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一時の休息




起きて最初に見た空は、朝日にしては、茜が強かった。

「……え……?」

ガラガラピシャリと玄関の引戸が開閉する音で目が覚めた。
ぼんやりと寝起きの頭で見た窓の外でカラスが鳴いている。見覚えのない部屋と敷布団。服も自分のじゃないパジャマに変わっている。

「……なんで?」

一気に困惑と混乱が同時に襲って来る。
時計、スマホ、なんでもいい。時間がわかるもの。この部屋なんで時計無いの。私の荷物どこ。

「待って、仕事、今日、平日」

混乱を通り越して恐怖になった。
朝焼けと夕焼けの違いがわからないほど馬鹿じゃない。けれど此の世には認めてはいけないものもある。
半泣きで部屋を見渡す。私のスマホはどこ。会社に連絡してない。クビになったら退職金って出るんだっけ。法律で保証されていてもあの会社が出すわけない。私の勤務時間分のお給料返してよ絶対凄いことになってるんだから。
思考が半狂乱に陥る。だからギシギシと鳴る足音にも気付けない。
部屋の襖が開いた。

「起きたか」
「せんせーいまなんじ!?」



「落ち着いたか?」
「大変失礼致しました」

昨日醜態を晒した居間の下座で土下座する。
先生が半狂乱だった私を落ち着けと言わんばかりに洗面所に投げ込んだ。昨日のままの化粧で眠ったせいで、肌荒れがちょっとやばいことになっていた。
顔を洗って冷静になると昨夜からの今にかけての醜態がどんどん羞恥になった襲いかかってきた。
そして現在に至る。
さっきまで帰宅姿のスーツだった冨岡先生は、またジャージに着替えてコポコポとお茶を淹れている。あのジャージ、昨日と同じ柄なのだが、一体何着同じものを持っているのだろうなどとは考えないようにした。

「……頭を上げろ」
「いえ、その、申し訳なさすぎて……」
「上げろ」
「はい!」
「座れ」
「はい!」

有無を言わさぬ声に彼自身に鍛えられた体育会系の返事で従う。
すると冨岡先生が立ち上がり、私の隣に来て膝を着く。どうしたんだろうと身構えていると、額に手を当ててきた。

「……あの……?」

冨岡先生の手が温かくて気持ちいい。気持ちいいけど、理由もわからないし、子供扱いみたいで少し照れくさいし恥ずかしい。
しかし当の本人はいたって真面目な顔をしている。困惑しているのは私だけ。

「熱は下がったな」
「熱……?」
「お前朝、体温三十九度あったぞ」
「えっ!?」
「……馬鹿が風邪をひかないのは不調に気づいていないないからだとは言うが、実物を見たのは初めてだ」
「嘘です!あの学校風邪引いても気付かないで登校する人絶対いますよ!」
「……」
「ごめんなさい。ツッコミどころ間違えました」

突っ込むのはそこじゃない。わかっている。

「……あの、私の携帯に、会社から電話とか掛かってきたり、しませんでしたか……?」

恐る恐る訊ねた。この質問で私の人生設計が変わってくるかもしれない。クビか?クビなのか?会社に一矢報いるどころか矢を放ってすらいないのに。

「……」
「なんでまた沈黙するんですか?」
「……」

冨岡先生の眉間にどんどん皺が寄っていく。今度の質問はさっきのよりは答えやすいもののはずなのになんだ。冨岡先生の脳内で今何が起こっている。

「名前と名字どちらで呼べばいい?」
「名前でお願いします!!!」

脳内で何があったらさっきの質問にその答えが返ってくるの!今の今まで何回もお前呼びしてたくせに!
思わず名前呼びお願いしちゃったけれど!
……いや、冨岡先生に呼ばれるのだったら今更名字で呼ばれるより、名前呼びの方が変なトラウマ呼び起こさなくて良いかなって、それだけだから。本当にそれだけだから。
誰に弁解してるんだ私。

「美小代」
「はい……」
「お前今週いっぱい休みだ」
「……はい?」

休み。
休み。
休み、とは。

「……病欠、ですか?」
「有給取った」
「……?どうやって……?」
「有給よこせと言った」
「それでくれるような会社じゃないんですけど……?」

ひょっとして冨岡先生が言っているのは休みとはあの幻想上の存在、「有給休暇」のことだというのか。
インフルエンザが流行った時も許可が降りなかったあの伝説の。
私と猗窩座さん以外の部員全員が感染し、出社可能人数が二人になっても、有給を出さずに感染した社員を出勤させた伝説を持つ会社だぞ。
ちなみに私と猗窩座さんが感染しなかったのは繁忙期で会社に連日泊まり込みで引きこもっていたからである。感染済の社員が出社しても絶対に部署には入れずに使わない会議室に隔離させたことで難を逃れた。あの時は猗窩座さんが自費で布団やらを手配してくれたため、今の部署は社内で最も結束力のある部署となった。その割には辞めた人がいるとか言ってはいけない。どんなに良い中間管理職の上司がいようと人には限界がある。
そしてその後会社の社員数そのものが減った。

「お前の上司……あの、なんか聞き慣れない名前の」
「猗窩座さんですか?」
「そいつだ。そいつに言ったら割とあっさり通ったぞ」
「……退職確定者の慈悲ですか?」
「俺が知るか」

猗窩座さんは神だった。
いやほんとに、どこぞの教祖よりもよっぽど神様に思えた。結婚式に呼ばれたら絶対に御祝儀を積まなければならない。

「……あの、本当に、休み、取れたんですか……?」
「録音あるが。聞くか?」
「完璧かよ」
「……」
「失礼しました」

とりあえず携帯を返してもらって、録音を聞かせてもらった。それでやっと信用した。
ロックどうやって外したんですかと聞いたら寝てる私の手で指紋認証したらしい。それ犯罪とか言ってはいけない。私は先生に土下座して感謝するべき人間だ。

「あの、今週いっぱいといっても、土日は出勤するんですよね?」

今週いっぱいと言われても今日はもう木曜日な訳で、それももう日が沈み始めているわけでして。土日は会社の所定休日(なお実際は出勤日である)だし。
つまり実質的な休みは明日だけではないか。

「……お前、まだ熱があるのか?」

そう聞いたら冨岡先生が信じられないものを見る目で言ってきた。

「国語の授業やるか?「いっぱい」の漢字と意味わかるか?」
「わかりますよ。それくらい。それに先生体育教師じゃないですか」

先生が似合わない冗談を言ってくる。それくらい私の思考がまずかったのだろうか。
それとも私、冨岡先生に冗談言わせるくらい、おかしくなってたの?

「……私、そんなに変なこと言いました?」

再会してから今まで冨岡先生にどれほどの迷惑をかけた。申し訳なくて、顔が見れなくて、俯く私の頭に手が乗った。

「寝れば治る」
「でも」
「休め。いいから」

ぐしゃぐしゃに髪を掻き乱される。乱暴な手付きだった。
その手をなんとか掴んで止めて、彼を見上げた。
どくんどくんと心臓がうるさい。久しぶりに興奮してる。

「あの、私、本当に、出勤しなくて良いんですか」

そんな私を見て冨岡先生がもう一度くしゃりと頭を撫でた。

「当たり前だ」

優しい声だった。
凄く嬉しくて、優しくて、泣きそうになる。

「泣くな。夕飯にするぞ」
「えっ、て、手伝います」
「いらん。お前家庭科の成績いまいちだったろう。病み上がりは寝ていろ」
「もう元気ですよ。あれは裁縫で落としたんです。料理だけなら五段階で三は取れました」
「三は誇るな」
「相変わらず手厳しい……これでも一人暮らしで一色百円以下の節約手料理なら極めたんですよ……ってイタタタ、なんで!?なんで技かけるんですか!?」
「……寝ろ」
「寝ろっていうかこれは落ちる!」


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