塚+跡

 

※ウィンブルドン優勝した手塚くんとスポンサーになった跡部くんの捏造話。







 我らが誇るテニスプレイヤー、手塚国光がウィンブルドンで見事優勝を獲得してから早くも一週間が過ぎようとしていた。連日連夜、手塚の優勝を讃える為に沢山の友人・知人がイギリスにいる彼の元を訪れては、盛大に祝いつつ酒を呑み明かしていた。多くの者に愛される手塚の姿を見るのも悪くねぇな、と跡部景吾はそれをいつも、少し離れた場所から見守っていた。
 ところで、こうも毎晩呑んでいるが、手塚は一向に酒に弱かった。日本にいた中学時代の同級生だけでなく、後輩にもやんややんやと酒を注がれ、「俺らからの餞別ですから!」といった意味合いの台詞を、それこそ何十パターンと聞き飽きるくらい耳にしていた。祝われているとだけあって悪い気はしないものだから、手塚も、有難う、と少しだけ笑んで、それを頂いている(とはいえこの歳になっても相変わらず笑顔を作るのが下手くそな彼だから、跡部以外にはそれを読み取れるものはこの場にいない) が、三杯も飲み干せば目がすわり、寡黙に拍車がかかるため、周囲が一方的に話しかけ、そのうち彼らだけで盛り上がるようになる。手塚の為にと集ってはいるが、其処で偶然何年振りかに再会した者共も決して珍しくは無いから、そのことに話が弾むのだろう。あまり喋らない手塚は、やがて置いてけぼりのような形になって、隅っこへと移動し喧噪を眺めるのだ。
 だが、夜も更けてくると「もう遅いから寝ろ」「人の家だぞ、もう少し行儀よくしないか」と――何時までも部長気取りなのか、ただの堅物なのか、こんな祝いの席ですら手塚は元部員や今の好敵手を叱ろうとしていた。しかし、如何せん口が重いようで、碌に何も言えていないのが現状だ。言えたとしても、それはあまりに小声で、拾ってくれる者はほぼ居ないと云っていい。暫くすると、諦めがついたのか、ふう、と一つ溜め息を零してから、目の前の気泡が抜けたビールをぐいっと飲み干して、死んだように横になる。

 そんな生活が、もう一週間も続いている。懲りずに同じことを繰り返す手塚は、午後十時過ぎ、騒がしさに屈するがまま、ビールジョッキへと手を伸ばしていた。それを、同じように一週間、見兼ねていた跡部が彼の許へ訪れて、すっと制した。
「手塚、そこらへんにしておけ」
 上から振ってきた声に、手塚が顔を上げる。眼鏡は掛けていたが、酔いが回っているのか、反応は些か鈍かった。
「……ん?跡部、か」 
「ああ、そうだ。毎日ご苦労なこったな、連日大騒ぎでよ」
「……いや、いい。楽しいからな」
 酒で筋肉が弛緩しているからか、手塚は珍しく少し分かりやすい笑みを見せた。
「……そうか。なら、いいんだがよ」跡部もまた、僅かに照れ臭そうに笑んだ。流れるように隣に着席すると、手塚のビールジョッキの残りを代わりに呑んでやる。半分以上あった黄金色だったが、ものの数秒で姿を消した。
 空になったジョッキをぼうっと見ながら、手塚は依然として重たげな口をゆるゆると開き、途切れ途切れに呟く。
「此方こそ、もう、一週間もお前の家を借りていて、すまない、な」
「あーん?良いんだよ、テメェが泊まってるホテルの一室なんかじゃ、こんな数入りきらねぇだろ」
 跡部の言う通り、今回手塚が出場し最高の栄華を手にしてみせたウィンブルドン選手権、それに出る為に借りていたホテルは二人用の部屋で、数十人どころか十人も入れば窮屈になってしまう程のスペースしかなかった。だのに、大勢押しかけてくる旧友たちに、嬉しくも物理的に困っていた手塚を見て、それならば自分の家を使えば良い、と跡部が早々に申し出たのだ。無論、手塚は有り難くそのお言葉に甘えた。日本にある跡部邸に比べてより豪勢で悠々とした造りになっていた為、幸いこんなに喧しくしても、近隣――とは云えない距離にある周囲の家々には、まあ迷惑は掛かっていないというのが、毎晩遅くまで飲み騒ぎ続けることの原因でもあった。
 しかし、先述したように、悪い気はしない手塚は、自分の心身がもつうちは彼らに付き合い続けている。家主である跡部も、だ。
 ジョッキから、周囲へ目線を映す。そこでは立派に成長した海堂と桃城と、乱入した切原が呑み比べをしていたり、それを見た芥川が日吉に参戦を促したり。またその隣では酔っ払った黒羽と向日が室内でアクロバット勝負らしき遊びをしていたり。そんな馬鹿げた大人たちを眺めては、時折小さく嬉しそうな声を洩らす手塚に、跡部はひどく優しい目を向けた後、立ち上がった。
「――俺も酔いが回ってきたみてぇだ。少し、夜風に当たってくる」
 テメェは程々に楽しんでろよ、と言い残して去ろうとしたが、少し遅れて、待て、と手塚から制止がかかる。跡部が振り向くと、手塚がふらふらと立ち上がって、こう言った。

「俺も、付き合おう」







 跡部は手塚を連れて一つ隣の部屋に向い、ベランダへと出た。その途中、使用人から水の入ったペットボトルを貰ったので、二人してベランダの手すりに凭れかかっては、それを交互に飲んだ。程よい夜風と冷たい水が、彼らの火照りを優しく和らげてくれる。
 ――穏やかな空気が流れていた。彼是十年来の付き合いである二人だが、こうしてゆっくりとした時間を取るのは久方ぶりであって。そう、まだ中学生の頃、手塚国光がドイツへの留学を考えているときに、跡部が得意とする独語を教えてやっていた――それ以来かもしれない。
 手塚が晴れてプロになってから、割かし直ぐに跡部もプロになった。なるには、なった。手塚の後を追いかけるように、いや、追い抜こうという怒涛の勢いで素晴らしい戦績を積んでいった彼だったが、ほんの数年でそれはぱったりと打ち切られた。その理由は誰にも明かされることは無かったが、彼は家業を継ぎ、後にテニスをメインに取り扱うスポーツブランドを展開したから、それ以上彼に野暮なことを聞く者は現れなかった。
 そして、跡部景吾及びそのスポーツブランドは、いまや手塚のプロとしての活動を支えるメインスポンサーとして活躍している。その為、話す機会と云うのは幾らでもあったのだが、あくまで仕事の関係でしか繋がってはいなかった。
 それでも、二人の間には友情――と呼ぶには擽ったいけれども、そのような一定の関係が、ずっと横たわり続けていたからこそ、こうも緊張することなく傍にいられるのだろう。跡部はペットボトルを片手に腕を組み、柔らかな表情で空を見上げていた。手塚も、そのすぐ隣で同じような体勢をしている。何を話そうか、と考えながらも、何も話さなくとも、と思う二人がいた。

 ――その横で、豪快にもげらげらと云った朗らかな笑い声が洩れてきて、跡部は思わず眉を顰めた。盛り上がりはまだまだ一段落すらつかないのだろう。祝うべき相手がいないことに気付いているか否かは二人の知るところではないが、跡部からすればその高まりは少々憎らしいことである。何の為に家を貸したのだと思ってるんだ、と内心軽く悪態吐きつつ、手塚の方へと振り返った。
「アイツ等盛り上がり過ぎだろ、ったくよ」
 跡部が厭きれた様にそう言えば、手塚は意外にも、それをやんわりと窘める。
「……いいじゃないか、喜ばしい事だ。こうも、応援してくれる人がいたというのは」
 ――どうやら今日の手塚国光は稀にみるポジティヴな気分らしい。跡部が物珍しそうに、ほう、と相槌を打つと、直ぐに手塚の表情に翳りが差した。ころころと変わる表情に、嗚呼、酒のせいかとぼんやりと推測していれば、手塚が少し自信のない声で呟いた。
「俺は、そういうった賞賛を受けるに値するテニスプレイヤーに、なれたのだろうか」
 そして、不安めいた顔で何を言うかと思えば、そんなことで。跡部からすれば随分と下らない質問であったから、彼は直ぐに答えたてやった。

「――っふ、馬鹿、なれてるさ。それこそ、日本にいたときからずっと、な」

 跡部は知っている。彼の後輩や友人が如何に彼を慕っているか、そして彼と試合をした者の内ほぼ全員が、彼ともう一度試合したいと心から思っているかを。一抹の気恥ずかしさが邪魔をして、その多くを本人に語ってやるつもりは無いが、跡部は、手塚国光にずっと憧憬を抱いていたから。だから、そんな彼の背を押す台詞は馬鹿みたいに簡単に出てくる。
 そこで手塚は、視線を空から跡部へと移した。真っ直ぐな瞳を跡部の姿でいっぱいにして、数秒後。
徐に、感謝の意を述べ始めた。
「……有難う、跡部。本当に、いつも、……いつも」
「――な、何言ってんだよ、今更。俺は、テメェに最高の状態でプレイをして欲しい。そしてそれをお前が成し遂げたのなら、それがフェアな契約、等価ってもんだ。有難うも何も要らねぇよ」
 跡部のそれは謙遜では無い。二人を繋いでいる正しく業務的な理だ。
「……それでも、だ」
 手塚は、そんな今の二人の関係、その理屈を凌駕しようとしてくる。
「今は、感謝をしても良い時、だろう?」

 ――この言葉を受けて、そうだな、と返すには結構な時間を要した。たった一言を絞り出す為に、跡部は散々「此奴は悪酔いしているから」と手塚を胸中で詰っていた。顔があからさまに赤面するのも、俺も悪酔いしているからだと罵倒していた。
 脚は少しばかり、震えていた。
 跡部の返答の遅さが作り出した二度目の静寂は、初夏の暑さを帯びていた。纏わりつく煩わしい熱を振り払おうと、跡部はペットボトルに再び口づける。喉を通る水の感覚は、どうしてか大分前の自分の立ち姿を想起させようとしている気がしてならない。
 跡部が必要以上に蓋をぎゅっと閉めると、タイミングを見計らったように、手塚が話し掛けた。

「なあ、跡部」
「……あーん?」
「久々に、打たないか?」
 思い掛けない台詞ではあったが、跡部は案外狼狽えなかった。嗚呼、付いて来たきたのはそれを言うためだったのか、となんとなしに悟りもしたくらいだ。
 そして、グランドスラムを達成した誉れ高い選手からの誘いにも関わらず、跡部は素直に喜べないでいた。
 度々、こういった誘いを持ち掛けてくることは前にもあった。とはいえ、平常は会えども矢張り仕事の話ばかりだから、二、三年ぶりにはなるだろうか。そう、確か全豪オープンに出る際に軽い打ち合わせをした時のことで――と思い返すが、まあ、そんな懐古はさておき、正直、その誘い自体に関しては、跡部は嬉しい、嬉しくて仕方がなかった。いつかいつかの血が滾り、組んでいる腕の右側に痛い程熱が集中し出す。そして、もう十年も前になる、あの夏の一試合、その感動を、直ぐにでも鮮やかに思い出した。そればかりか、手塚がプロになってから放送された試合は全て記憶しているくらいで、あの頃より更に磨きがかかった美しい技巧をこの身に体感できるのか、と全身がざわついた。

 しかし――と跡部は己を律する。手塚国光は思い違いをしている、と無理に冷静を装った目で彼を見る。手塚は恐らく、ウィンブルドン優勝の喜びの為、思考が麻痺しているのだ、と。だから、そんな彼の一時的な思いに流されて、自分が彼の相手をしてしまえば、間違いなく――失望させてしまうのだろう。

 俺は、あの夏のような、お前を追い詰めるようなテニスも、お前の中の衝動を駆りたてるようなテニスも、何も出来やしない。もう、とっくに蚊帳の外なんだよ――手塚。

 跡部はそう自らを評した後、小さく歯軋りをした。溢れんばかりの昂ぶりを、油断すれば直ぐに口をついて出そうな色良い返事も全て、恨めしそうに口内で磨滅させてしまってから、充分に言葉を選んで、声に出す。

「……悔しいが、今の俺じゃテメェの足元にも及ばねぇよ」
 試しにそう笑ってみたが、見れば、手塚の表情から酔いは消えていて、その上迷惑にも真顔なんかで尋ねてくる。
「そういう、問題だろうか」
 茶化すような様相もない、幼児のような甚く真っ直ぐな眼差しに、再び跡部は苦笑しながら返した。
「――そういう、問題だ」
 跡部はすっと右手を伸ばすと、くしゃりと手塚の前髪を崩して、彼の視界を奪った。分け目を失った髪が無残にも前に垂れて毛先が交錯している。何をする、と不満そうに言う手塚、そのあられもないスタイルをした前髪を一通り笑ってから、跡部は手すりに凭れていた体を起こした。手塚を置き去りにして歩き出す。

「酔い、醒ましてろよ、俺は先に戻ってる」







 そう言い残して、半ば無理矢理そこを後にした跡部の、すっかり震えきった脚は、部屋をでたところで限界を迎え、一人廊下でずるずると情けなくへたり込んだ。
「あー……、ふざけんじゃねぇよ」
 インサイトだのなんだのと恐れられた自分が、酔っ払った手塚の目に怯えただなんて。何とも情けない話だが、それを受け入れられるくらいには大人になっていた。
 ――否、ちっともそんなことはない。跡部は今、脇目も振らずに叫びたくて堪らない。衝動のままに立ち上がり、背にある重い扉を開けて、手塚に、やっぱり、と愚かにも先刻の発言を訂正したくて仕方がない!
この上なく嬉しいのに、この上なく悔しくて堪らなかった。自分が選択した将来を、そうしてある今を、後悔なんてしてそう思うのではない、ないのだけれど――少なくとも今の自分は、折角向けられた手塚の期待に応える術がない。その無力感に勝手に苛まれているのだ。
全身はまだ戦慄いたままだ。手塚は十年経てどもまだ、跡部の中の奥深くで眠らせた筈の闘争心を呼び覚ます。その根底にあるものは、あの夏と変わらないのだ、いつまでも執拗に付き纏うのだ。

 ――それが、逆もそうであるのでは、ということに、跡部の思考が及ぶことは無いまま、宵は覚めてしまったのだが。







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 憧憬はまだ覚めやらぬ

てづかくんとあとべくん企画にそっと捧げます。サイトにあるものを加筆修正させて頂きました。
何があっても、手塚の隣には跡部が居て欲しいものですね……!




 


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