幸村くんおめでとうぺろぺろ | ナノ






土曜日、幸村精市は部活が休みだという事もあり久しぶりにゆっくりと出来る自由時間を得たため、読みかけだった本を机に重ねて置いてソファに腰掛けて朝から読書を楽しんでいた。3月になったというものの未だに寒さは続いているが、カーテンから差し込む光は暖かみを持ってブラウンの床を照らしている。マグカップの冷めてきたホットミルクを一口飲んで、ページを捲る。昼からは何か絵を描いてみるのもいいかもしれない。そうして穏やかな午前を過ごしている幸村の元に、異変は突如として訪れた。
精市ちゃ〜んと聞き覚えのある間抜けな声の後に、きゃうっ!と更に間抜けな声が続いてどたん!ばたん!ごん!と続けざまに部屋の中にいても確認できるような鈍い音。額に手をあててため息をつきたくなるのを堪え、マグカップを机に置いて部屋から顔を出す。廊下にべたんと突っ伏す少女の姿を確認すると、幸村は仕方なしといった声色でななし、と呼んだ。その声に反応した少女はちらりと幸村の姿を確認したかと思えば大きな瞳に涙を浮かべて「せいいちちゃん…」とぐずりだす。

「はいはい、転んだくらいで泣かない」
「精市ちゃん〜!」

彼女に駆け寄って両手を広げてやれば、ぺたんと小さな手を床について頭からダイブする。高い所で2つ括りにされた髪を乱さないように柔く撫でてやれば鼻はぐずぐずと鳴らしているものの泣き止んだようだ。「今日はどうしたの」と優しい声で聞けばななしはあのね!と笑顔を浮かべて顔をあげる。

「ママが出張だから、ななし、精市ちゃんのところにおとまりするんだって!」
「…お泊り?」
「うん!」

聞いたままの単語を口にすれば、明るい声がそれを肯定する。ななしは隣に住む小学生の少女であり幼い頃から幸村にとても懐いていたのだが、幼い少女の勢い余る愛情表現に応えるのは体力も精神力も必要となるのだ。もちろん向けられた感情が嫌だとか迷惑だとかいう事は一切ないのだが、突進せんばかりに抱きついてくるだとか一度抱きつくと中々離してくれないような所が少しばかり厄介である。それでもこの可愛らしい明るい笑顔を見ていれば仕方ないなという気にはなるのだけれども。否定しておきたいのは別にロリコンだとかそういう類いからくるものではなく、言うなれば親心のような感情である。
ななしは精市ちゃんのママのごはんたのしみだな〜と相変わらず幸村の服をぎゅうと掴んだままで体を左右にゆうるりと揺らした。先程転んだ時に擦ったのか赤くなった膝を柔らかく親指で撫でて「痛くない?」と聞けばこくりと頷いてななしは「あのね、」とぽんと手を体の前で合わせる。

「精市ちゃんに宿題みてほしいの!」
「宿題?」
「うん!国語の宿題なんだけどね、本読みしてね、カードに感想かいてもらうんだよ」
「教科書は持ってきてる?」

下にある!と立ち上がったななしは一目散に階段を降りていく。気をつけなよと声をかける前に下でどたん!という音がしてけたたましい泣き声が聞こえる。女の子なのにどうしてあそこまでお転婆に育ったんだろうかと半ば呆れながらも階段を降りれば、泣き声を聞いて慌ててリビングから駆けつけたらしい母親が「ななしちゃん大丈夫?」と心配そうに駆け寄った。ななしを抱き起こして「走ったら怪我するっていつも言ってるだろ」と少し強めの口調で叱れば泣くのを堪えているのか唇を尖らせてこくんと頷く。その拍子に零れた涙を拭きとってやりながらそのまま抱きかかえて立ち上がった。小さい頃からだっこやおんぶをせがまれているものの、小学校に入ってからは滅多にそんなおねだりをしてこないからこうして抱っこしてやるのは久しぶりの事である。幸村の首に腕を回して抱きついたななしに「教科書はどこに置いてるの?」と問い掛ければあっち、と涙混じりの声で答えてリビングを指さす。

「重くなったね」
「女の子にそういうこといっちゃ、いけないんだよ」

どこで覚えてきたのか生意気な台詞を吐きつつもななしは更に幸村に強く抱きつく。首が絞まる、と笑えば肩に顔をうずめたななしが微かに笑った。









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