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拳ひとつ分の距離




「……やらかした」

思わずそう呟くくらいにはやらかした。その小さな呟きはホームにいる大人数が作る雑踏に消える。
駅で猗窩座さんと別れてホームに行ってから、自分がやらかしたと気づいた。
定時上がりで居酒屋に入ったは良いがものの三十分程度で抜けたのだ。そして駅に着けば何が待っているのか。
そう、帰宅ラッシュである。
疲労困憊・睡眠不足・酒のトリプルパンチを食らっていた身に満員電車という四発目が入る。
だった今三本目を見送ったが人が減る気配がない。乗換も電車の路線も多い駅だから当たり前なのだが。この駅が最寄り駅だからすごい企業なのだと勘違いして入ってくる哀れな新人君もいる。ブラックはどうしてこうもブラックを取り繕うのが上手いのか。この会社の求人、嘘でも分かりやすく「アットホームな職場」「職員全員仲良し」とか書いてないから引っかかるんだよね、わかるよ。先月入ったその子は昼休みに外に出て行って二度と帰ってこなかったけど。彼は正直逸材だったと思ってる。
思考が散乱した。
今からでもタクシーを探すべきだろうかと迷ったが、タクシー代を考えると躊躇われた。冨岡先生と猗窩座さんに奢ってもらって浮いた分は使いたくない。
しかしだからと言ってタクシー代をケチった結果、満員電車の中でリバースするのも言語道断である。参った。どうしよう。
グリーン車があるような路線でもないし、やはり覚悟を決めていくしかないか。駅のコンビニで水か何かを買って、エチケット袋にしていくか。
いや待て、だったら水を買って暫く駅の隅で座って酒を抜いた方が良いのではないか。よしそうしよう。酔った頭にしてはやるではないか。
ナイスアイデア流石私!と気分が良くなった瞬間にグワン、と世界が回った。足がよろけて駅の何かの柱にしがみつく。
酒の酔いではなかった。
これは、本当にヤバいかもしれない。本能的に感じ取った。帰った方がいい。帰らないと、吐くどころか、ここで倒れる。
頭の中でサイレンが鳴り響いて五月蝿い。春だというのに寒い。人混みの雑踏で足元が揺れる。電車の接近メロディで頭が割れそうになる。平衡感覚が無くなりかけている。ぐらりとまた半回転。本当に気持ち悪い。
電車がホームに入ってくる。人が海の波のようにホーム降りて、電車に入っていく。
その波に乗ってしまえば後は最寄り駅まで一直線だ。ただそれまで私が耐えられるか。
逡巡する一瞬、私の手を厚く硬い硬い手が包んだ。
そのまま蹲っていた身体を引き起こされて電車に連れ込まれる。
混乱した。いきなりで視界が上下左右にぶれて、今誰が私の手を握っているのか見えない。それでも、掌でわかった。
昨日私を掴んで離さなかった掌だ。

「どこで降りる」
「……」
「早くしろ。乗るんだろう」

なんでここにとか、そういうことを考えている余裕はなく、彼の身体にしがみついた。電車のドアが閉まり走り出す。
冨岡先生が電車のドア横を確保してくれた。神だ。
あ、ヤバい。本当にヤバい。頭の音がグラグラからグワングワンに大きくなる。満員電車の中で彼の身体だけが支えだった。
小さな声で最寄り駅を伝えて、ぐったりと背中の壁に寄りかかる。目の前の彼が席の境の壁と手摺に腕をついて人混みから守ってくれていた。

「吐いたらすみません、冨岡先生」
「……持っていろ」

冨岡先生が鞄から強引にビニール袋を取り出して押し付けてきた。まるで私の体調がわかっていた様に。冨岡先生は覚えているのだろうか。先生の前で吐いたことがあった。その節は本当にお見苦しいところを見せてしまって。今も充分見苦しい。
……助けられてばっかりだな、私。なんでこんなに、迷惑かけてばかりなのだろう。どうしてこんなに都合よく助けてくれるのだろう。

「ごめんなさい」
「……何がだ」
「迷惑ばっかり、かけて」
「構わない。迷惑だと思ったこともないし、今近づいたのは俺の方だ」
「……」

そう言うと思った。冨岡先生はわかってない。自分の行動で、私がどれだけ助けられてきたのか。今だって冨岡先生は病人を気遣っただけのつもりなのだろう。それにしては電車に無理矢理連れ込んだりしたけど。
会話が途切れた。
満員電車で、元々寡黙な冨岡先生と体調最悪の私だから、特に問題はない。ただ、冨岡先生の側にいると心の底から安心する。拳一つ分の距離を保っていて、それでも体温や呼吸が届くには充分で。

「わっ」
「ッ」

電車が次の駅に止まり、車内の人は減るどころか増える。その分当然人口密度は上がるわけで、私と冨岡先生は壁と人でサンドされる形になる。

「すみませ、」
「いい。大丈夫か」
「は、はい……!」

大丈夫じゃない。
大丈夫な訳あるか。
考えても見てほしい。満員電車の密着度を。こんなの壁ドンを通り越して抱きしめられてあるのと同じだ。冨岡先生の腕が頭に回されて、そのまま胸元に寄せられる。体調不良どころじゃないわ。現状把握で精一杯だわ。

「冨岡、せんせ」
「喋るな。辛くなるぞ」

体格差で自然と見上げる形になる。改めて感じるが、スーツを越しでも感じる厚く硬い男の人の身体があった。
学生時代、冨岡先生とはずっと一緒にいたのに、今初めて彼を男として意識している。
心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。
早く着いてほしい。でも着かないで欲しいとも思う。
相反する二つの感情に流されて、それでも電車は揺れるからと言い訳して彼にしがみついた。
朝から時間が経っているとはいえ、ファンデーションとか服に付いてしまったらどうしよう。こうなるんだったら朝、調子が良かったからといって、バッチリメイクとかしなきゃ良かった。化粧は女の武装とか言うけれど今は完全に足を引っ張られてる。
顔を付けたくなくて冨岡先生を見上げた。相変わらず涼しげな、何も感じていないような顔をしていて、羨ましいような悔しいような。でも相変わらず整っている。寧ろ新米教師から大人の色気が出てきてるような気がする。
……わかっている。私のことを女として見ているならこんな自然と密着するようなことしない。意識しているのは私だけだ。でも少しは意識してくれたって良いんじゃないんですかね。一応女なんですけど。元生徒とはいえ女なんですけど。女性に対する必要最低限の気遣いとかそういうのを気にすることが……できる人だったらPTAだって動かないですねごめんなさい私が悪かった!
ダメだ私の頭は混乱している。
熱冷まし(なってない)に見上げた彼と私の身体差は歴然であって、すっぽりと覆い被さってしまう程だった。肩幅も身長も何もかも大きくて、後ろに回されて動かない彼の掌の動きまで気になった。
さっきまで寒気がしていたのに今では暑くて暑くて仕方ない。心臓がもうバックンバックン言っててうるさい。
早く着いて、お願いだから。
懇願に近い形で祈った。いつも思ってるけど、その何万倍も強く。

もっと側にいたいと望む自分には目を背けて。





「……ついた……!」

満員電車が空くこともなくあの体勢のまま私達は目的の駅で降りた。
降りた時の解放感は忘れられない。初めて電車に乗った時のことを思い出したような出さなかったような。酒の酔い?抜けたよ。
ただ、まだちょっと緊張故か、足元がふらついた。すると冨岡先生が腕を掴んでくれた。片腕で私のこと支えてるよこの人。体幹どうなってるの。

「まっすぐ歩け」
「す、すみません……」
「……」

なんでそんな不満そうな顔で見るんですか。
私もう昔ほど冨岡先生の顔色読めないんですよ。
腕はそのままで特に会話も無く改札を抜けた。

「先生、あの、ここまでで大丈夫ですよ?」
「……」

黙り決め込まれた。
いや多分脳内で凄く言葉選んでる時間なのだろう。希望的観測だが多分そうだ。何も考えてないパターンもあるけど、多分そう。
そういって駅の東口と西口の分かれ道に来た。

「どっちだ?」
「いやだからここまでで大丈夫ですってば!ありがとうございました!」
「……」

なんでそんな蔑むような目で見られなければならないんだ。
私何も悪いことしてない。寧ろ冨岡先生のこと気遣って言っているのに。

「……別れた後何かあったら寝覚めが悪い」
「何も起こりませんよ」
「ふらついた奴が言うな」
「でも」
「どっちだ?」
「……東口、です」

白旗を上げた。
意外と頑固だと言うことを忘れていた。校則違反はどんな理由があろうと許さない人だ。自分がこうと決めたら梃子でも動かないよなあ。
腕を引っ張られたまま、たまに道案内しながら歩く。家までの道に人は疎らで街灯は少なく、静かで暗い。ここを私の足で二十分くらい。

「……いつもこうなのか」
「何がですか?」

半分くらいまで歩いた時、冨岡先生が言った。

「いつもこの道なのかと」
「ええ。そうですよ」
「バスは?」
「使いませんよ?」
「馬鹿か?」
「なんで!?」

そりゃあここに住み始めた頃、中学からだから十年以上は前だけど、その時こそ恐怖とか感じたこともあったけれど、今はもう慣れた。犯罪とかに遭ったこともないし、遭ったとしてもまあ困るのは私一人だから問題無い。

「……これからはバスを使え」
「アレ意外とお金かかるんですよね」
「……」
「あだだだだ、先生!腕!腕ぇ!」

掴まれた腕がミシミシと鳴いた。いや今の何か悪いところありました?ギリギリ生活できるレベルの薄給なんですよ!節約しないと!
そう言ってなんとか力を緩めてもらった。ゼーゼーと息が切れた。いつも通る道を使って家に帰るだけなのにどうしてこんなにも疲れるのか。

「お前、変わらないな」
「先生に言われたくありません」

もはや懐かしさもするやり取りだった。私は校則違反はしない生徒だったから冨岡先生からの生徒指導()もそこまでヤバいものは受けなかった。生徒を殴る用竹刀のお世話になったこともない。ただパシられることは多かったし、先生から技を決められることは割とあった。

「……なんで冨岡先生、あの駅にいたんですか?」
「乗換に使っている」
「……いやそうじゃなくて」

これは私の問いが悪かった。あの駅は色々な路線入ってるから、おかしくはない。私が聞きたかったのはそれじゃない。

「なんで、私のこと助けてくれたんですか?」
「……」

電車の中でずっと不思議に思っていた。
どうして、と。
昨日はわかる。自分の元生徒が自殺未遂したのだ。
だけど、今日はただの体調不良だ。それくらいなら冨岡先生は助けたりしない。精々保健室に運ぶくらいだ。ここは学校じゃないから声かけて救急車呼ぶか駅員呼ぶか程度だろう。

「生徒指導だ」
「嘘ですね」
「……」
「分かりますよ。それくらい」

すぐに看破した私に冨岡先生が嫌な顔を向ける。相変わらず顔が口以上に物を言う人だ。

「生徒指導だ」
「私、卒業してますよ」
「……着いたぞ」
「あ、逃げた」
「……」
「都合悪くなると暴力を振るうの良くないですよ。ってホントにいたいいたい」

腕が折れるかと思った。痛い。
話していたらいつのまにか私の築30年のボロアパートに着いていた。
答えは結局教えてもらえなかった。狡い。
……だがこのまま逃すとお思いか?

「そうだ、冨岡先生、上がっていきませんか?昨日と今日のお礼しますよ?」
「必要無い」
「まあまあそう言わずとも」
「必要無い」
「まあまあまあまあ、せめてお茶だけでも!」

形成逆転して私が冨岡先生の腕に引っ付く。力では勝てなくとも、このまま引っ付いていれば負けはしない。冨岡先生の目的はこのアパートに私を帰すことなのだから。

「先生このままだと近所迷惑で怒られますよ!このアパート、部屋の中からでも外の声丸聞こえなんですからね!」
「だから俺は引っ越せと担任の時も言ったんだ……!」
「まあまあ良いじゃないですか!お茶だけですから!」

ギリギリと攻防戦を繰り返しながらボロアパートの階段を登っていく。
意外といけるんじゃないかこれ?
何かいけないことしているような感じになってきて逆にテンションが上がる。
逃げようとする冨岡先生と腕を絡めて引っ付いたまま、とうとう部屋の前に辿り着き鞄から鍵を取り出した。
ガチャガチャと鍵を差し込んで回した。
いつもと手応えが違う。
鍵が、思っていたのと逆の方に、回った。

「……?」
「どうした」
「いえ、鍵が、空いてたみたいで……」
「どけ」

冨岡先生がドアノブに手をかける。ガチャガチャとドアは開かない。
やっぱり私は今、鍵を閉めたんだ。

「先生、もう一回やってみます」
「……」

もう一度鍵を差し込んで、今のと逆方向に回した。今度は思った通りに回った。

「俺が開ける」

冨岡先生が前に出る。
私は緊張でそれどこじゃなかった。でも、先生がいたから、パニックにはならなかった。

「……入るな、警察を呼べ」

禍福は糾える縄の如しと誰かが言っていた。
あまり信じてはいない。
人生というものは禍いが基本であってたまに福が来るものだ。
それでもこの二日間はその言葉を表していたと思う。
冨岡先生がドアを開けて、中に入った。
私は、彼の背中から部屋の中を覗き込んだ。

「……なに、これ」

窓は割られ、箪笥は荒らされ、物は床に散乱していた。
私が目にしたのは無惨に荒らされた部屋だった。



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