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欠落した感情

夕方、喫茶店前。
あの後数時間話し込んで、いい加減に店を出た私と梅先輩。また会おうと連絡先を交換した。

「今日はありがとうございました、梅先輩」
「堅っ苦しいわね、さっきみたいに敬語やめなさい。アンタこれから予定でもあんの?二次会でもやらない?」
「……うん、ごめん、これから冨岡先生と前の家に荷物取りに行く約束してるから」

そう言った瞬間、彼女の雰囲気が変わった。

「……それ何時から?」
「え、えと、夕方だから、後一時間くらい……?」
「じゃあ二時間はあるわね」
「……ナンノオハナシデスカ?」
「アンタ今持ち合わせある?」
「……はい?」
「ないなら下ろしてきなさい。銀行閉まるわよ!」
「…………はい?」
「アンタその萎びたOL姿で冨岡とデートするつもり!?」
「デートじゃない!!!」






はっきりと時間を決めてなくてよかったと、心から思う。
店を出た後、梅先輩は私の手を取りショッピングモールへと強制連行した。
そして始まったのは買い物地獄。
彼女一押しのブランドで全身コーディネートだけでは飽き足らず、下着まで買い揃えさせられそうになる。でも合計金額はそこまででもなかった。凄い。

「いらない!」
「いるに決まってるでしょ!どうせストラップとか擦り切れたボロブラなんでしょ!それで冨岡落とせると思ってるの!?」
「梅ちゃん先輩の中で私何やってるの!?」
「押し倒して既成事実作んのよ!」
「無理!!!」

何が悲しくて平日昼のショッピングモールの下着屋さんの前で女二人で言い合いをしなければならないんだ。
入る入らない入れと押し合い引きずり合い、結局私が押しに負けた。
買い物の合計時間二時間。
約束の時間をはっきりと決めておかなくて、本当に良かった。
買い物が終わって、情けないと呆れる彼女を尻目に瀕死寸前で休憩所のベンチで座っているところでスマホが鳴った。先生からだ。

『仕事終わった。今どこだ』

「ヒェッ!」
「メッセ来たくらいでそんな情けない声出すんじゃないの!」
「だって!」
「にしても素っ気ない文章ね。なんて返信すんの?」

梅先輩が横から画面を覗き込む。

「え、「今駅前のモールです」みたいな……」

戸惑いつつ普通の返答をしたつもりだった。
しかしその瞬間、梅先輩が真顔になった。

「貸しなさい」
「え」
「貸せ」
「はい!」

先輩の命令に後輩は逆らえない。年功序列の刻み込まれた身で何ができる。
速やかにスマホを彼女に渡すと、自分のスマホを出して二台を上手に操作する。
そしてしばらくして自分のピンクの派手な手帳型ケースを閉じると、私のリングだけつけたスマホを返してきた。

「……何したの?」

恐る恐る尋ねた。嫌な予感しかしない。だって彼女は今日一番の悪魔の笑みを浮かべていたから。

「お膳立てはしてあげたわよ」

その意味を確かめる為にアプリを開く前に通話がかかってきた。
相手なんて決まってる。

「ねえ、ホントに何送ったの」
「ファイト!」
「ファイトじゃない!」

言い合いをしても依然と鳴り止まないコール音。さっさと出ろと目線で言ってくる彼女ち恐る恐る画面をタップした。

「園城です……」
『今誰といる!?』

瞬間耳がキーンとなる様な大声が飛び出てくる。音量設定間違えたかと思うほど。普段は寡黙で、滅多にないけど出す時はとんでもない大声を出す人だ。

「う、梅先輩と……」
『梅……、謝花か!?』
「はい!」
『今どこだ!』
「駅前のモールの入り口噴水近くの休憩所です!」
『十分で行く。謝花を逃がすな!』
「はい!」

私の返事とともに通話終了の音がした。
とりあえず私は言われた通りに隣の彼女の腕を掴む。

「アンタ達全然変わらないのね」
「……凄い懐かしい感じした」

高校時代、今みたいな体育会系の掛け声に似た会話をよくやった。特に風紀委員として活動してる時。

「で、腕離してくれない?」
「先生が逃がすなって……」
「アンタそういうところで犬って呼ばれるのよ」
「……」

反論できない。
実際に私は彼の指示には勝手に身体が動く。
腕は掴んだままで話題を逸らす。

「……先生に何送ったの」
「画面見てみ」

あの人があそこまで取り乱すものだ。ロクなものではない気がする。しかし確かめなければ彼に弁解もできない。
青と薄い雲の初期設定のままの画面を開く。着信通知のすぐ上。華やかな背景とその中心に人。

「……」

画像のサムネだけでもう充分だった。

「……いつ撮ったの?」
「アンタが試着室で店員と話してた時」
「うっわあ……」

本気でガチのドン引き。二重表現。でも彼女はこういうことをやる。悪い人ではないけどいい人でもない。性格は寧ろ悪い。学生時代でも彼女の被害者は跡を絶たなかった。なんでそこまでわかってて付き合いを続けたのかといえば、私の近くの人間では一番マシだったからとしか言いようがない。私の彼氏は皆暴力男だったし、女友達は彼氏に縁切りさせられた。それでも私の彼氏を恐れずに話しかけてくれる人なんて彼女くらいだった。類は友を呼ぶ。

「盗撮で警察行こうかな」
「何よ、ベストショットだと思うけど」
「そういう問題じゃない」
「アンタこれで冨岡に今その下着着けてるんですよとか言えばいいじゃない」
「サイテーだこの人!」

この女、人の恩師に盗撮した下着姿送りやがった!

「ねえこれどうやって撮ったわけ?私試着室で梅ちゃんに見させられた時、スマホ持ってなかったよね?」
「企業秘密
「わー手慣れてるーこれ普段からやってるやつだ」

警察に届け出た方が彼女のためだろうか。本気で迷った。彼女一人なら警察に駆け込んだけど、お兄さんが面倒なんだよなあ。
私が悩んでいるのも素知らぬ顔で彼女はバシバシと背中を叩いてくる。

「とにかく、女だったら腹くくりなさいよ」
「諸悪の根源が何言ってるの?」
「全くだな」
「……」

五月蝿いはずのショッピングモールで空気が凍った気がした。
そういえばもう十分経ったような経ってないような。
ギギギギと擬音が付くような動きで振り向く。

「……随分と早いご到着ですね」

そこには、いつもの青ジャージで仁王立ちしている冨岡先生がいた。
何故か竹刀を背負い、その威圧感は錆兎さんさえ嫌がった説教モードに負けずとも劣らない。
しかしそんな彼に全く臆せずに笑顔の重武装で斬りかかるのが隣の彼女だ。

「ギユギユ久しぶりー!車飛ばしてきた感じ?てか女との待ち合わせにジャージで来る奴マジでいるのねドン引き」
「ちょっと!」

ギユギユというのはキメツ学園時代に彼女がつけたあだ名だ。もちろん愛称ではなく、揶揄う時や馬鹿にする時に使う彼女の性格の悪さが滲み出たものである。元生徒として敬う気持ちなど一切無い。
だがしかし、一つ言いたい。
今回はデートの待ち合わせなどではなく荷物纏めの為の待ち合わせであり、そこに動きやすいジャージで来るのは至極当然のことのはずだ。
年柄年中ジャージとか言ってはいけない。
そんな彼女に冨岡先生は心の底から哀れんだような眼を向けて言った。

「……謝花お前、変わってないな」
「ねえアンタ本っ当に、この男のどこがいいの?」
「とりあえず謝って。私と先生の両方に謝って」
「絶対に嫌」

憐れみなんて梅ちゃん先輩の地雷そのものだ。
それを踏んだのだからもう怒り心頭だ。冨岡先生のことを完全に無視して私に話しかけてくる。
でも私だって先生に喧嘩売ったんだから怒っている筈だ。うん、多分ここは怒るべきところだと思うから、ちゃんと怒らなきゃ。正しい怒り方なんてまだわからないけど。
さっきまでの談笑とは打って変わって、バチバチと火花を散らす。

「……謝花、さっきの写真を消せば何も言わないでやる。バックアップもだ」
「えーベストショットだったでしょ?夜のオカズにできるくらい」
「梅ちゃん!!」

本気で声を上げた。いくらなんでもあんまりだ。
けれどその前にカァン!!と高く鋭く、貫くような、割れるような音が響いた。
夕方の人の多いショッピングモールが今度こそ本当に静まり返った。
冨岡先生が竹刀を床に刺したのだとわかるのに僅かに時間がかかった。竹刀袋越しのはずなのに、そうは思えない音だった。床が割れていないのが不思議なくらいだ。

「どうでも良い。消せ」

ヤバイ、と、直感的に震えた。第三者だったら即座に逃げ出しているくらい。今だってベンチに正座してしまいそうだ。
実際は下を向いて固まったまま動けないけど、見上げなくともこれは本気で怒ってる時の声だとわかった。校則違反者を追いかけてる時でもここまでではなかった。
私だってここまで怒っている彼を見るのは久しぶりだ。
遊び感覚で暴力を振るう人間とその醜さは知っている。
けれど、確かにこんな殺気にも近い怒気を出せる人間がいるのかと恐怖はしたけれど、私はその姿に惹かれた。
だって、彼は私の為に怒ってくれているのだから。
彼が私の為に怒ってくれるのはこれで二回目だけど、一回目は私も無我夢中で抵抗していたからあまり記憶がない。それでも怒鳴ってくれた彼の声は覚えている。
あの時の彼の怒鳴り声が忘れられなくて、もう一度聞きたくて、叱ってほしくて、それなのに私は卒業してしまって、両親ですら見捨てた私のことなんて誰も心配してくれなくて。
……親。
その単語で、冨岡先生も梅ちゃん先輩も、全部消えて、真っ白な思考の世界に入った。
気づいてしまったから。

……嗚呼、そうか。

やっとわかった。わかってしまった。
どうして私が、自分のことで怒れないのか。
私は誰かに、私のことで怒って欲しかったんだ。誰かに私を尊重して欲しかったんだ。
だから私は、どこまで傷付けられようとも怒らなかったんだ。
だから私は今まで彼氏の意のままに従った。利用価値が高まれば大切にしてくれると思ったから。大切にしてくれれば、間違えた時に叱ってくれると思ったから。親が私を見捨てた時、私は別の「親」を求めた。
誰かじゃなかったんだ。
私は、ずっと貴方に叱ってもらいたかった。
ずっと会いたかった。
卒業なんてしたくなかった。
生徒と教師という柵が鬱陶しくて仕方なかったけど、世間を敵に回す度胸も無くて「良い生徒」を演じるしかなかった。そうあろうと決意するしかなかった。

「……わかったわよ」

流石の彼女も危機感を覚えたのか、渋々とスマホを取り出し、消去画面を見せた。
それでも先生は満足しない。私を引き寄せたまま、梅ちゃん先輩にもう一度詰め寄る。

「バックアップは」
「取ってないわよ。自撮りとSNS用ので容量カツカツなの」
「……本当だろうな」
「シツッコイわね、大容量の契約なんてする金無いわよ。第一、トモダチの応援してあげようっていう私なりの善意でやったのよ?」

先生と二人でお前は何を言っているんだという顔になった。言葉にはしなかった。

「……性根が捻くれているにもほどがあるぞ」
「梅ちゃん先輩、流石にその言い分は厳しい」
「うるさいわね!全部お兄ちゃんに言いつけてやるんだから!美小代!アンタこの後のこと絶対に報告しなさいよ!ここまでお膳立てしてあげたんだから!」
「え、やだ」
「うっさい!絶対なんだからね!」

乱暴に捨て台詞を吐いてカツカツとヒールを鳴らして梅ちゃんは走っていった。あの高さの靴で走れのは素直に感服する。
後には残された私達。一瞬止まった人並みはとっくの昔に流れを再開していた。

「……全く」

冨岡先生がため息をついて頭を掻く。それを苦笑しながらすぐそばから見上げる。ジャージ越しでも汗をかいているのがわかった。まだ夏前なのに。焦ってくれたのか、走ってきてくれたのかと思うと嬉しくて仕方ない。

「お疲れ様です」
「お前、いい加減に警戒心を持てと何度言ったらわかる。例え相手が知り合いでもだ」
「梅ちゃん先輩は友達です」
「お前、友好関係を見直した方が良いぞ」
「彼女以外に友達いませんもの」
「……」

会話が途切れて憐れみの視線を向けられる。
言葉よりも視線の方が雄弁だから、慣れればこちらの方がわかりやすい。

「ありがとうございました」
「なんの話だ」
「叱ってくれて、来てくれて。嬉しかったです」
「……担任だからな」
「元、でしょう。もう私のこと構う必要無いのに、来てくれて嬉しかったんです」
「……行くぞ」
「はい」

抱き寄せていた身体が離れていく。それを寂しいとは思わなかった。

「……あの」

もっと悪い子になれば、貴方は叱ってくれますか。
その背中に問いたくなった。

「なんだ」

先生が振り向く。目を見て話す人だから、当然目と目が合う。そうすると全部見抜かれているような気がして、それが怖くて。自分の浅ましさに嫌気がさす。

「なんでもないです」
「……そうか」

そのまま先生は前を歩いていく。その足取りに迷いは無い。
ごめんね、梅ちゃん。
心の中で謝った。応援してくれたのに、応えられそうにない。
今日でよくわかった。
私のこの気持ちは恋なんて綺麗なものではなかったんだ。

私は、どうしようもなく浅ましい人間だ。泣く資格すら無いと、唇を血が出るほど噛み締めた。
気づきたくなかった。気づかないままで、彼のそばに居たかった。
恋愛なのだと信じていたかった。

私は、先生に親を重ねていただけだったんだ。
彼のことなど、何も見ていなかった。





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