彼氏様は犬属性 | ナノ



本気になりたくないのは、信じていたものが揺らいだ時に傷付きたくないからだ。雅治がいくら今私のことを好きでも、これから生きていく上でその気持ちを揺るがす沢山の出来事が待ち受けていることを知っているからだ。というのを無意識に感じているからこそ、私の全てを託すのが怖い。無防備に甘えきって、いつかその時が来てしまうことに怯えていたのだ。

「そういったことは、本人に伝えてあげないと意味がないのでは?」
「絶対言うと思った」

だから君に相談するのちょっと嫌だったんだよ、と小さく口を尖らせれば、こういったアドバイスを聞くために私に相談したわけではないんですか?なんて柳生は呆れた顔をしてみせた。別に、小うるさいアドバイスを聞きたいわけではない。だって柳生が言ったことは自分でもちゃんと分かっているのだ。痛いところをピンポイントで突かれてしまった。それを言えないからこうして落ち込んでいるというのに。
雅治が告白された。まあ正直に言うと、それ自体には慣れている。付き合う前も付き合った後も、あの子がモテる事などこちとら重々承知で、いつ捨てられるか分かったもんじゃないという気持ちで日々を過ごしているのだから。でも、それと不安になってなんとか気を引こう、引き止めようとする気持ちは別だ。だって当の雅治が私を好きと言ってくれているんだから、その気持ち自体を疑ったことは一度もない。……嘘をついた。当初は疑まくっていた。なんでこんなにかっこいい人が私を、って信じられないでいた。
それでも付き合いが長くなっていく内に、雅治の真っ直ぐな気持ちは私のそういった頑なな猜疑心すら溶かしていった。
当たり前だけど、自分が相手を好きだという気持ちを信じるより、相手から好かれているという気持ちを受け入れる方がずっとずっと難しい。目には見えないものを信じさせてくれるほどに、雅治は真っ直ぐで透き通っている。普段は飄々としている癖に、こと恋愛に関しては本当に一生懸命だった。
私にしか見せない特別な顔でこちらを見つめて、優しくて甘い声で語りかけてくれる。私に、だけ。だと、思っていたのに。

「まあでも、彼女は曲がりなりにも部活の先輩なんですからその他大勢とは態度が違ってくるものだと思いますよ。私も彼女には頭が上がりませんし」
「わ、分かってるけど……」
「ただ、曲がりなりにも部活の先輩。それ以上でもそれ以下でもなさそうですが」
「分かってる、けど」

彼女、というのは雅治や柳生の所属するテニス部でマネージャーをしている先輩の話だ。最近よくテレビに出ているモデルによく似ているともっぱらの噂で、地毛らしい茶色の髪の毛はいつもさらさらしていて天使の輪っかができている。顔も小さく、折れそうなほど手足が細い華奢な印象で、男から言わせればああいう女性を「守ってあげたくなる」と称するのだろう。守るって何からだ。宇宙人でも侵略してくるってのか。
そんな彼女には、雅治も少し砕けた様子を見せていた。私と付き合うようになってから女の子とは必要最低限という言葉が似合うほどしか接してこなかった雅治に慣れすぎて、初めて二人が話すところを見た時はそりゃもうまあ、衝撃だった。だって彼女の目が、態度が、言葉が。雅治のことを大好きだと物語っていた。それだけならまだいい。雅治が目を細めて微笑む様を見た瞬間、何とも言えずショックだった。あの優しい顔は、私だけのものだと思い込んでいたのが急に恥ずかしくなって、その日は理由も言わずに雅治に当たってしまった。
兎にも角にもその可愛らしい先輩が雅治に公開告白なるものをしたのが、つい昨日のことだ。自分に自信のある女は人目を憚った場所に呼び出して告白、なんてまどろっこしい事はせずにむしろ衆人環視の元、目撃者が沢山いる中で確実に相手を仕留めにくるらしい。
問題はそこからだ。あれだけ私に毎日すき好き愛してる、優花ちゃんだけだとラブコールをしてくるくせに、雅治はなんと告白を保留にしたのだ。
その時の私の衝撃たるや。いつか来るその時を常に恐れていた私は「ああ、来たのか」という直感に、思わず脱力した。何も考えたくなくて、逃げた。雅治と帰る約束もすっぽかして、少しでも緩めたら泣いてしまいそうだったから息を出来るだけ浅くして走って逃げた。惨めだった。
そんな理由から今日も雅治から逃げ回るようにして過ごしていて、昼食も見つからないようにと体育館裏の階段でひとり寂しく食べようとしたところを、先生にゴミを焼却炉に持っていくよう頼まれたらしい柳生と偶然にも出くわしてしまったというわけだ。
もちろん柳生は私が何故こんなところで食べているのかは何となく察してくれていたのだけれども。普段だったら変わったところで会いますね、では。で去っていったに違いないのに今日はちゃんと話しを聞いてくれる。誤解してたよ、なかなか良い奴じゃん。

「分かっているなら、何も迷う事はないじゃないですか。仁王くんも貴女に避けられていると悲しがっていましたよ」
「……今はまだダメ」
「いつまで駄目なんですか。仁王くんはあの後ちゃんと断ったと聞きましたよ」
「……」

だって、心がまだザワザワしてる。こんな状態では雅治にまた何を言ってしまうか分かったもんじゃない。これ以上自分を嫌いになりたくない、とか細い声で情けないことを呟くと、柳生は困ったように眉尻を下げて背中を柔く撫でてくれる。

「それでも一緒なんだもん。なんであの場で断ってくれなかったの、私だけって言ったくせに、なんて考えちゃう」
「それは……」
「私もあの先輩みたいに可愛かったら、もっと自信持てたのかなぁ……」
「……吉田さん」
「ああ〜っ! もうこんな事考えてるのもやだ、雅治のばか! 雅治が悪い! あほ! はあ〜ごめんね柳生、こんなこと愚痴っちゃっ、」

て、と間抜けな声と共にプラスチックの箸がコンクリートの階段に落ちる小気味良い音がして、こん、こんと草むらへと消えていった。視線は斜め下を捉えたまま反らせなかった。なぜ、なにゆえにわたしは柳生に力一杯抱き締められているのか。向こうは何も喋ろうとしない。わたしも言葉を発せないまま脳内ではパニックを起こしている。遠くでクラクションの音が響くのを僅かに捉えながらも、二人の間には沈黙だけが続いた。耐えきれなくなって、あの、と切り出そうとした時だ。

「そんな、そんなに優花ちゃんが傷付いてるなんて、知らんかったナリ……」

ぐすっ、と鼻をすする声と共に柳生の口から発せられた声は、よく聞き知った声だった。思わず、は?と声が漏れる。

「や、やぎゅう……?」
「あれは、悩んでるんじゃなく皆まわりにおったきあん中で断ったら先輩に恥かかせて逆恨みされたらいかんと思って……。俺は構わんけど、優花ちゃんにもし何かあったら俺は死ぬから、必死にその場から逃げる方法探して……で、でもそれで優花ちゃんが傷付いとったら何も意味がないぜよ……」
「や……ぎ、ま、まさ、はる……?」

私を力一杯抱き締めている男は紛れもなく柳生なのだが、その口調、このにおい、紛れもなく雅治だ。名前を訝しげに呼んだところでずるりとカツラが外されて見知った白髪が目に入る。眼鏡を取ると、なんとも情けない顔をした柳生、もとい雅治はぐりぐりと私の肩に顔を埋めて怒らんで……と小さく呟いた。怒るも何もまだ何も状況が1ミリも理解できておらず、私の頭のまわりが可視化されたならきっとはてなマークで埋め尽くされていることだろう。
つまり、あれか。今まで私が柳生だと思って雅治に対するこの情けない想いの丈をぶつけていた相手は、雅治本人だったと。そういうことか。信じられない。信じたくない。人は完全にパニックに陥るとミッ……みたいな意味のわからない声とともに黙りこくるしかできなくなるのだ。十数年生きてきて初めて知った。
それを怒っていると取ったらしい雅治は「優花ちゃんは俺と話したくないって思うとったから柳生と代わってもらって……だから柳生は悪うない」とかなんとか言って今度は友人を庇い始めた。

「優花ちゃんに嫌われたら生きていけんぜよ、けど、優花ちゃんが俺のせいで嫌な思いをするのも嫌じゃ……」
「……うん」
「誰が何と言おうと、優花ちゃんが何と思おうと、俺にとって一番可愛いのは優花ちゃんだけで、好きなのも優花ちゃんだけ。それは生涯変わらん」

分かってた、雅治がそうやってあの人に嫌な思いさせないようにって、その場で振らなかったことほんとは分かってた。分かっていながらも心がそれを理解しようとしなくて、子供染みた態度でなんで、なんでと問い詰めていたのだ。自分がこんなに嫉妬深いだなんて、我儘だなんて知りたくなかった。普段ぎゃあぎゃあと喚いてくだらないことで浮気だと責め立てる雅治の方がよっぽど大人にみえて、それもまた恥ずかしい。まさはる、と背中にしがみつけば雅治は黙って抱き締める力を強くする。

「雅治のこと、信じたいよ。信じさせて」

私が一番だって、私だけ好きだってもっと言って。一生吐くことなどないと思っていた阿呆らしい台詞を口にする自分のことが世界一嫌いになりそうなのに、雅治はそれでもそんな私を可愛いと言って好きだとより強く抱き締めてくれるのだ。とんでもなく嬉しそうな顔をして、蕩けたような声で。私のことをこの世で一番醜く惨めにする男が、私を一番に愛してくれる。ありがとう、と囁くと雅治の指が頬をくすぐっていく。確かめるように恐る恐る、それでも愛おしさを纏って。ああもう、私をどうしようもない女にさせるこの男が、死ぬほど好きだ。





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