この春から大学生になった私は、飲み会や新歓、お花見といったとっても大学生らしいキラキラしたイベントに関わった事もなく、さらにはサークルにすら入らずに学校とバイト先、それから家の綺麗なトライアングルの中をぐるぐると周る生活を続けていた。もちろん、彼氏がいるわけではない。むしろ、今まで生きてきて彼氏が出来たためしがないのだ。まあこれに関しては後ほど説明するが、とにかく私は大学生らしい事がしたくて堪らなかったのである。
そんな私を見かねてか、ある日友達がこんな素敵なお誘いをかけてくれた。
「I大の男の子と、合コン?」
「そう。5対5なんだけど、1人足らなくて。ひな行かない?バイト終わってからで十分間に合うけど」
「い、いく!いきたい!」
合コン。とっても素敵な響きだ。最早都市伝説かと思ってたよ、なんて言えば友達は笑いながら「ほんとアンタは箱入り娘だね」と鞄を肩に掛ける。入りたくて箱に入ってるわけじゃないよ、と言って携帯を取り出して、ある人物にメールを作成した。
今日はバイト終わったら凛夏ちゃんとご飯食べにいってくるね
最後に可愛い絵文字を添えて、送信。そして返信がくる前に即電源オフ。
「…蓮二くん?」
「うん。メールしとかないと後でうるさいから」
「愛されてんね」
彼女のそれは、私と蓮二がどういう関係なのかを知った上での嫌味なのだ。うるさい、と睨めば凛夏はあははと声をあげて笑いながら「じゃあまた後で」と手を振る。手を小さく振り返して、私も駅へ向かって歩き出したのだった。
「今日のお前、なんか変」
人生で初めての合コンに浮かれているのが、バイト中にも滲み出ていたらしい。私は食洗機から取り出したお皿を拭く手を止めて、ぎこちなく赤也へと振り返った。赤也はバックヤードで食パンの耳を切ったものを摘まみ食いしながら、じいと私を見つめている。
「あのね、聞いて」
「ん?」
「私ね、合コン行くの」
とびっきりの笑顔でそう言えば、赤也は食べていた食パンの耳をぶっと吐き出して、まじで!?と大きな声を出した。ちなみにうちのカフェはオープンキッチンなのでそんな大きな声を出せば、お客さんが何事かとこぞって此方を向いた。赤也のバカ。
「私にも春が来るかもしれないの」
「は?つーかお前、柳さんは?」
「…蓮二?」
「柳さんと付き合ってんだろ」
「はああ?ないない」
ぶんぶんと首を横に振って、拭き終えたシルバーを定位置に戻す。なんで蓮二なんかと付き合わなきゃいけないの。私は私の春があるんだってば。
「今更、柳さん以上の男なんて捕まえれんのかよ」
「蓮二以上なんていっぱいいるよ」
「…お前が箱入り娘扱いされる理由がよく分かる発言だな」
はあ、と溜め息をついた赤也に反論しようとした所で、店長から「ひなちゃんあがっていいよ」と声がかかる。はあい!と返事をして食器を拭く布を赤也の顔にかぶせてやった。ぎゃあぎゃあと騒ぐ赤也に洗って干しといてね、と言って更衣室へと向かおうとすれば「ひな!」と呼び止められる。
「合コンなんてろくな男いねーぞ」
「うるさい。羨ましいんでしょ」
「別に羨ましくねーっつの。俺フツーにモテるし」
「ふーん」
「じゃなくて!柳さんの何が不満なんだよ。合コンなんてしなくても、」
「彼氏出来たら報告する!じゃあねお疲れ!」
赤也の言葉を遮って、ドアを閉めてやった。ふんだ。絶対に蓮二よりかっこいい男の子見つけて、彼氏作って驚かせてやるんだから。そう心に誓って、私はロッカーを開いた。
「…な、」
「なんでいるの、か?」
「わわ私、凛夏とご飯食べてくるって言ったじゃん…!」
バイト先の裏口のドアを開いた、すぐ傍のガードレール。蓮二はいつも私をそこで待っていた。頼んでもないのに私のバイトがある度に迎えに来るのだ。迷惑極まりない。別にバイトの上がり時間とか教えてないのに、勝手に赤也から聞き出して毎回迎えに来る。これは幼馴染という関係でも、立派なストーカーだと思うんだけど。
「ああ、そうだったな」
「メールしたじゃん…だから今日は、いいよ。帰って」
「どうせなら、店まで送ってやろうか」
「えっ」
そう言って笑う蓮二だが、私には分かる。これは、確実に何かがバレている。でも赤也に合コンするって言ったのはさっきだし、凛夏は蓮二の連絡先知らないはずだし、大丈夫、だよね?平気だよ、と蓮二の申し出を断るのに、蓮二は一人じゃ危ないだろう、と最早口癖のようになったその言葉を口にして、私の手を取った。
「…い、いいよ……だって電車乗るし、」
「構わない」
歩き出す蓮二に、私はいよいよ焦り出す。もし合コンってバレたら、絶対にしばらく遊びにも行かせてもらえない!叱られる!本能的にそう悟った私は、全力で拒否する。けど、蓮二の力には勝てなくて結局ずるずると引きずられた。駅の明かりが見えてきた所で、私は堪らずシャツを握り締めてぐいと引き寄せる。駅までのこの道は、人通りも少ないし脇にある公園は少し不気味だ。
「一人で、行けるから…大丈夫だから!」
「どうしてそこまで嫌がるんだ?」
「う…」
蓮二に問い詰められると、私は昔から隠し事ができなくなる。それは…と声が小さくなった私に、ちらりと見えた蓮二の色素の薄い瞳が続きを促すようだった。公園のフェンスにがしゃんと背中を押し付けられて、逃げる事もできない。
「また俺に隠し事か?」
「そ、そんなんじゃ…」
声が上擦ってしまった。どう言い訳しようか、とぐるぐる頭の中で必死に考えていると、ひな、と耳元で名前を呼ばれて体が強張る。
「今、正直に言えば許してやるぞ?」
する、と私の項をなぞる指に背筋がぞくりとした。騙されちゃ駄目だ。蓮二がこう言う時は、決まって既に怒ってる時なのだ。っていうか、という事はもう怒ってるんじゃん。悲しいかな、昔から染み付いてしまった体質なのか何なのか、蓮二に怒られるのは怖い、というよりも単純に、ある種の恐怖で。うう、さようなら、私の春。始まってもいない恋。
「…合コン……」
「聞こえないな」
「合コン、誘われたの…」
ぼそぼそと白状すれば、蓮二は「ほう」と呟いただけだった。…もしかして、私の杞憂で実はそこまで怒ってなかったり……!なんて期待して顔をあげた所で、私は全身全霊で合コンに参加しようなんて安易に考えた自分を、酷く恨み後悔する事となる。
「そんなに男に飢えているなら、もっと早く言えば良いだろう」
「えっ、」
するりと入ってきた手に、私の頭は真っ白になる。人通りがほとんどないとは言えここは普通に外で、目の前にいるのは蓮二で…えっ?何が起こって、るの。
「ななななに…なん、ちょっと、触んないでよ!ひっ!」
「…色気のない声だな」
「えっ…どう、どういう?えっ?」
「男を漁りに行くということは、つまりこういう事を望んでいるわけだろう。違うのか?」
「ばかじゃないの飛躍しすぎでしょ!」
「だからつまり、と言ったはずだが」
つまりとかそういう問題じゃない。別にこういう変な事がしたいわけじゃなく、私は純粋に彼氏が欲しいのだ。その旨を伝えても、蓮二は可笑しそうに笑うだけだった。いいから、キャミの中の手を退けてくれないかな。
「ひなは男が分かっていないな」
「…またそうやって馬鹿にして…!もういいから合コン行かせてよ!彼氏作って蓮二に自慢してやる!」
「そこまで白状した後で、俺がみすみす行かせると思うのか?」
するりと手が引き抜かれて、キャミソールを整えられたかと思えば「帰るぞ」と蓮二に手を掴まれた。やだやだとごねれば、再びがしゃんとフェンスに押し付けられて、唇が触れるか触れないかの距離ですうと目を開いて、帰るぞ、と全く同じ台詞を、更に強い語気で言う。もうこれは、はいと返事する他なかったのである。
あーもう、早く彼氏が欲しい。切実に欲しい。心の中でそう呟いて、蓮二の広い背中を睨んでやった。