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拭えぬ厄


「どういうことですか!!!」
「すまん。俺も昨日聞かされたばかりだった」
「そういうことじゃ無いんですよ!!」

ヤケになって一気飲みしたジョッキを居酒屋のテーブルにダンッと叩き付ける。仕事上がりの生中は最高に美味いが今は味わっている場合ではなかった。
おかわり!と叫ぶ私を猗窩座さんは申し訳なさそうに目を伏せていた。

「なんで私が猗窩座さんの後任なんですか!!」



茶封筒から出した書類に書かれていたのは人事異動だった。そこに記されていたのは要するに、退職する猗窩座さんの後任として昇進することになった。
あの後鳴女さんの号令で全員が解散となり各々の部署・デスクに戻った。私と猗窩座さんは暗黙の了解で仕事に全力で集中し、見事定時退社を勝ち取った。追加の仕事は見なかったことにした。サービス残業なんかもう二度とやるものか。定時退社のコツは定時退社することだと今更知った。
そして寿退社する猗窩座さんに変な噂が立たないように駅で待ち合わせ、会社から少し離れた個室の居酒屋に突撃した。水曜の定時上がりの居酒屋はまだ空いていて予約無しでもサラッと通された。
簾で区切っただけの個室は人の声も筒抜けになるが、私はそれどころでもなく叫んでいた。
そして冒頭へ戻る。

「昨日俺が退職願を出した段階では候補として上がっているだけだったんだ。随分とあっさり通ったと訝しんではいたんだが……」
「なんでうちの会社はそういうところの仕事は早いんですか!?あ、タイミング逃しましたが、改めまして、御結婚おめでとうございます」
「本当に今更だな。ありがとう」

呆れながら猗窩座さんがグラスを煽った。道中で聞いたのだが、童磨の話、つまり寿結婚や道場を継ぐ話は本当らしい。社長にも結婚と退職の話しかしていないのにどこで知ったんだあいつ、とボヤいていた。

「話を戻しますが、問題は私が何も聞いてないところなんですよ!平社員から部長なんてありえないでしょう!?説明を願います!」
「辞めなかったから」
「は?」
「気づいてなかったのか?お前今、俺の部署で一番の古株になってるぞ」
「はい?」

そんなまさか。
いやそんなまさか。
いくら私が生きるのに精一杯でも、流石に挨拶くらいはあるし、辞めたなら記憶にあるはずだ。脳内の部署のメンバーリストを引っ張り出す。

「いやですね、猗窩座さん、まだ佐藤さんとかいるじゃないですか」
「あいつ先月家族から実家に強制帰還されたぞ」
「さ、佐々木さんとか」
「三ヶ月前に倒れて入院したな」
「……高木さん、とか……」
「二週間前に突然音信不通でそのまま行方不明」
「……私も倒れようかな……」
「診断書取れるなら悪くない手だな」
「……」

挨拶もなく辞めた人がこんなにいたのか。そりゃ記憶に残らないわ。生きるのに精一杯だったもの。もしかして私に回ってくる仕事が増えたのってそういう理由だったのか?
いやそんなことよりも皆この会社辞めるの上手くない?なんで私こんなにぐだぐだやってるの。家族に強制帰還とかなにそれ羨ましいことこの上ない。

「……あの、すみません、私、無理です」

猗窩座さんの後任とか無理難題が過ぎる。そもそもうちの部署は猗窩座さんで持っていたようなものだ。上から無茶な仕事を仰せつかろうとも猗窩座さんが身体張って仕事していたから部下も頑張れた。私は彼のようにはなれない。なれるわけがない。

「俺もそう思う」
「だったらなんで!」
「今日お前には、逃げろと言うつもりだった」

猗窩座さんはそう言いながら鞄から青のリングファイルを取り出した。

「何ですかこれ」
「俺の「元」切札だ。中を見ろ」

言われるままにファイルを開き、綴じられていた書類に目を通す。それは厚さ二センチはあり、ずっしりと重みがあった。けれど私の手が震えたのはその量の所為ではない。
その書類に記されていたのは雇用契約書。それに就業規則に業務日報に手書きの勤務時間記録。うわ、猗窩座さんの残業時間私よりもエグい。
夢中で資料読んでいる間にお通しと料理と生中が来た。猗窩座さんは生中だけ取った。

「元は妻が作ったものに俺が補足したものだ」
「最高のお嫁さんじゃないですか」
「ああ。彼女のお陰で会社を辞める決心がついた。……いざとなったらそれ持って会社サボってでも労基に駆け込め。あそこはメール告発じゃ動かない」
「あれ、食べないんですか?」
「妻が夕飯作って待ってるからな。気にするな。誘ったのは俺だ。」
「ご馳走様です」

色々な意味でご馳走様です。
猗窩座さんのデータだけでなく、私の分まである。私は猗窩座さんより遅く出て早く帰っていたから記録できたらしい。……私も始発出社終電帰宅の筈なんだけどな。考えちゃいけない。一寸先は闇だ。

「給与明細と雇用契約書はお前のを使え。素手の喧嘩じゃないんだ。武器は多ければ多いほどいい」
「え、あの、なんでこれ、勤務時間とか私の分まであるんですか」

いくらなんでも信じられない。欲しいと思ってたものがこんな風に棚ぼた的に手に入るなんて。

「最悪お前を証人にして訴えるつもりだった」
「いや訴えてくれて構いませんよ。やっちゃってください」
「妻がいるからな。道場もあるし、裁判やっている場合じゃない。取るものは取らせてもらうが」
「やめて下さいよそういうこと言うの。どうぞお幸せに!結婚式には呼んでください!」
「ああ、わかった」

お嫁さんの白無垢姿でも思い浮かべたのか、猗窩座さんが笑った。良いなあ、幸せそうだなあ。私も家族ほしいなあ。
こちとら数年喪女なんだぞ。いや数年単位じゃないわ。学生時代も……この話はよそう。誰も幸せにならない。
特に中高時代なんて冨岡先生に蹴られるか冨岡先生に殴られるか冨岡先生にパシられるかでそんな甘い出来事とか。

「考えるなって言ってるでしょ……!」
「何の話だ」
「すみません酔ってます!」
「まだ二杯目だぞ」
「寝不足と興奮ですね!」
「お前大丈夫か?」

大丈夫じゃない。昨日から今日にかけて色々なことか起きすぎた。
いつもなら二杯程度では酔わない。だがしかし今日は蓄積した疲労と寝不足で元々体調は最悪に近かった。それを冨岡先生でブーストして何とか誤魔化していたようなものだ。
そうだ今日は寝不足だ。冨岡先生の車で一時間弱寝て、そのあとハイになり、流石にやばいと考え直して少し寝て、そして普通に始発出勤なのだから。睡眠時間三時間で元気に活動できる時代は終わった。少し早い気がするけど。
頭がぐわんぐわんと渦を巻き始めてぼうっとする。
その様子を見ていた猗窩座さんが席を立った。

「園城、もう飲むな。出るぞ」
「え、まだいけますよぉ」
「駄目だ。酔っ払いは皆そう言う」
「ふぁい」

腕をぐいっと掴まれて私も席を立つ。まだギリギリ足取りも「しっかりしている」の範囲内。立つ時にちょっとフラついたけど。大丈夫、真っ直ぐ歩ける。

「歩けるか?駅まで送る」
「ありがとうございます……明日払います……」
「酒一杯で受け取れるか」

酒だけじゃない。私料理も食べた。
けれどそんなことは構いもせずに、いつの間にやら会計を終えたらしい猗窩座さんが前を行く。
昨日今日と男性に奢られてばかりだ。今度冨岡先生にもお金渡さないと。そうだ、退職したら学校に挨拶しに行こう。久しぶりに学校も見て行こうかな。煉獄先生元気かなあ。冨岡先生にしばかれた思い出が大半だけど、冨岡先生のお陰で学生っぽいこともちゃんと出来たんだよなあ。
猗窩座さんの背中を見ながら、酒に浮かされた頭でそんなことを思い出した。
今まで悪いことも沢山あったけれど、その分何だかんだ言ってドン底から這い上がらせてくれる人がいた。

「猗窩座さん」
「なんだ?」
「ありがとうございました。本当に」

バックの中に入っている、分厚いファイルの重みが、嬉しかった。
だから、私はまだ幸せな部類の人間なのだろう。
だから私はまだ、頑張れる。生きなければいけない。
今までそうやって誤魔化してきたものに、向き合う時が近づいていた。


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