ジロー+跡部





 ――それから跡部のドイツ留学が決まったのは、合宿が終わってから直ぐのことだった。元から、海外に行くかどうか悩んでいたのは、彼が部室に置き忘れてしまった一つの冊子から、薄々勘付いていた。駅前に沢山並べられている旅行の案内に似たそれだったけれども、テニスコートの写真から直ぐに想像がついた。
 跡部は行ってしまう。遠くへ行ってしまう。近くには、居られない。そう思うと、引き留めたくて仕方なかったし、行くなよ、なんて弱音も吐きそうになった。何度も吐きそうになった。跡部が笑ったり、真面目な顔をしたり、誰かを叱ったり、そんな色んな表情を見る度に、胸がざわつき、喉は甚く渇いた。何時だって自分達の味方であり続けたこの人が居なくなることの寂しさを、その破壊力を想像する度に、打ち震えた。
 でも、その都度芥川は、言っちゃいけない、と己を律した。どこでも眠るくらい欲に忠実に生きた少年が、必死に理性を働かせて、口が滑らぬよう唇を噛み締めた。
 跡部はテニスが好きなんだ。俺達にもその喜びを教えてくれた。だから、誰よりもテニスを愛していた彼が、テニスの為に外国へ行くと言うのなら、同じテニス部員として、応援してあげないと、いけない。引き留めては駄目、だ。せめて駄々を捏ねず、向こうでも元気で、と見送るんだ、と。後、週三くらいの頻度で電話に出てくれ、くらいの可愛い我儘を添えるくらいは許されるだろう――と。日に日に近づいてくる別れの為に、芥川はサヨナラの練習を胸中で繰り返した。

 そんな日々の狭間で、あ、と。
 芥川は思い付きで先に一つ、我儘を申し上げた。

「ねえ、タイムカプセル埋めようよ」
 
 幼稚な案だが、皆、跡部との別れを惜しんでいたから、喜んで賛成してくれた。跡部は苦笑していたが、それでも「正レギュラーで埋めるの!」と念押しすれば、しょうがねぇな、と付き合ってくれることになった。
 跡部の承諾を得ると、早速しようということになって、冬休み初日、彼らは氷帝テニス部の部室の裏に集まり、思い思いの物を持ち寄った。皆、何だかんだ恥ずかしがって、誰一人として埋める物をそのままの状態でもってくることは無かった。それぞれ袋やらなんやらで覆っていて、中身を隠し、見るのは十年後だから、と牽制しあった。
 やいやい言い合いながらも、無事埋め終えた時、芥川は途轍もない安堵に包まれた。
 ――約束を、得たからだ。
 掘り起こすのは十年後、その時再び集まろう――そんな確約があれば、再び跡部と会うことが出来る。芥川は、タイムカプセルを埋める掘り起こすそのことよりも、「再会」、只それを願い、そう出来る確証を欲しがった。その効力は絶対とは言い切れないけれども、しかし、少なくとも一緒にいた三年間、跡部は約束は守る人だったから。だから、来てくれるだろうと、また会えるのだと、芥川は安心した。随分と遠い未来に向けての約束ではあったけれども。


 ――だなんて、そう思えたのも束の間、だった。もう一度会えるなら、それで、と思っていたくせに、ほんの少し欲が出て、芥川は、タイムカプセルを埋めた翌日早朝、一人氷帝に赴いた。盗み見るためだ。別に、みんなが何を入れたのかは、十年後の楽しみで良いし、あまり無粋なことをするつもりはない。けれど、跡部が託したものだけは、どうしても知りたくなってしまったのだ。
 考えた途端、芥川は気になって気になって、彼にしては珍しく夜も眠れないほどに、心が落ち着かなかった。熱い展開をみせた漫画の週刊誌の次号ならば、辛うじて七日間待つことは出来るが、基本、抑制の効かない少年であったから、三千六百五十余日なんて、待てる筈が無かったのだ。

「……悪い、みんな。ごめんね、跡部」
 そう口では言いながらも、彼は止められなかったし、止める気も無かった。
 芥川は着くと早々に深く埋めたアレを取り出す為、シャベルの先を地に刺した。幸い、掘ったばかりの土は柔らかかったから、彼一人でも充分こなせる作業だった。
 ざく、ざくり、と単調な仕事を繰り返し続け、十数分くらい粘ったところで、彼のシャベルは宝物を叩いた。先日見たばかりの其れは、無論少しも色褪せていない。芥川は罪悪感に苛まれながらも、それを凌駕する好奇心で、タイムカプセルを開封した。
 他の友人たちの分は、本当に中身を覗いたりはしなかった。ただ一つ、跡部のだけは許して、と希いつつ、彼が昨日持っていた箱の形状を思い出しては、それを手に取った。
 跡部の物は、お歳暮に使われそうな形をした、直方体だ。持ってみると、中で何かが転がるように動いた。重みのあるそれの正体に覚えはあったが、明確に言葉にする前に、蓋にそっと両手を掛け、かたん。跡部の思い入れを外に晒した。
「――へ?」
 芥川は中身を見て、先ず、とぼけた声をあげた。理解出来ない――したくない、そんな気持ちが込められた、声色で。次に、見開かれた目を何度も開いては閉じ、瞬かせ、それからじいっと、穴が開くほど箱に視線を注いだ。眼力で目線の先にある物を消せたら、とかいう馬鹿げた思念も少しはあったかもしれない。
「――やだ」
 続いて出たのは、拒絶だった。しかも一度ならず何度も、やだ、嫌だ、認めない、と、空気を多く含んだ、震えた声で拒み続けた。否定ばかりが先行する口は、己の理解力すら壊せたらなんて願望すら洩らしそうになった。しかし、思考は少しずつ、追いつこうとする。分かろうとする。
「や、だ、やだ、やだよ、跡部。……っ行かない、で」
 そうして発したのは、彼を引き留める言葉だった。あれだけ予行演習したサヨナラは、その努力は一気に水泡に帰し、それを受け止めた水は芥川の身体を遡り、目に到達した。
 じわじわと滲みだす視界に映る、黄色。それと、ぼやけた写真。
「そんな、そんな下らねぇモンの為になんか、行くなよ……!」
 最後に零れたのは、懇願と、涙。それらは物語る、跡部景吾が抱えた寂しい現実を、真実を。

 芥川の目に晒されていたのは、ぼろぼろになったテニスボールと、いつか見た留学案内の雑誌だった。



 だから、だから開けてはならなかったのだ。今更だが、これは、歴とした「タイムカプセル」なのだから。十年後あけて、実はこんなもの入れてたんだぜ、と言うための物なのだから。また、人に寄っては――十年の隔たりを挟むことで漸く、己の心に折り合いがつけられる、その為の道具であったのだから。
 跡部は恐らく、後者の為に使っていた。渋々付き合ってくれた素振りをしていたくせに、一緒に埋めた仲間の誰よりも、跡部にとっては「タイムカプセル」だった。
 テニスボールだけならまだしも、留学のことが書かれた雑誌を此処に残した、ということから、嫌な推測が、しかも確信染みている仮説が、芥川に突き付けられる。
 ドイツ留学は、テニスの為じゃない。そんな可能性が、小さな身体の中で肥大して彼を苦しめる。膨らむ不安に耐え切れず、身体がぐじゃぐじゃに弾け飛んでしまいそうになった。そんな痛みの中、芥川は、血相を変えて全力疾走で――跡部邸へと向かってしまった。
 問い質したい、責めたい、そして何より、思い留まらせたい。芥川は許せなかった。テニスの為以外で自分達を置いていく跡部なんて、認めたがらなかった。

 しかし、持てる全ての語彙を用いて跡部の良心を呵責し、咎めてやろうと思った芥川だったが、結局のところ、微塵も達成されないままに終わった。それは、迷惑も承知の上でインターフォンを頻りに鳴らし、驚きながら応対したメイドに跡部を出せ!と怒鳴りつけた芥川の前に、現れた跡部はぎゅっと抱き寄せからだった。
「よーしよし」なんて動物でもあやすように頭を撫でられて、芥川の脳内は真っ白に染め上げられてしまった。身体を苛んでいた絶望的な怒りも悲しみも全て塗り潰され、表現すべき感情を失くして、ただ、彼の腕の中に納まってしまった。呆然とする彼に、極めつけに、酷く優しい声で「取り敢えず茶でも飲んで落ち着け。あがっていけよ」なんて言って、跡部は笑った。抱懐しているであろう辛さなど少しも感じさせない、清々しい程美しい笑みだった。

 みんな、なあみんな、跡部、跡部さ、テニスやめちまうかもしれねぇよ?――そう打ち明けてしまいたくなっても、彼の大事なタイムカプセルをこれ以上暴くことは、芥川だけでない、他の誰にも出来やしないことだった。皆に本当のことを告げず、独りドイツへ渡ると決めた彼を、虐げるなんて、彼を愛した人間に出来る技ではなかった。

 芥川は嘯くことにした。親身になって心配してくれた跡部には「悪夢をみたんだ」と誤魔化して、一人、再び氷帝を訪ねた。そして、何事も無かったかのように、あのタイムカプセルを埋め直した。十年間という長い歳月――きっと独りで抱えていくつもりだったろう真実を、俺だけは知っていてあげる、と。





 おしまい

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 別名義?で支部にあげている御話
 


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