『あ、もしもし?ひな?ねぇ聞いてよ、今さっき車で事故っちゃってさぁ。怪我?ああ、怪我は全然平気なんだけど、事故った相手がめんどくさくて……ああ、この話はまた今度聞いてもらうね。つまり何を言いたくて電話したかっていうと―――……』

相変わらず一言一句ハキハキと喋り、普段の接客業の抜けきっていない友人の声を適当に相槌を打ちながら聞いていたわたしは、携帯を片手に「はあ!?」と思わず大きな声をあげてしまう。テレビ前のローテーブルにパソコンを置いてレポートをかいていたらしい幸村くんが此方を振り向き、怪訝そうな顔をした。その顔は明らかに煩い、とわたしを責めるようでもあったが、構わない。此処はわたしの家である。窓も閉め切っているので、近所に迷惑をかける事もない。彼はわたしの歳がいくらか離れた恋人であるけども、顔に似合わず、というよりその顔を武器に周りから甘やかされてきたのか、なかなか我儘で自己中心的である。あと付き合ってしばらくしてから、いつの間にか勝手に名前で呼んでいるのも気になっているけど、口出しはしていない。まあそれは置いておいて、携帯をぎゅうと握り締めて「困るよそれは!」と友人に食い下がった。

『困ってるのは私の方だよぉ、もー折角のゴールド免許が…。しかもこの車まだ買って数年なのにさぁ、』
「わたしも困るよ!どうすんの、水6ケースなんてどう運ぶわけ!」
『約束破ったのは謝るって。また何かお詫びするね……あ、警察きた。じゃーねぇ』

ぶつ、と通話は無慈悲にも切られて液晶画面には【通話終了】の文字が表示されていた。わなわなと震えて「えーどうしよー!」と転げ回るわたしに、幸村くんは呆れたように「何かあった?」と尋ねる。むしろ、尋ねさせたという方が正しいかもしれないが。

「明日友達と買い物に行く予定だったの。最近出来た業務用スーパー」
「ふうん。で?その友達が明日は駄目になった、ってこと?」
「それだけじゃないんだって。明日は特売日なの。いつもわたしの冷蔵庫に入ってるミネラルウォーター知ってるでしょ?あれがケースで!かなり安く!」

幸村くんはああ、あれね、と呟いて「それで?」とさらに続きを促す。続きも何も、話はこれで終わりである。業務用スーパーは此処から自転車で行くには遠く、特売日は明日のみ。そんな水のために他の友人に車を出させるのはいくらなんでも憚られる。いや、そんな水と言ってもわたしには死活問題なわけだけども。

「で?」
「……いや、だから、話はこれで終わり」
「終わり?なんで俺に頼まないわけ」

少し拗ねたような口振りだった。肘をついて目を細める幸村くんを見つめて、幸村くんって免許持ってるの、と何度か瞬いてみせる。

「車も免許も持ってるよ。むしろなんでその歳になって持ってないの」
「う、うるさいなこちとら色々と事情があるんだってば!……で、なんなの、車出してくれるの?」
「明日ねぇ」

頼れと自分から言い出した割には、幸村くんの返事は煮え切らないものだった。明日なにかあるの?と尋ねてみると「へえ、覚えてないんだ」とこの場に似つかわしくない朗らかな声が返ってきて、わたしはごろごろと床に寝そべるのを止め、即座に正座する。何故、正座したのかは自分でも分からないが、本能的に自分に非がある何か、に身に覚えがあるらしい。

「お、覚えて、ない、とは?…もしや記念日とかそういう類い?」
「俺も別にそこまで女々しくないし乙女チックでもないよ。ひなさん、俺が先週デートに誘った時には、友達と約束があるからって断っただろ?俺って、水より軽い存在なんだって」
「いや、あの、それは……」
「別にあれこれ君の交友関係に口を出したいわけじゃないけど、俺達付き合い始めてまだ一度もデートしたことないの、知ってた?ちなみに覚えてるかどうかって聞いたのは、その日は俺がデートに誘った日だってこと」

覚えてませんでした、と素直に答える言葉をぐっと飲み込んで、代わりに「そうだったね」と曖昧な返事をした。不機嫌さを隠そうともせずに此方をじいと見つめてくる年下の恋人は、歳の割には落ち着いているし頭も回る。未だに口喧嘩で勝てた例しはない。これ以上機嫌を損ねるのは宜しくないと判断した上での誤魔化しだった。しばらく沈黙が続き、幸村くんはふと天井を仰ぎ見る。何かを思案するような仕草だ。

「予定通りデートしてくれるなら車、出さないでもないけど」

発せられた言葉の意味を汲めばあまりにも彼に相応しくない幼さを秘めていて、わたしは思わずくすりと笑みを溢した。なにがおかしいの、と口をへの字に曲げる幸村くんの頬は少しだけ赤みがかっていた。
なんて事ない、この年下の恋人は、わたしとデートがしたかっただけらしい。なんて可愛いんだろうと胸がきゅんと締め付けられた。




翌日は、天気予報通りの快晴だった。何を着て行くかと思案しながらクローゼットを開けて気付く。成程、こうして幸村くんと出掛けるのは本当に初めての事だったのだ。ただスーパーに行くだけだと言うのにクローゼットの前でウキウキと一人ファッションショーを繰り広げていると、まだ?とノックも無しにドアが開かれる。思わず短い悲鳴をあげた。

「な、なんで入って来るの!まだ着替えてないから!先にエンジンかけといて!」
「別に今更恥ずかしがられても……まだ化粧も済んでないんだろう?リビングで待ってる。あと20分でなんとか用意してね」

そうして下着姿のわたしを残し、幸村くんはドアを閉める。確かに、恥ずかしがるような間柄でもないけれどもせっかく人がデートに向けて服を選んでるのに、急かすだなんてあんまりじゃないか。いや、自分が遅いのは自覚しているけども。昨夜あれほど強引にデートの約束を取り付けて、普段見せない表情で嬉しそうにはにかんだ姿はどこへやら。
結局、最近買った薄い緑のワンピースにカーディガンを羽織り、洗面所へ化粧をしに向かった。その時ちらりとリビングを覗けば、幸村くんはソファに座ることなくうろうろと歩き回っていた。やっぱり可愛いところもあるものだ、と満足気に頷いて、鏡の前で顔面工事を始めたのである。




「そんなに買うの」
「買うの。なんのために幸村くんを、引いては車を用意してもらったと思ってんの。あとここのクロワッサン美味しいから、半分分けてあげるね」

20個程のクロワッサンが詰められた袋をカゴに入れれば、幸村くんははあ、と気のない返事をする。あれも美味しそう、これも美味しそうと手当たり次第にカートに乗せたカゴに放り込んでいると、わたしに聞こえるくらい大きな溜め息をつくものだから、なに、と冷凍ピザ片手に振り返った。

「冷凍物なんか買ったら、この後どこにも寄れないだろ」
「なによ文句ばっかり」
「初めてのデートが食料品の買い込みって…」
「まあデートっていうか……買い物だね」

いいじゃん夫婦みたいで、と何気なく付け足した言葉を、自身で理解するのにしばらく時間を要した。ピザを持ったままであっそういう意味じゃ、と否定しようとしたけど、幸村くんが目をぱちぱちさせて、そうだね、とふんわり微笑んだので訂正するのは野暮だと思った。

「まあ今でもほら、なんか同棲してるみたいだけど既に」
「いっそ本当に一緒に住んじゃおうか」
「えっ」

無邪気に微笑む幸村くんは「ね?」と目を細める。彼は初めてわたしの家に半ば強引に押し掛けてきた日から、レポート締め切りが迫った日だとか、友人が訪ねて来る日だとか以外は専らわたしの部屋にいた。一緒に住むもなにも今までの生活とあまり変わらない気もしたが、改めて言葉にされるとなんだか新鮮な響きだった。
これ食べたい、とエビフライをカゴに放り込む幸村くんに、一緒に住もうか、と返してみる。

「あと、それドライアイス貰えば暫くはもつから。幸村くん、自分であんまり買い物しないの?二時間くらいなら多分、大丈夫だよ。まだ涼しいし。だから何か二人で食べに行こう、」

そこで同棲のことも考えよう。
一気にそこまで言い切ったわたしに、幸村くんは口元を緩めて「そうだね。でも、」と言ってそこで言葉を切る。目線が天井を仰いだ。幸村くんが何かを考える時の癖だった。

「俺は同棲を前提に置いて、その先を求めているのだけれど」

幸村くんの言い回しは時々、詩的過ぎて分かりにくい。それでも、今の言葉の意味が取れない程にわたしは鈍感でもなかった。敢えて、じゃあ?ともう答えの分かりきった問いに疑問を投げ掛ける。

「此処で言わせる気?あまりにもロマンがないな」

苦笑いを溢して、幸村くんはわたしの腰を抱くようにして引き寄せる。場所なんて関係なかった。彼がいるだけでどんな場所もロマンチックになってしまう。まだ、お互いの部屋とスーパーにしか出掛けたことのないわたしが言うのも変な話だけれど。手汗が滲んできて、それをワンピースで拭うようにしてぎゅうと握り締めた。

「幸村くんはなんていうか、いつも唐突だよね」
「唐突かな?俺なりに色々と考えてるよ」
「振り回されっぱなしだよ」
「じゃあこれからも振り回すだろうし、嫌なら逃げてもいいけど」

この年下の恋人は、歳の割には落ち着いているし、頭も回る。未だに口喧嘩に勝てた例しはない。きっとこれからも。なんて、穏やかな横顔を盗み見て容易に浮かび上がる未来予想図に、こっそり苦笑した。



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