×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
女と過去と恋

翌日金曜日。朝七時。
冨岡家に滞在して三日目。
今日はまともな時間に目が覚めた。体調は良好。有給によって精神面で余裕が生まれたからだろうか、熟睡もできた。
布団を片付けて、先生のお姉さんのパジャマから着替えて居間へ行く。寝る前に考えた今日の予定を反復する。今日は金曜日、勝負の日になりそうだ。これから始まることを考えると鬱になってお腹がネジ切れるほどに痛む。その痛みを耐えながら歩くのには慣れた。
……そしてもう一つ、今すぐ向き合わなければならないこともある。

「おはようございます、先生」
「……おはよう」

襖を引いて居間へ入る。
先生はもうスーツに着替え終わっていた。台所を見ると朝食も終わっているらしい。教師の朝は早い。
挨拶の後に会話は無かった。少し気まずいけれど、何を言えばいいのかわからなかったから、有難い気持ちも確かにあった。

「……今日は出かけるのか」

私が話す前に、冷蔵庫を物色しながら先生が聞いた。

「はい、労基に行って、その後アパートに荷物取ってきます」

私がそれに答えると、彼は水を取り出して一杯飲んだ。

「……飲むか?」
「あ、ありがとうございます……」

グラスに水を入れて渡してくれた。少し躊躇って、指が重ならないように意識した。その意識がバレないように祈りながら。

「……荷物を取りに行くのは俺が帰ってきてからにしろ」
「え、いや」
「車がいるだろう」
「いや、服くらいしか無いですし、買い物とかも行きたいですし」

忘れそうになるが私は下着泥棒にあってここに来た。そのあたりは今日のうちにどうにかしたい。

「ならなおさら人手がいるな」
「先生にそこまでご迷惑お掛けするわけには」
「夕方には帰る。合鍵は玄関だ」
「聞いて」
「行ってくる」

聞かないで先生は鞄を持って出て行った。
ガラガラピシャリと引戸が閉まる音が遠くから響いてきた。

「……」

ぽつんと一人立ち竦む。引き止めようとして空を切った手をゆっくりと降ろした。
行ってらっしゃいも、昨日のありがとうも言えなかった。






カシュ、と祝杯代わりの缶コーヒー微糖のプルタブを引いた。
朝から時は流れて正午。
開業同時に飛び込んだ労基署での相談も終わり、最寄駅前のベンチ。太陽の輝きの下で私は手持ち無沙汰だった。
猗窩座さん資料を本当にありがとう。貴方のお陰で会社に一矢報えます。絶対に仇は討ちますからね。いや待て猗窩座さん死んでないわ。

「……」

これから何をしよう。
やはり一人でもアパートに行って荷物を取ってくるべきか。どうせあんな狭い部屋の私の荷物なんて段ボール一つあれば収まるし、要らないものは捨ててしまえばいい。
そこまで考えて、ふと、母の残像が過った。母も同じように、段ボール一つに男を連れて、出て行ったそうだ。それを大家さんから聞いたのは中学から帰った後だった。私は置いていかれたのだと思ったけれど、ショックを受ける前に糞親父が現れたから、悲しむ暇すらなかった。
……私は彼女のようにあそこを出ていけるのだろうか。
つまるところ私は母の足手纏いにすらなれなかったのだ。
私には母の姿を成人してからも、顔を思い出せなくなっても待っているというのに。
自分の思考に嫌気が差して、残っていた缶コーヒーを一気に煽った。思考が一気に吹き飛ぶ苦さ。待ってこれ無糖じゃん!

「にっが!!」

駅前に屯っていた鳩達が叫んだ私の声で羽ばたいて行った。ぽっぽっぽっぽっと鳴き声が五月蝿いくるっぽー。
……そういえば冨岡先生の家に居候することにはなったけれど、期間や家賃とか家事分担とか、そういうことを全く決めていなかった。今日先生と会うならそっちの方が優先だろう。
そう決めて足を動かそうとした。
ピロン
スマホが鳴った。馴染みはあるが、超絶久しぶりに聞いた音だ。最近は友人との連絡すらしていなかったから。
さてさて、相手は誰だとスマホを見る。初めて見るアイコン……いや、ついこの間登録したばかりの名前だ。

『勝手に一人で行くな』

「怖ッ!」

えっ、怖い。エスパーか?どこからか私のこと監視してるのか?
あまりのタイミングの良さに思わず口に出して辺りをキョロキョロと見渡した。電車から降りてきた人達に不審な目で見られた。
いやそれにしてもタイミング良すぎないか?あっ、今昼休みか!でも先生、初めてのメッセージがこれですか!?しまった、既読つけちゃったよどうしよう!

『わかりました』

……パニクった頭で送ってしまった。これは行くつもりでしたと白状してるようなものだな。
あ、既読付いた。これどんな返事来るんだろう。

「……」

固唾を飲んだまま10分が経った。
返信は来ず。これは……既読スルーだ。うん、知ってた。もしかしたらもう少ししたら返信くるかもしれない。
ああそれにしても太陽が暑い。

「……どうしよう」

予定をエスパー冨岡に潰され、本当に暇になってしまった。
ジリジリと頂点に達した太陽がアスファルトの地面を照りつけてくる。まだ五月なのに熱中症になりそうなくらい暑い。このままだと喪女の干物ができてしまう。どこかに避難しなければ。
そんな私の頭上に影が差した。

「もしかして美小代?」

……誰だ。ギャルだ。色白のすっごい美人の金髪のギャル。
いや誰だ。私の知り合いにこんな人……いやいる。

「……梅ちゃん先輩?」
「そのダサい呼び方やめろって昔から言ってたわよね?」







私が冨岡先生に構ってもらうために校則違反の生徒を追いかけ回していたのは先述したと思う。
故にキメツ学園時代の友人知人は元問題児が多い。

「アンタ私のこと忘れてたでしょ」
「大変申し訳ございません」
「別にいいけど。私だってアンタのこと忘れてたし」

そう言って彼女、謝花梅はその真っ赤なリップの唇で、クリームの乗ったなんかピンクの華々しい何とかチーノのストローを吸った。
曖昧な情報ばかりで申し訳ない。ヌタバ入ったの初めてなんだ。私はコーヒーを頼んだ。オシャレ空間怖い。

「で、アンタ今何やってんの?こんな平日の真昼間から」
「……社畜……?」
「アンタにはお似合いかもね。じゃあ何、サボり?」

悪くなったわねーアンタも。
そう言って梅先輩は階下を見下ろしながら笑った。
二階の、窓に面したカウンター席で隣り合って近況報告。
彼女は今本業の他にアクセサリーのデザイナーをフリーでやっているらしい。昼の時間のやりくりが自由な仕事だから適当に歩いてたら私を見つけたそうだ。
冴えないOL姿の私とイケてる美女の二人が並んで座っている。側からはどう見えるのだろうか。

「ね、久し振りに会ったんだし、何か面白い話無い?私も今暇なんだよねー」

来たよ「何か面白い話ない?」
この質問大嫌いだ。何もないから。
しかしそれはおくびにも出さずに話題を逸らす。

「……私より先輩の方が面白い話ありそうですけど」
「えー、大学でのアンタの駄目男製造話、結構好きなんだけど」
「私そんな話したことあります!?」

梅先輩は私の二つ上で、大学も一緒だった。
中高時代に追いかけ回した分、謎に気に入られて、その付き合いが大学でも続いていた。

「最初は優しかった男がアンタと付き合った途端どんどんクズになっていく様は見物だったわ。キャンパス内でも知ってる人は知ってたわよ」
「……なんなんですかねアレ」
「アンタ甘やかしてたからねー。男がどんどん調子に乗って勘違いの暴力男になっていくのは痛快だったわ。で、今は?付き合ってる男とかいないの?」
「……いませんよ、社畜ですから!」
「アンタそれ自慢することじゃないわよ」

他人事のように梅先輩は笑う。
しかし私は過去の男性遍歴なんて古傷を抉られて瀕死状態だ。
ああコーヒーが苦い。その苦味と一緒に過去も胃の中に流しこもうとした。

「じゃあアンタ冨岡とは連絡取ってるの?ほら、体育の」

今度こそ飲んでいたコーヒーを吹き出した。

「ちょっと汚いわね!」
「ご、ごめんなさ……!」

テーブルを汚してしまった。梅先輩はさっさと拭けと命じてくる。ナプキンで拭いて綺麗にしてやっと彼女は席に戻ってきた。

「まったく……、でもその反応、何かあるわね」
「何もありません」
「私に嘘が通じると思ってんの?」
「思ってませんごめんなさい」

全て白状させられた。
私がブラック社畜やってることも、自殺未遂したことも、下着泥棒に入られて冨岡先生の家に居候することになったことも全部。
話にしてみると意外と短く済んだ。しかしこれらがこの火水木の三日間で起きたことかと思うと気が遠くなった。
けれど話し終えた時には、梅先輩はカップを持ちながら口を開けて、唖然としていた。

「……つまりアンタ、昨日やっと自覚したの?」
「それは、その……何の、ことでしょうか」
「冨岡のこと好きだってやっと認めたのかって聞いてるのよ!!」
「声大っきい!」

確かに認めよう。昨日のやりとりで私は今度こそ本当に恋に落ちた。多分。きっと。
最後の副詞二つはなんだって?
確信が持てないんだよ。この気持ちが恋なのか。
わからないからモヤモヤするし、わかるまで触れられたくない。掻き回さないでほしい。
そんな感じで、半ばキレ気味に言葉を返す。それなのに彼女は最高の笑みを浮かべている。玩具を見つけた時の顔だ。こうなった時の彼女はやばい。

「へーそうなんだー、アンタやっと、ついに、ねえ……」
「ニヤニヤしてないで、揶揄うならさっさと揶揄えばいいじゃないですか!!」
「可愛い後輩の恋愛相談に乗ってあげようってのにその態度?」
「頼んでない!」
「逃すか!」

店を出ようとしても捕まって席に戻される。
身体ごと掴まれて揉みくちゃにされて髪はぐっちゃぐちゃ。

「いい加減観念しなさいよ!」
「だって私、成就させる気無いし!」
「はあ!?ざっけんじゃないわよ!やる気のない恋愛とか援交にも劣るっての!」
「叶わないんだから諦めさせてよ!」
「……ちょっと待ちなさい。そこんところ突き詰める必要ありそうね」
「やだ!帰る!!」
「逃がさないって言ってるでしょ!」

こんな感じで擦った揉んだを繰り返してきゃあきゃあ喚く。久しぶりゆえの敬語も完全に外れていた。学生時代に戻ったみたいで新鮮だったけど、お店の迷惑になりそうだったから大人しくした。

「……先生は私のこと好きにならない」

諦める理由は山ほどある。でも一番はこれだ。教師と元生徒。あの人はこの関係にそれ以上の感情を持ち込むような人じゃない。
脈のない恋ほど不毛なものも無いし、よりにもよって恩師にそんな感情をぶつける訳にはいかない。

「アンタ冨岡義勇過激派まだやってたの?」
「何それ!?」
「高校時代のアンタの影のあだ名。ファンクラブ仕切ってたのアンタでしょ?」
「仕切ってない!寧ろ存在を今知った!」
「嘘でしょアンタ、バレンタインに冨岡にチョコ渡した女子のリストとか作ってたじゃない!家まで調べてて本当に気持ち悪かったわよ!?」
「アレは返事するときに面倒だから作れって先生が!」
「それはそれであの男やばいわね」
「先生の悪口言うな!」
「アンタそういうところよ」

勘違いだ。バレンタインの一件はそもそも学校が持ってる生徒の資料を集めてまとめただけで、そんな大したことはしていない。そんな情報保護法に引っかかりそうなことしてない。
というか待ってくれ。
待ってお願い。新規の情報量が多い。混乱する。
とりあえず言いたいことを一つ。

「冨岡先生のファンクラブって何!?」
「冨岡のファンクラブよ。理解できないけど」
「そういうことじゃない!煉獄先生のは知ってるけど!」
「アンタが冨岡に近づく女子まとめあげてたじゃない。それよ」
「まとめあげてない!」
「冨岡にもの渡す時はアンタを通してってのあったの知らないの?」
「アレは毎年担任が冨岡先生だったし、先生が炭治郎先輩達を追いかけて他の生徒たちは捕まえられなかったから!」
「でも渡す物の検閲してたじゃない」
「検閲言うな!誰から何を渡されたかのチェックしてただけ!」
「ファンレターラブレター弾いたって聞いたけど?」
「手紙を私を経由で渡すのはおかしいでしょ!?思い篭ってた感じがする奴は自分で渡したほうがいいって返したの!」
「一般生徒は捕まえられないとか言ってなかった?」
「授業前後とか狙い目はあったよ」
「それアンタが側にいる時間じゃない?」
「………………そうかも」

だらだらと背中に冷や汗が流れる。
私、側から見たらそんな感じだったの?
冨岡先生は何も言わなかった。あの人そういう、人からどう見られているかとか気にしないから。生徒から嫌われてるとか言ったらわかりにくく凹むけど。

「……私って、そんなにやばい人扱いだった?」
「別に?アンタ程度の変人はあの学園いっぱい居たし」
「そうだね!!」

なんて酷い励ましなんだ。でも梅ちゃん先輩そういう人だ。
あ、この呼び方したらダサいって怒られる。
口にしなければ大丈夫。

「……まあ、アンタが元気そうで良かったわ」

項垂れている梅ちゃん先輩がデレた。その威力は学園トップクラスの美女に衰えなしか。

「何、見惚れた?」
「梅ちゃん先輩のそういうところ、凄い」
「アリガト、褒め言葉として受け取っとくわ」
「ほんとに凄いと思ってるよ」

私が風紀委員じゃなかったら舎弟になってた。そう続けると、梅ちゃん先輩はやめときなと言って笑い飛ばした。

「じゃあ冨岡は結果的にアンタがグレるのを邪魔してたってわけね」
「……それは違うよ。私が、先生を追いかけてただけ」

先生は教師として私に対応しただけだ。
そう言って俯いた私を彼女はめんどくさそうに眺める。

「アンタって本当にめんどくさいわね。好きなら好きって言っちゃえばいいじゃない。振られたら次の男行けば」
「そんな簡単に切り替えできないよ……」
「できたら苦労しないか」

次の男って、そう簡単に好きになる男が見つかるものなのか。わからない。喪女にはわからない世界だ。

「あの、失礼かもしれないんですけど、梅ちゃん先輩って」
「そのダサい呼び方やめて」
「……梅先輩って、どうしてそんなに自分に自信持てるんですか」

後輩らしく敬語で聞いた。
本当に彼女のことは尊敬していた。憧れていたのだ。向かうところ敵無しの彼女達兄妹に。喧嘩の強さだけじゃなかった。

「私は私だもの。他の人間のことなんて気にする必要ある?」

胸を張って手を当てて、自信とプライドを宿した瞳を向けられた。
世間になんて負けてたまるか、と、そう彼女は続ける。
彼女らしいと思った。同時に、私には無理だとも。
私は、他人に負けてもいいから仲間外れにしないで欲しいと返す。

「それ、負け犬の思考よ」
「勝ちたいなんて思ったことないから良いよ」
「謙虚通り越して傲慢の域ね。アンタの男が全員糞になった理由わかったわ」
「……私が何もできないから?」
「怒らないから」
「……それ、先生にも言われたなあ」

怒らないのかとそう言って押し倒されたのを思い出す。今考えると、昨日の先生との会話は噛み合っていなかった気がする。

「なんだ、冨岡わかってるじゃん」
「……?」
「アンタの一番のダメなところ、わかってるなら他の男どもみたいにはならないでしょ」

そう言ってバシバシと私の背中を叩く。手に持っていたコーヒーがタプタプとリッドの下で揺らめく感覚がした。

「怒らないってそんなにダメ?」
「恋愛したいんだったらね」

梅ちゃん先輩がガラス窓の向こうに視線を投げる。駅前だからか、この暑さだというのに人が多く歩いていた。私もついこの前まではひたすら会社でパソコンと向き合っていた。
平日のこの時間帯に私がこんなところでのんびりとコーヒーを飲んでいるのはまだ現実感に欠けていて、足元がふわふわするのはスツールの高さの所為だと思い込むことにした。

「遠距離とかならともかく、恋愛ってずっと相手といるじゃん。何もかもがぴったり合う人なんてそうそういないし、自分のこと蔑ろにされたり、合わないところがあったら怒って、話し合う。それで妥協点が見つかれば継続。見つからなかったら別れるしかないわ」
「……話し合って妥協……」

引っかかった言葉を呟く。そういえば私、何かに抵抗とかあまりしたことない。
人生で怒ったこととして思い出せるのは一度だけ。

「アンタは相手の要求なんでも聞いてたし、自分から傷つけられに行ってるみたいだった」
「……私、自分のこと大事に思えないのかも」
「知ってる」
「でも、先生のことでは怒ったことあるよ」
「それも知ってる。アンタが中学の時の自宅謹慎は話題にはもってこいだったもの」
「え、その話する……?」
「自分から前振りしといてなに言ってんの」
「そのままスルーして欲しかったんだけど」
「嫌よ」

悪魔の笑みだ。小悪魔なんて可愛らしいものではなく。
彼女が言っているのは冨岡先生の処分が流れた、私のやらかし。それは理事長室で行われた教師と生徒とその親での刃傷沙汰。警察の世話にならなかったのは偏に理事長の慈悲のおかげに他ならない。彼には足を向けて寝られない。

「アンタが理事長室に殴り込みに行ったって知った時は最高に痺れたわよ!援軍に駆けつけようかと思ったくらい!」
「来ないで良かった」

他人事で輝く笑みの彼女と裏腹に私は死んだ目になる。
当事者としては冨岡先生と理事長に多大なご迷惑をおかけしたのだ。恥ずかしいことこの上ない。親の方はどうでも良いけど。

「……梅先輩と話すようになったのって、その後からだったよね」
「そうそう、つまらない冨岡の犬かと思ったら、意外と根性あるってなってねー」
「犬って……でもあれ、怒り方わからなかっただけだから」

怒りをぶつける方法が暴力しか知らなかった。
だから理事長に冨岡先生への苦情を言いに来た親に殴りかかるしかなかったのだ。その時確かに刃物は持っていたけれど使うつもりなんて無かった。
……いや、そう言い切れないから、冨岡先生は私を止めたんだろうな。利き腕折られたけど。

「先生がいなかったら私自宅謹慎じゃ済まなかったよ」
「そうね。あの一件について私は詳しいこと知らないけど、確かに怒鳴ったり殴り込みに行ったりするだけが怒り方じゃないわ」
「……うん」

梅先輩や他の生徒が知ってるのは「生徒(私)が理事長室に殴り込みに行って怪我した」ことくらいだ。私の親のことは理事長から箝口令が敷かれて理事長室にいた人間しか知らない。察する人は察してるのかもしれないけど。

「でもそれは冨岡に教えてもらいなさい」
「え」
「なに?SNSでの炎上対処法とか教えて欲しいの?」
「梅先輩、火元にはならないけど炎上を面白がる反応して引火してそうですよね」
「生意気言うのはこの口?」
「いひゃいいひゃい」

頬を全力で抓られた。離してもらってもヒリヒリする。綺麗なつけ爪の強さやばい。真っ赤なぷっくりしたマニキュア?になんかよくわかんないキラキラした石的なもの付けていて、疎い私でもすごく綺麗だと思った。

「アンタの譲れないものが冨岡なんでしょ。私は理解できないけど。それならアイツと一緒にいれば何だかんだいい感じになるんじゃないの」
「雑すぎる!」
「私アイツのこと嫌いなのよ。アンタ引き連れて私たちのこと散々追いかけ回してくれたから」
「それは知ってるけど!」
「でもアンタはあいつのこと好きなんでしょ」

言葉に詰まった。
冨岡先生のことは確かに好きだとは思う。でも私は、その「好き」分類がわからない。彼は私を傷つけないという信頼による親愛なのか、それとも本当に恋愛感情なのか。
人に愛されることの少ない人生だったから、本当にわからなかった。

「……人を好きになるって、どういうことなんだろう」
「私が知るか!」

藁をも掴む思いで捻り出した言葉も一刀両断された。

「本気でわからないのに!」
「私だって知らないわよ!生まれてこの方、お兄ちゃんより良い男見たことないんだから!」
「出たよこの、もう、先輩のブラコン!」
「褒め言葉どーも!」

意外だったけど想像通りでもあった。学園トップクラスの彼女は狙う男も多くて有名だったが、ブラコンも別の意味で有名だった。
告白する男は風の如き速さで振られ、彼女に弄ばれてトラウマを刻まれた男は山の如し。彼女の魅力は影に浮かぶ火のごとき危うさと美しさ。雷のように男を落としては燃やしていく。

「……林が浮かばない……」
「なんの話?」
「いやちょっと武田信玄を」
「アンタ歴女だっけ?」
「ごめん疲れてるんだ」
「冨岡に癒してもらいなさいよ。アイツ癒しとかからかけ離れた人間だけど」
「……そんなことないよ」
「あっそ」

話が逸れた。

「……恋愛感情なのか、先生だから好きなのか、わかんないんだよ……」
「手っ取り早い見分け方教えたげよっか?」
「!教えて」

勢いよく食いついた。
なんだそんな方法があったなら早く言って欲しかった。嬉々とする私に彼女が悪魔の笑みを浮かべた。

「SEXしたいかそうじゃないか」
「バカーーー!!!梅ちゃん先輩のバカーーー!!!」

一瞬でも信じた私がバカだった。
あまりにも明け透けな発言に、大声を出して耳まで真っ赤にしてカウンターテーブルに突っぷす。
店内に人が少なくて良かった。平日の小さい駅のヌタバで良かった。

「ね、ちょっと、真昼間から何を」
「親に抱かれたいとは思わないでしょ?別に処女じゃないでしょ。カマトトぶってんじゃないわよ」
「死ぬほど悍ましい発言やめて!鳥肌立った!」

本気で気色悪くて吐き気まで催しそうになった。
顔を上げられなくて本気で泣きそうだ。

「でもアンタ冨岡には抱かれても良いって思ったんでしょ?」

昨日の光景がもう一度蘇る。畳に押し倒されて、視界には天井と先生。腕は頭上でまとめあげられて、その彼の手が熱くて。全部全部近くて。
そしてその時私は、確かに。

「………………うん」

店内の騒めきに掻き消されそうなくらい小さな声で頷いた。頭を伏せたままだから篭った声になった。

「ならアンタには冨岡しかいないって。感情全部教えてもらいなさい」

伏せたままの頭をそのままグリグリとされる。撫でられているのか押さえつけられているのかわからないくらい雑だった。
それでも、嬉しかった。
人と話すことが、触れ合うことがこんなにも楽しいのが嬉しくてたまらない。
私が私の思いを否定してしまうから、他の人には肯定して欲しかった。

「……ありがとう、先輩」
「全くね。ダメな後輩を持つと苦労するわ」














prev / next


.