彼氏様は犬属性 | ナノ



階段の下にいた二人にようやく追いつき幸村からの伝言を伝えると愛美は案の定、えっ!? と叫んで固まってしまった。真田の制服はネクタイが緩みシャツがしわくちゃになっていて散々争った跡があった。彼は絶対に女性には手をあげずに一方的にやられるだけなので、威圧的な見かけによらず何だかんだ偉いなと思う。

「いやそんな固まらなくても、何度も観に行ってるんでしょ」
「だって隠れてこっそりだもん認知されないように後ろの方で……それなのに幸村くんに観においでって声をかけられたってことは試合の後に挨拶に行く……? え……?」

嘘でしょ……? とどう転んでも変わらない真実を疑い最近よく見る宇宙猫の画像のようになってしまった愛美は置いておいて、雅治に「一番近い試合どれ?」と尋ねる。雅治は土曜? と真田に聞いて頷きを返されてから私の方へと向き直った。

「今週の土曜じゃのう」
「部活午前だけだなぁ。午後なら間に合うと思うけど。愛美は?」
「わ、私も午前だけ……」
「ほーん。よしよし、幸村の試合は午後じゃし、ええ感じやのう」

チャンス突然やってくるものである。それを掴めるかどうかは自分次第。などと根性論めいた思考はだいっきらいではあるが、まあ今の状況はまさにその通りなわけで。
今思えば頭がどうかしていたとしか思えないが、かつては私も捨て身の覚悟で雅治に想いを伝えたのだ。入念に準備をしてきたわけでもなんでもなく、あ、今だ、って直感的に感じたから。ただそれだけで。チャンスとは言い難いタイミングではあったけど本能が感じる「今だ」という感覚は確かに存在しているし、それを逃すとどうしてあの時、なんていくら成長してもふとした瞬間に思い出してしまう苦い記憶になること必至だった。
彼女を大切な友達だと思っているからこそ、後悔だけはしてほしくなかった。
死にものぐるいでもがいて欲しい。それがよく彼女を知らない人間から見れば少し無様でも、相手にとってどう見えるかが重要なわけだ。




「愛美、こっち」
「お待たせ! 今日に限って片付けが長引いちゃって……」

おにぎりとビニール袋に入ったアクエリを手に応援席に現れた愛美は、辺りを不安げにきょろきょろと見渡してから「まだ幸村くんの試合始まってない?」と尋ねてきた。むしゃむしゃ口を動かしながら喋るものだから少し聞き取りづらい。

「喋るか食べるかどっちかにしな。なんで食べながら来たの」
「だって幸村くんも応援席で呑気でおにぎり食べるような女に応援されたくないと思って……」
「食べながら来る女の方が駄目でしょ」
「んぐ」

お茶の助けもあり一気におにぎりを飲みこむと隣に腰掛けた愛美は、冷たくなった手を温めるようにはあと息を吹きかけながらコートを見下ろした。お目当てを見つけたらしく、目がふわりと柔らかく細められる。身を寄せてきて「かっこいいなぁ」と目を輝かせるのもいつもの事だ。
正直な話、幸村が出る大会というのはとても稀だ。大体あいつに試合が回るまでに先に3組がストレートで勝ってしまうこともあり、幸村はベンチに座ったままチームは勝利を手に収めてしまう。今大会ではエントリーした選手は全て戦う方式で、そういった理由もあって幸村が久々にコートに入る。だからかは知らないが、色んな選手や外部の人間が観に来ているようでなかなかに応援席は混み合っていた。うーん、なんだかやっぱり腹の立つ奴だなぁ。というかうちの学校の男子テニス部はやはりべらぼうに強いんだなぁと思い知らされる。

「優花ちゃん」
「おわ、びっくりした……」

ぼうっと遠くの方を見ているところで突然声をかけられて肩を跳ねさせる。フェンス越しに雅治が小さく手を振って「寒いのにあんがとさん」と目を細めて微笑んでいた。
フェンス目の前の席まで階段を降りて「今から試合?」と尋ねればこくりと頷く。寒いらしくポケットに手を突っ込んで縮こまるように肩がすぼめられていた。

「ちゃんと見とくから頑張ってね」
「ん」

ゆっくりとジャージから手を出して、フェンスに長い指が絡められる。それから、手招きするみたいに指をひょこひょこと動かすものだから不思議に思って身体を近づける。

「手」
「手?」

言われるがままに手を差し出すと、フェンス越しに手がぎゅうと握られて「わっ」と間抜けな声が出てしまった。冷たい手だ。こんなに冷えて可哀想に、と両手で包み込んであげると照れくさそうに眉尻が下がった。
名残惜しそうに手を離してコートへ向かう雅治の背中を見つめていると「ラブラブだねぇ」と上から声が飛んできた。急に恥ずかしくなって階段を駆け上り、うるさいと背中を軽く叩いてやった。
最近雅治が変だ。いや確かに以前のクールなイメージはどこへやら付き合い始めてからは優しいというよりは甘えたな印象が断然強くなったが、それにしても輪にかけて甘え方が酷い気がする。嬉しくないと言えば嘘になるが、人ってこんなに変わるものなんだなぁとしみじみ感じてしまう。この頃の私はこれが更に拍車をかけて90度の坂を転がり落ちるが如くごろにゃんされるとはつゆほども思っていないのであった。

雅治の試合が始まってすぐに、違うコートで幸村の名前が挙がった。それまで一緒に雅治の試合を観戦していた愛美は慌てて身体の向きを変えて、更には居ても立っても居られなくなったのか私の腕を引いて席を一段下に移してしまった。
向かって右斜めの方向で試合をしているのが雅治。真ん前のコートで試合を始めようとしているのが幸村だ。こちらをちらりと見た気がしたが特に何も声をかけずにコートへと入っていった。緊張からか、はああ、なんて声が隣から漏れると同時に服を掴む力が強くなる。こら、伸びると叱ってやめさせた。
試合自体は特にひとつの焦りもなく穏やかに幸村がリードして進んでいく。雅治のコートもそうだが、ここまで圧倒的過ぎると逆につまらない事がよくわかる。彼らは手に汗握る勝負の末のギリギリの勝利とは無縁なのだ。中等部で二連覇を悠々と成し遂げて三年時には三連覇は逃したものの全国2位の実力。つまるところ県内で敵などいない。実力差があるからといって決して手を抜くことはないので、双方の試合は30分と持たなかった。

「すごい、ストレートで勝っちゃった!」

無邪気に手を叩いて喜ぶ愛美だったが、まわりの空気はどちらかというと相手に同情する声の方が多かった。雅治が遠くからこちらに向かって手を振る。相手の選手は走り回って頭から湯気が出ているというのに雅治は汗ひとつかいてない。ひらりと手を振り返してやる。
突然、今度こそこちらを認識した幸村がフェンスへと近付いてきて「来てくれたんだ」と声をかけてた。その目はしっかりと愛美へと向けられている。愛美は雷に打たれたように目を見開いて立ち上がり、幸村くん! と絶叫した。駆け寄ることはせず、幸村とは一定の距離がある。

「あ、あの、あの、お疲れ様、すごかった……かっこよかった……よ……」
「ありがとう」
「一番かっこよかった……」

蕩けるような声で恥ずかしい事を平気で言うものだから、羞恥心を覚えるところが人とは違うのだなぁと一人納得してうんうんと頷く。幸村はそんな褒め言葉を受けても顔色ひとつ変えずに、謙遜もせずにまたお礼を述べるだけだ。こいつ。慣れてやがる。試合も終わってあとは閉会式の前に片付けるだけだしおいで、と、誘われるままに選手が集まるベンチへと二人して歩いて行けば見知った顔が沢山いた。雅治に差し入れを手渡すと汗を拭いてくれとせがまれる。いや一滴たりともかいてないでしょうが。あまりにもうるさいので仕方なく持っていたハンカチでぽんぽんと拭ってやっていると「こんなところまできてイチャつくなよ」とブン太が割って入ってくる。イチャついているというよりこれは騒ぐ幼児を静かにさせるためにあやしているに近い。

「あれが噂の真田の従姉妹?」

ブン太は、少しだけ離れたところで真田と幸村と三人で話をしている愛美へと目線をやる。へー似てねぇなぁと言うものだから「いや従兄妹同士で似てる方が稀でしょ」と思わずつっこんでしまった。

「幸村くんがあんなに自分から構いに行くの珍しいな」
「まああそこまで自分の一挙一動に反応されたら面白いんじゃろうな」
「遊んでるもんな」

ほら、と指さされた先には寒そうだからともっともらしい理由をつけて幸村のウィンドブレーカーを羽織らされている愛美が、両手を不自然に挙げたままで完全にショートしていた。いやもうどう見ても弄ばれている。からからと愉しげに笑って「そんな顔しないで」などと平気でのたまうような男でいいのか、愛美。本当に良いのか。君が考えているほどそいつは完璧な王子様でもないし性格が悪いと言うと少し違う気もするが良くはない。断じてない。
それでも、人が人を好きになる気持ちを他人が止められないのはあの子の瞳を見ていればよく分かる。戸惑いと羞恥にも埋もれない、確かな煌めき。ああ、なんでそんな男に。よりにもよって。そう思わずにはいられなかった。






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