜ?」
「これはな、マルコが名前に甘いかどうかを試す実験でもあったんだ」
「案の定だったなー」
「名前だけズリー」
「てめェらは反省ってもんを覚えやがれ!!」

 二発分の鈍い音を鳴らして食堂を後にする。





 エースやサッチにはああ言われたが、特別名前を甘やかしているつもりはない。サッチが言うように無意識にしているのだとしたら、次からは気をつけなければいけない。その方法はわからないが。

 とりあえずだ。
 先ほど名前に何も言えなかったのは、不安で揺れた睫毛に欲情したからだとは口が裂けても言えない。

「おれもまだまだだねい」






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