ある不自由における幸福






 好きだから付き合って、好きだからキスをして、好きだからセックスをする。恋人と恋人の心身を繋げる理屈は、それくらいストレートで分かりやすいものであり、また、それで良いのだと思っていたのだが、そう考える跡部景吾のパートナー、忍足侑士に限ってはそうではないらしかった。
 好きだから付き合う、までの段階は、――男同士という葛藤に始まりまあ紆余曲折ありながらも、実のところは。告白して互いに同じ気持ちだと確かめあえば、なら付き合うかという言葉を引き出し同意に至るまではとてもスムーズだったのだ。好き同士が恋人という関係にステップアップするのは性別関係なく当然のことであるし、その時は戸惑う理由もなかったから、尚のこと。
 当人たちは、中学三年生にしては精神が早熟していたこともあって、表面上では成る丈冷静さを取り繕っていたようだが、両想いで結ばれるだなんて本来、諸手を挙げて喜んで良い案件だ。持ち前の高い高いプライドがそれを許しはしなかったけれど、「何や、恥ずかしいな」と照れ臭そうに言われた際、跡部は乾く一途を辿っていたからからの喉から一言、震え気味の声で「……おう」としか引っ張り出せなかったくらいには、頭が回っていなかったから、胸中では随喜していたのだろうと窺える。(その後、しおらしい跡部に思わず噴き出してしまった忍足に対しては、きちんと華麗なる回し蹴りを入れている)
 こうして、最初の壁を無事乗り越えた彼らだったが、それ以降の、キス、セックスも、順当にこなしていた。

 ――始めの内は。


 というのも、付き合ってから一か月ほど経った頃だったか。それまでは本当に、順調に良好な関係を紡いでいった二人だったが、ある日を境に、忍足が急に跡部を避け――跡部からすれば不可解で不義理な言動を忍足が取り始めた。これが、「始めの内は」などという悲しい補足を付けねばならなくなった、件発生の発端である。
 一番初めに違和感を得たのは、いつもなら跡部が部長として日誌を書き終えるのを待っていたくせに、「お疲れさん」と言い残して向日達と帰るようになったところだ。いつもなら、跡部の邪魔にならない、機嫌を損ねない程度に抱き付いたり頬にキスをしたりとして時間を潰し、書き終われば、部室から校門前に泊まる跡部の送迎車までという短い距離の間、恭しく彼の鞄一式を持ってやったりなんてしていたのに。それが突然無くなれば、跡部も驚かざるを得ない。
 更に、一日だけならまだしも、何も理由を告げないまま一週間も先に帰られてしまっては、誰だって怪訝に思うし、無論不服でもある。
 だが、それだけならまだ、停滞期――所謂マンネリだとかそもそも今迄が過剰だったのかもしれない、とか考えて、不承不承といった気持ちではあるが、内々に不満を処理していたかもしれない。しかし、忍足はその日を境に急速に――跡部と距離を取り始めたのだ。余罪ざくざく、跡部に偶然ぶつかることさえ避けようとする姿には、流石に跡部も傷付いた、というよりは酷く立腹した。
 相手の恋情が薄れ、故にどんどん蔑ろにされているのなら多少悲しく思うのだろうが、忍足のそれは、何も言わないくせに故意に離れようと努めている装いだった。と、少なくとも跡部の鋭い洞察力ははそう見抜いていたから、尚更彼の怒りを煽っていた。それでいて、明らかに彼を気にする目線は送ってくるようで。そして、振り向けばぱっと目を逸らす、何でもない、と言いたげな苛立たしいオーラを放つ。
 まるで、何者かに「跡部に近寄るな」とでも言い付けられているみたいだった。

 凡その推察が出来たのは、忍足がそんな態度になってから三日目のことだった――だから跡部は、一先ず、暫くは様子見を、と決めて、そこそこ、我慢していたのだ。恋人になってからはたった一カ月でも、二年半も忍足と同じ学園で、それなりに密接な仲で生活しているのだ。度々要らぬことに思考を及ばせてしまったり深く考え込んでしまう彼の面倒臭い性格は、友人としても恋人としても承知しているつもりだ。(とすると、時間を与えてしまえば余計にその『間違った』考えを促進させてしまうのだが――この時の跡部は気付けなかった)

 そして、一週間。
 どうにも悪くなる気配しかない、エスカレートしていく忍足の応対。
 本日もさっさと帰っていた彼に、――二百人の部員を統べる甲斐甲斐しさが関係あるかは分からないが――跡部景吾は、空よりも遠くを見据えていそうな青い双眸をかっと見開かせ、とある決断をした。
 ――俺がどうにかしてやるか、と。


 思い立ってから行動するまでは驚くほど早かった。部誌を書き終えた跡部は軽々と腰をあげ、早足で迎えの車に乗り込めば――家に帰るでなく、あの問題児の住所まで送れと命令する。今日は帰らないという宣言までした彼は非常に男前な面構えであったと運転手は後に語る。


「おい、開けろ」
 と声にしつつ、メールも送り、忍足の下宿先のインターフォンを鳴らす。おまけに携帯にも電話を掛けたし靴のつま先で傷つけない程度に扉をノックする。何て器用で能率的な脅しか、突然畳み掛けるようにやってきた跡部の奇襲に敗北したのか、一分以内には、忍足は扉を開けた。
「よう、忍足。まともに顔を見るのは何日ぶりだ、あーん?」
「……や、あの、」
「分かるだろうが、話し合いをしにきた」
 という割りには高圧的な口調と視線で忍足を諭す。この跡部に逆らえる者なんてそうそういない。頑として勝とうと思わなければ、反論してみたところで論破されるか否応無しに従わされるかという敗北の結末ばかりが待っている、そんな未来が透けてみえる。
「……あがって」
 それは忍足とて例に漏れず。負け戦だと悟ると、彼は渋々ぐっと戸を押して、跡部を招き入れた。鬱々とした、暗い表情をする癖に家には入れる辺り、希望が仄かにちらついた。どちらにも、だ。
 跡部は靴を脱ぐと、忍足の腕を掴み、ぐいぐい引っ張りワンルームの中へ入った。そこには彼らしい、家具も私物も少ない殺風景が八畳少々が広がっている。この、物でも人でもあまり執着心が感じられないところが、そう易々と解することは出来ぬ忍足の魅力であり、そんな彼が自分と付き合う選択をしたことに優越感のような感覚を、ひっそりと味わう。そしてその選択は、好き同士なら極自然な流れとはいえ、忍足にとって決して軽い気持ちで出来るものではないのだとも知っているから、跡部はいつもの不遜で横柄な振る舞いで彼に迫れるのだ。
 清潔に保たれた簡素なベッドにどん、と腰を落とすと、忍足もつられて隣に座った。

「――で、ここ一週間の態度はなんだ?」
 簡潔且つ直球な台詞、複雑に沈思してしまう性格の忍足にはがつんと効いたようで、彼の肩がびくりと跳ねる。誤魔化す文章を考える暇など与えてやるものか、と、今度はきっと睨みつけた。素直に言え、吐けと跡部の眼力が訴える、それだけで相手の脳を掌握してしまう。一瞬でもその瞳を見たなら、もう逃れられない。跡部は正々堂々として卑怯で、己の目の「ずるさ」を把握している。
 再び敗した忍足が、おずおずと重たい口を開いた。
「……避けて、すまんかった」
「ん、――で、理由は?」
「理由、は……」と言うと、しどろもどろに、忍足の眼が宙を泳ぎそうになったので跡部はすかさず「忍足、」と名を呼んで窘めた。此処まで来たのだ、逃しはしない。う、と苦虫を噛み潰したような表情で唸る恋人は、自分に完全に勝ち目がないことを悟ると、漸く、本音を吐露するに至った。
 それでも、依然として忍足が非常に言い難そうな顔をしているのは、彼が中々本気で人と衝突したことがない、経験不足だからだ、と跡部は思っていた。
「自分、この前、……セックスした次の日の部活中に、腰痛い、って呟いたん、覚えとる?」
「はっ……はあ?――い、言った、かも、しれねぇ……が?」
 だから、予期していなかった、性的なことに関する問いに思わず怯んだ。不意に襲われた羞恥に頬が薄らと赤く染まる、が、跡部は向き合うと決めてきたのだから、恥ずかしさを堪えて、彼の言い分を聞いた。
 忍足は述べる。
「俺は、な、跡部のこと、好きやけど、でも、跡部がテニスしとる姿も、好きや」
 更に、続けて。

「 俺は、跡部が、俺のせいで不利益を被るんは、嫌、や。お前は、いつもの堂々として不遜な態度で威張ってて欲しいし、それを支持する奴らに囲まれて、自由にしとる姿を見るんが、ほんまに好き、で――やから」

 ――と、此処まで、拙い話し方による彼の主張聞いたところで、ふと、跡部はある感覚を思い出し。そして、その答えというか――不明瞭なものの正体を知ったのだった。

『まるで、何者かに「跡部に近寄るな」とでも言い付けられているみたいだった』

 ――おいおい、何者か、って、俺自身、かよ。
 否、勝手にそんな理想を掲げ追い求めたのは忍足の方であるが――少なくとも、そんな尊い理想とやらを持たせたのは、皮肉にも、恋愛関係以前から、それこそ出会った時から積み上げてきた「跡部景吾」の影響力であるようで。自分の敵は自分、だなんてよく言うけれど、まさかその理論が此処で適用されるとは思っていなかった跡部は、当然、面喰らっている真っ最中だが、彼の利口な脳は忍足の言い分の解析を続け、自分の分かる道理に組み込んだ。
 詮ずるところ、決定的な言葉にしないのは忍足なりの配慮なのかもしれないが、問題の根本である「避け続けた理由」というのは、跡部が不利益を被っているからで、その不利益というのは……忍足とする性的な彼是に付属する身体的被害、のこと、らしい。
 要約するに、跡部を不自由にしてしまう自分は近寄らない方が良い、という極論――。
  

「……馬鹿野郎」

 ぽつりと零れた四文字は、思慮なしに言ってしまった、跡部の率直な感想であり、忍足に対する正当な評価である。
 跡部にすれば、「度々要らぬことに思考を及ばせてしまったり深く考え込んでしまう彼の面倒臭い性格」を考慮したとしても、本当にくだらないことであった。腰を痛めたのは確かに事実ではあるが、それに囚われて動きが格段に鈍くなったわけでもないし。若さもあってか、一日も経てば治る些細な痛みだ。
 つまり、不利益を被ったというほどのことではなかったし、そもそもセックス以外で身体が疲労することはまず無いのに、接触そのものを恐れるだなんて誰から見ても極端すぎるだろう――だのに、そんなことに延々と思考を巡らし、この男が頭を悩ませている姿とその事実は――真面目に話し合いをするつもりだったにも関わらず、結構立腹していた筈だったのに、思わず笑ってしまいそうになるくらいだ。また、何より、散々避けてくれたくせに、好きだ好きだと必死に前提を述べるところに、愛おしさを覚えずにはいられない。


 好きだから付き合って、好きだからキスをして、好きだからセックスをする。
 その理屈を脅かそうとしたものは、全く以て要らぬ心配で徒労であるのだと、この恋人に教えてやることにした。

 跡部は忍足の目をまっすぐ見やって、自論を説いた。愉し気な表情を隠すことなく。

「なあ、お前が、本当にそれだけを願って已まないってんなら、俺を捨てることだな」
「す、捨てる、て、そんな、突飛した――」
「俺様はそんなものに行動を遮られるほど軟じゃねえ、とでも言いたいところだが――忍足、俺はな、もうとっくに、お前のせいで、お前を好きなせいでこんなにも不自由だ。そして俺は、」

  目を点にして驚く奴の胸ぐらを掴んで引き寄せ、至近距離、艶やかな吐息を含ませて宣言する。

「――それがとても、心地良い」

 そして、有無を言わさず、口付けてやった。
 久々のキスは、無意識にもっていたらしい欲求を擽って、互いの唇に強く惹かれ、吸い付く。忍足の手が胸にあてがわれたが、突き放すには優しすぎる力しか込められていない。
 俺は、この馬鹿野郎が好きなのだ。理解に苦しむ視点をお持ちで、そのせいで貴重な時間を割くことになってしまったけれど、そんなところを含めて、纏めて――甘やかしてやりたい。
 自分に惚れ込んでいると暴露させられた、たいそう難儀なこの男を。

「っ、ま、ちぃや、跡部、自分、話し合いしにきたって言うて――」

「待たない」
 形だけの抵抗、虚勢は今迄通り即刻切り捨ててやる。そういえば話し合いに来たと言ったのは自分だったか――まあ良いだろう、どうでも。この場合、言葉よりも行為をしてしまった方が、余程説得力があるのだから。決して、一週間ぶりのキスがくれる幸福感に溺れたわけでは、ない。

 それに、この男だって、我儘な物言いに呆れたような表情をするくせに、手は俺のワイシャツのボタンへと伸びているのだ。ほら、同意だ、同意。万々歳じゃねえの――。



 跡部はくつくつと上機嫌に笑いつつ、忍足とベッドに雪崩れ込んだ。「自分、ほんと勝手よな……」という声には、お互い様だろ?と言い返して。結局、痺れを切らして、彼がそっと齎してくれる前戯と胸を焦がすような快感に身を委ねることにするのが得策なのだ、という解答を導き出すのは、「好きだから」仕方ないだろう――?



 (間隙)




 ――なんてされて、堕ちない人間がいるものなら見てみたい!

「……馬鹿野郎は、そっちやで」そう呟くと、忍足は項垂れながら気の抜けた溜め息を漏らし、ぎゅ、と両膝を抱えた。
 物の見事に押し負かされた、抱いてしまった、彼のロジックに呑まれた。結構惨めな姿を晒したつもりだったが、変わらず、どころかより一層、自分を諦めず好いてくれるところに――また少し、いやかなり、愛おしが込み上げる。悔しい、というよりは、欲に忠実な中学三年生男子らしい自分にほとほと呆れたものだが、一週間ぶりのセックスが気持ちよかったことは否定しようがない。とはいえ、年相応といえば聞こえは良いのだが、日々理性の方が強く働く忍足にとっては、中々屈辱的な展開ではあったのだ。たった一週間で牙城陥落、即刻降伏。恥辱、けれど、――喜ばしい気持ちの方が、強いところがまた、恥辱である。

「……跡部」

 強引なやり口ではあったものの、見事に忍足を説き伏せた少年は、すぐ隣で満足気に眠りこけている。白いスーツの上に散らばるように広がる彼の金糸の一束をそっと掴むと、忍足はそれを指で弄った。

「こない惚れさせて、何がしたいんや、お前は」

 愚痴を洩らすような口調ではあるが、その不満は贅沢を極めた――単なる惚気、だ。



 ところで。

『俺は、跡部が、俺のせいで不利益を被るんは、嫌、や。お前は、いつもの堂々として不遜な態度でえばってて欲しいし、それを支持する奴らに囲まれて、自由にしとる姿を見るんが、ほんまに好き、で』

 これは粉うことなき忍足の本音であり、彼が「腰が痛い」と何の気なしに言ったのを聞いた時は、自分が彼を駄目にしたのかと焦燥感に塗れまくった。――だが、それが避けた理由の全てかと問われれば、違う、と本人は自覚している。彼が自らを推測するに、忍足という人間は深く他人と関わってきたことが無い為、そういった間柄になれた人に対して、自分がどれ程の欲を持っているのか、分からない、未知数だ、というのだ。少なくとも、跡部と晴れて付き合い始めてから、彼に対して度々、無意識によからぬことを口走ってしまいそうになる、という体験をしている。その都度寸でのところでハッと覚醒し、未遂で済ましてきたけのだれど。

 忍足は、そんな自分が恐ろしい、と思っていた。初めて誰とでも卒なく付き合えるコミュニケーション能力とセットで付いてきた一定以上自分の領域に踏み込ませない性質を、恨んだ。

 だから、今回跡部に吐露した部分は、単に己の本心を伝えたという役目だけではなく、自分にすらそれが全てだと言い聞かし、騙そうとしていたところもあったのである。

 きっと、跡部でも未だ気付いていないだろう。忍足がその身に抱える欲望は、彼にとって優しいものばかりではないのかもしれないことには。



 只、今の時点で、跡部は自分が好きで、この面倒臭い性分をそこそこ分かった上で付き合ってくれているということは自明であるのだから。


「――ほんまに、不自由でも心地良いんか、試してもええよな」
 お前が言い出したことやしな?と念押ししてみるが、返事はない。すっかり安心し切った表情で、素晴らしい美貌を惜し気なく晒して眠る憎らしい恋人。

 無防備に開かれた可愛い額にキスを一つ落とすと、忍足はベッドをそっと降りて、タンスの奥から荷造り用のPPロープを取り出してきた――何に使うとは、言わないけれど。





End.


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忍跡週間(4/5〜4/10)遅刻組でした。そもそも組といえるほどいたのか存じ上げませんが笑
おしあといいものですね。




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