「ひなちゃんは本当に大きくなったわね。昔こうして浴衣着せてあげた時は、こーんなに小さかったのに」
そう言いながら弦一郎のおばさんは自分の腰くらいに掌をおいて、くすりと上品に笑う。いつ見ても弦一郎のおばさんは小柄で可愛らしくて、よくぞあんな息子が生まれたもんだと思ってしまうのだ。
「…ほら、出来た。まあまあ、可愛い」
「わー!ほんとだ、かわいい!」
鏡の前でくるりと回ってみれば、紺色の生地に赤や黄色の見事な花火が咲いた浴衣の袖がふわりと揺れた。そのままパタパタと廊下を走って「ねーみて!」と襖を開ければ、廊下を走るなと弦一郎の怒号が飛ぶ。
「そんな事より!可愛いでしょ、これ」
「そのがさつさで半減だがな」
「半減って事は結局可愛いってことじゃん!わーい!」
弦一郎も既に深緑の浴衣に着替えていて、団扇を片手におじさんと縁側に座っていた。おじさんは目を細めてひなちゃんは本当に可愛くなったね、と褒めてくれたのにこの息子ときたら。弦一郎から団扇を奪いとった所で、インターホンが鳴る。外がとても騒がしい。どうやら、ようやく他の皆も来たようだ。
今日は近くの神社でお祭りがあって、昨日の部活の帰り道にその貼り紙を見ていいなあ、と溢した私の言葉を拾ってくれた幸村くんが、じゃあ明日皆でお祭りに行こうよと提案してくれたのだ。集合は弦一郎の家。早めに来すぎた私は、おばさんの厚意により浴衣を着せてもらっていたのである。
「あっ、ひな浴衣じゃん」
「かわええ〜髪もくくっちゃろ」
「え、マサ髪くくってくれるの!」
皆はTシャツに半パンという何ともラフな恰好だったけども、柳くんと幸村くんはちゃんと浴衣を着ていた。柳くんは何となく分かるけどなんで幸村くんまで?と聞けば「蓮二に貸してもらったんだ」なんて言って首を傾げながら似合う?と微笑まれた。幸村くんの雰囲気に空色は大変似合ってらっしゃる。こくりと頷いてかっこいいよ!と言えば幸村くんはとっても満足そうな顔をした。
マサに髪を結ってもらいながら出してもらった麦茶を飲んでいると、切原くんとブン太は早く早くとそわそわしていた。切原くんは百歩譲って可愛いし良いとして、ブン太はもう少し大人になりなさい。
「ん、お団子じゃ」
「わあ!かわいい〜ねえねえ見て、お団子ちょう可愛いんだけど」
鏡を片手に皆に見て見てアピールをすると、髪をあげると清楚でいいですね、と柳生くんが褒めてくれた。マサも自分の出来を見て満足そうだ。
「じゃあそろそろ行こうか」
幸村くんの呼び掛けで玄関に走り出す私達を、弦一郎が家の中で走り回るな、と叱ったけども私達は聞かないふりをした。弦一郎のおばさんはまた上品に笑いながら、行ってらっしゃいと手を振ってくれる。いってきまーすと手を振り返してサンダルを履こうとすると、弦一郎が靴箱に下駄があるからそれを履け、と私からサンダルを取り上げた。下駄は転けやすいからあんまり好きじゃないけども、浴衣に合うのは下駄なのだから今日は我慢するしかない。
「わー!いっぱい出店ある!わたがし食べたいわたがし!」
「りんご飴!」
「ベビーカステラ!」
「お前さんら勝手に走り回るんじゃなかよ」
私とブン太、それから切原くんはマサにまとめて掴まれて連れ戻される。もっとマサもはしゃげばいいのに!柳くんは笑いながら浴衣が着崩れてるぞと襟元を直してくれた。まるでお母さんである。
後から歩いてくる弦一郎と幸村くんを待ちながら辺りをキョロキョロ見回していると、女の子達の視線が此方へ集まっているのが分かった。うんまあ、ですよね。こいつら目立つもんね。
射的!金魚すくい!と跳び跳ねる切原くんをまあ待てと宥めて、ジャッカルくんが「ひなは何が一番最初に食べたいんだ?」と聞いてくれる。レディーファースト、素敵だ。
「わたがし!からの焼きとうもろこし!からのりんご飴!」
「分かった分かった」
わたがしくらいは奢ってやろうな、となんとも優しい事を言ってくれるジャッカルくんに、じゃあ私はりんご飴奢るね!と言えば笑われてしまった。どうしてだ。
「俺にもりんご飴奢ってよ。食べたいな」
「え〜じゃあ幸村くんかき氷買ってね。いちご。あとどんぐり飴も食べたい」
「そんなに入るの?」
くすりと微笑んで、人混みの中を歩いていく幸村くんを追う。周りには沢山浴衣や甚平を着てる人がいて、遠くでは太鼓の音も聞こえていた。
下駄じゃやっぱり歩きにくくて何度も転びそうになっていると、幸村くんがゆっくりでいいよ、と私の手首を掴む。
「俺がちゃんとこうして掴んでてあげるから、これではぐれないでしょ」
「…う、うん」
なんだかこれはこれでちょっと照れるけども、この手を離されてしまっては私は迷ってしまう事必至だろう。恥ずかしさを押し込めて人混みの中を進んでいけば、いつの間に買ってきたのやらジャッカルくんが約束のわたがしをほらよ、と差し出してくれた。白い雲みたいなそれを受け取って、ありがとう!と笑えば、これまたいつの間にとってきたのやら、マサがこれやる、と金魚が数匹入った袋をくれる。うちの家、水槽あったかな。
「金魚かわいい〜」
「俺のはこれぜよ」
「うわ!でっか!ずるっ!」
マサの持つ袋に入っていたのは、出目金だ。ギョロギョロ辺りを見回しながら限られた空間を泳ぐそれをじいと見つめて、やっぱこれはいいや、と言えばマサが「なんでじゃ!これも可愛いぜよ!」と憤慨したように口を尖らせる。時々、マサの可愛いの基準がよくわからなくなる時があります。
「ひな、ひな。ベビーカステラいる?」
「ああっ、丸井先輩それ俺のっスよ!」
可愛い袋をずいと差し出したブン太の口にはもう随分の数のベビーカステラが含まれていたが、片方は幸村くんに掴まれ、もう片方はわたがしと金魚を持っているので、生憎両手が塞がっている。でも食べたい。
パカッと口を開けば、意味が分かったらしいブン太は一つ摘まんで、ぽいと私の口の中に放り込んでくれた。甘い。
「あ、りんご飴」
「それだけ持ってて次々目移りするのか」
柳くんは私を見てくすりと笑ったが、そんな柳くんの片手にはちゃっかり切原くんから貰ったらしいベビーカステラが数個、のせられていた。だってりんご飴、と眉をさげればすみません、と幸村くんが一歩前に出る。
「このりんご飴、二つください」
「幸村くん二つも食べるの?」
「馬鹿だな、一つは君に」
食べたくないの?と首を傾げる幸村くんに食べたい食べたい!と騒げば、苦笑されつつ「わたがし食べて終わってからね」と私の持っているわたがしを一口分ちぎって、口に入れてしまった。
もぐもぐとわたがしを貪っていると、口周りがべたべたですよと笑って柳生くんがウェットティッシュで拭いてくれた。お母さんか。っていうか、ウェットティッシュ常備とかすごいな。俺も拭いてくんしゃい、と柳生くんの袖を引くマサに、柳生くんは仕方ないですねと強めにごしごし拭いていた。マサの悲鳴があがるのが面白い。
「弦一郎なに食べてるの?」
「たこ焼きだ。丸井がおまけで一つ多めに貰ったらしい」
「イケメンだかららしいぜぃ。やっぱイケメンってどこ行っても得するんだよな」
「え…」
「え…ってなんだよひなにはもうやんね」
「うえええ〜!ごめんごめんブン太ちょうイケメンだよ!多分!」
必死に言い訳してもブン太は一切たこ焼きをくれなかったので、わたがしの割り箸で弦一郎のたこ焼きを一つ拝借した。怒られたけど、欲しいならちゃんと口で言えと言ってもう一個くれた。やっぱり弦一郎はなんだかんだで優しい。
やっとの事でありつけたりんご飴の袋をあけながら、隣の幸村くんをちらりと見上げればりんご飴にかじりついたままで、なに?と問い掛ける。
「楽しいね、なんか」
「うん」
「こんなに楽しい夏祭り、初めてかもしれない」
にへら、と笑えばソース口端についてる、と笑われて幸村くんの親指がすうと拭う。ごめん、と言いかけた私だったが、幸村くんの赤い舌がその親指を舐める仕草に思わず開いた口が塞がらなくなる。なんて事だ。この人なにしてんの。
まだ屋台を物色してる先頭集団の煩い声も聞こえなくなるくらい、自分の心音が大きくなる。煩い、静かにしてよ。
そんな私の事なんてつゆ知らず、軽い足取りで歩き出す幸村くんに私も歩を進めた。ああ、やっぱりだから下駄なんて。