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Missing Memory

6月1日。
千晴は傘を差しながら学園島へと続く橋の上を歩いていた。手には二つの大きなビニール袋があり、肩で傘を支えて両手で袋を持つという、中々器用なことをしていた。
今日は雨に加え気温も高く蒸し暑い。早く寮に帰りたいと思いながらも、どんよりとした空気に当てられたのか、のんびりと歩いていた。

(お腹すいたな……)

千晴が食材が腐っていることに気づいたのは時計の短針が頂点を指す少し前。2年以上無事に寮暮らしを過ごしたという実績からの油断か、それとも外部の大学への慣れない受験勉強の疲れか、彼女は数日前に買い物から帰ってからそのまま買ってきたものを放置してしまったのだ。その中には野菜や魚等の食材も含まれていて、その結果彼らは異臭を放ち見るのも無惨なものになってしまった。異臭に気付いた時には既に遅く、処分するどころか触ることさえ勇気と時間を要した。
処分し終わった後も何を血迷ったか、腐らせてしまった物よりも更に大量の食材を買い込んでしまった。その上タンマツを部屋に置いて来てしまい、橋の上を歩いていくことになってしまっていた。
これが十数分前の話である。

(行きで気づいた時に取りに帰れば良かった……)

そこまで買わないからと油断したのがいけなかった。買い物中の記憶が殆ど無い。覚えているのは、何故か荷物持ちがいる気がして大丈夫だと思ってカートに食材やらをガンガン入れて行ったこと。普段の電気の付けっ放しも許さない節制からは全く想像できないことだ。しかし気づいた時には会計を終え、スーパーを出ていた。

(ホントにどうしてこうなった!?)

そんなこんなで、彼女は今食材の買いだしからの帰り道だった。因みに彼女の懐は今南極に近い寒さである。
すぐ近くから聞こえるモノレールの音が憎い。
汗を滲ませて息を切らし、フラフラと数歩進んでは休むという酔っぱらいのような歩き方をしながら何とか橋の終わりまで来た。
しかしまだここから女子寮までの距離がある。先の遠さに項垂れた。

「重そうな荷物だね。持とうか?」

ふとかけられた声に顔を上げると、朱色の番傘をさした白髪の少年が立っていた。

「いえ、大丈夫です」

知らない人にそんなことをされる理由が無い。
そう断ってすぐに横を通り過ぎて立ち去るつもりだったのに、一度止めてしまった疲労困憊の足は重い鉛の様になっていて上手く動かせなかった。

「っうわ、」
「あっ!」

足がもつれてバランスを崩した千晴を少年が受け止める。少年の胸に埋もれ、目の前が真っ暗になる。突然の事に余りの羞恥で直ぐに離れた。

「……ご、ごめんなさい」
「あ、いや、こちらこそ。君は大丈夫?」

互いに顔を赤くさせて言う。千晴はまだ収まらない不正脈と戦いながら答えた。

「は、はい。ありがとうございます。荷物は、大丈夫、です」
「うん、それはよかった。でも僕は君自身のことを聞いたんだけどな。少し休憩した方がいいんじゃないかな?」

千晴の少し焦点のずれた返事に少年が苦笑して言った。

「あ、えと、私は、その、大丈夫、です」
「そう。……よかった」

少年は苦笑する。
足が縺れる位には疲労していることも見透かされているのだろう。そう思うと千晴は目の前の浮世離れした少年が更に異質に感じた。
しかしその異質さを彼女は何処かで感じた事がある気がした。

「やっぱりそれ持つよ。女の子には重いでしょ」
「え」

そう言うと少年は強引に千晴の手から荷物を取った。

「うわ重っ!こんなの女の子が持つ荷物の量じゃないよ?」
「あ、あの……」
「ああ……。そんなに警戒しなくてもいいのに。心配しなくても、ちゃんと返すよ」
「初対面の人にそんなこと言われたって、警戒するに決まってます」

千晴が拗ねたようにそう言うと、今まで笑っていた少年の顔が少し歪んだ。

「初対面、か。……そうだよね。初対面、何だよね」

凄く淋しそうな、泣きそうな、そんな顔に千晴は面食らう。もしかしたら以前会ったことがあったのかも知れなかったが、それすらも思い出せなかった。

「僕は伊佐那社。シロって呼んで」
「佐野です。えっと……シロさんは葦中学園の卒業生とかなんですか?」
「……そんな感じかな。もうここに来ることはないかもだし」

そう言って彼は寂しそうに笑った。ここに来ることは無い、ということはどこか遠く、海外にでも行ってしまうのだろうか。

「つい、懐かしくなっちゃってさ」
「別に今日じゃなくてもよかったのでは?雨、朝から降ってましたよね?」
「うん。そうなんだけどね」

そう言って困ったように苦笑する彼に千晴の既視感は更に強まる。

「今日がよかったんだ」

(ああ、やっぱりだ)

どこかで見たことがある。けれど、どうしても思い出せなかった。少し前、半年前の学園祭準備期間が脳内で再生される。もう少しでで思い出せそう。でも、やっぱりダメだった。まるで記憶が霧で覆われたようだった。

「あの、もしかして今年の卒業生ですか?私、あなたと去年の例大祭の準備期間に会った気がするんです!」

必死に口を動かした。何故こんなにも必死なのか自分でもわからない。

「でも、ごめんなさい。私去年は生徒会で忙しかったからか、記憶が曖昧で……」
「いいよ」

混乱しそれでも口を動かす千晴の肩に手をあて、伊佐那は言った。

「君とは初対面だよ」

彼は落ち着いた、けれど強い声でそう言った。

「だから、泣かないで」

(アレ、なんで……)

言われてから、頬をつたうものに気がついた。何故泣くのか。さっきから自分でもわからないことだらけで、千晴は何もできなかった。
そっと頬にハンカチをあてがわれる。そして千晴の手をとってそれをのせた。

「あげるよ」
「え、でも」
「大丈夫。ちゃんと洗ってあるから」
「そうじゃなくて」

困惑した表情で彼を見上げるが、彼は千晴の前を歩き始めたため番傘に隠れて顔は見えなかった。

「今日はこれを持ち主に返しに来たんだけどね」
「それなら尚更」
「いいよ。もうそれの持ち主は此処にはいないから」

そのまま千晴の言葉を遮り言った。その言葉の意味を問うことはできなかった。
ざあざあと二人を雨の音が包む。伊佐那はさっきから何も言わなくなってしまった。

『君とは初対面だよ』

先刻言われたことが響く。笑顔だったけれど、そのうちには諦めや、何か覚悟のようなものすら感じられた。

「……あの」
「っ!」
「ごっごめんなさい!」

驚かせてしまったらしい。しかし、この気まずい空気は元来の性格も加わり、千晴にとって耐え難いものになっていた。

「……あの、荷物持ってくれて、ありがとうございます」
「あ、ああ。いや、そんなのお安いご用さ」
「本当にありがとうございます。私、食料を腐らせちゃって……」

苦笑しながら言う。何とか会話を繋げようと自虐ネタに走った。恥ずかしかったが、伊佐那は堪えるように笑い始めた。

「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
「ゴメンゴメン」

(謝る気ないなこの人)

そんな返事でも、彼が笑ったことが嬉しかった。緊張が解れ安心した。
このまま、と会話をさらに繋げる。

「でもたくさん買ってたから、今財布が寒いんですよね」
「そうなの?」
「はい。いつもはそんなことしないのに、大量に買い込んじゃって。魚や、ケーキの材料まであったん」

ですよ。と言葉が続くことはなかった。
彼が、伊佐那社が荷物も番傘も放り千晴を抱きしめたからだ。
突然のことで千晴の脳内は真っ白になった。彼女の傘もその衝撃で手から離れてしまい、二人は雨晒しで抱きしめられているような構図になる。

「シロ、さん?」
「ゴメン。少しだけだから。すぐ、離れるから、もう少しだけ、こうさせて。ゴメン。ゴメンね」

震えた懇願する様な声でそう言われてしまうと断る事が出来ず、千晴はただ、言われるがまま身を彼に任るしか無かった。

「……はい」

彼の腕の感触も、胸の鼓動も、雨の中なのに何故かとても心地好く、そして酷く辛くて、でも何処か懐かしかった。

(どうして)

どうしてこんなにも、胸が痛む。
思い出せない。けれど、思い出さなきゃいけないと思った。それなのに頭が痛い。思いだそうとすればするほど、割れる様な痛みが走る。

「私達、前に何処かで、会ったこと」
「思い出さなくて良いよ。辛いなら無理なんて、しなくて良いよ」

そんな名前に気づいたのか、千晴の声を遮る様に言い、伊佐那は彼女から離れてその髪を撫でた。

「大丈夫。落ち着いて?ゆっくり深呼吸して」

開いたまま落ちていた傘を拾い千晴に渡す。その時の伊佐那の表情をは傘に隠れて口元しか見えなかったが、泣いてるのかな、と確信にも似た考えがよぎる。
もしそうなら、蒸し暑い梅雨の雨は、彼の涙を隠してくれていた。うっとおしいくていつもは嫌いだったけれど、今はただ、彼の涙を隠してくれていることに感謝した。

「ホントに、ゴメン。こうなるって、解ってたのにね」

そう言った瞬間、彼女の身体は温い霧の様なものに包まれる。何もわからぬまま遠くなる意識の中で、まだ彼と離れたくないと、そんなことを考える自分がいた。



*



「……夢?」

次に目を覚ました時、千晴は寮の自分の部屋にいた。
誰もいない。寂しいいつもの自分の部屋だ。

千晴はキッチンに駆け込んで、冷蔵庫を開いたら。
何も入っていなかった。
やはり夢だったのだろうか。そう思いながら彼女は部屋を見回す。

「……あ」

テーブルの上に、袋が置いてあった。
自分が買った物達だ。駆け寄ると、メモが置いてあったことに気づいた。

『千晴へ
ゴメンね。落としたせいで少し濡れちゃった。でも多分大丈夫だから!
本当にごめんなさい』

確信は無かった。けれどすぐに彼のだと解った。
下手な字だった。視界が滲んで読むのに時間がかかった。
けれど読めた。
読めた瞬間、世界が完全に歪んだ。

「私っ……あなたの事、何も思い出せてないのに……!」

どうして教えてない筈の名前を知っている。
どうして、こんなにも胸が熱くなる。
頭が痛い。
それはどんどん酷くなり、ついには耐え切れずに床に倒れ込んだ。
そして再び、意識を失った。



20130601
20140806 加筆修正
20150524 加筆修正


シロ視点がホントに書きたいです。
1年ごとに加筆修正してる気がします。



  

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